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イレギュラー

 キリに言われるがまま、彼女の後をついていく。


 屋上から降り、三階を通り過ぎて二階へ。二階の廊下を歩いて、突き当たりまで歩く。


 そこは図書室。


 『文学少女』、などとはほど遠い私にはほとほと縁の無い場所だ。


 戸を開けると、座って本を読んでいたり、参考書なんかを積み上げて勉強している生徒達を何人か見つけた。本を読んでいる生徒には、まぁ、まだ共感はできるが、勉強している生徒にはまず親近感は沸かない。きっとああいうヒトは、いい学校に行ったりするんだろうな。私は行かないけど。


「ミナモ、分かる?」


 唐突にキリは質問する。


「なにが?」


 分からない私はそう返す。


「……ならいい」


 キリは空いている席に座った。窓際の席だ。私は机を挟んでキリの向かいの席に腰を下ろす。


「これからどうす――」


「黙ってて」


 そう私の言葉を制したあと、キリはぐっと黙りこんでしまい、とても話しかけられるような雰囲気ではなくなってしまった。


 そのまま三十分が過ぎた。


 なにもしないのも暇なので、本でも読もうかと立ち上がると、今度は「絶対動かないで」と釘を刺されてしまった。


 仕方なく私は椅子に座り、じっとキリを観察することにした。


 キリは目を瞑り、手を前で組んで、少し下を向いてじっとしている。何かに祈っているようにも見える姿だ。


「………」


 改めてキリを見てみると、本当に綺麗だ。


 窓から差し込む光をキラキラと反射させる空色の髪。それに負けないくらい綺麗な肌。小さくて均整のとれた顔立ち。目を瞑り、じっとしていると、まるで西洋の人形のように見えてくる。


 見ていても飽きないというか、自然と引き込まれて魅入ってしまう。それは綺麗な風景画ようだ。


 私はずっとその姿を見ていた。


 そんな折り、キリはゆっくりと目を開き、こう呟いた。


 「来た」と。


 それと同時に、後ろから生暖かいドロッとした液体が降りかかった。


 その液体はキリにも届いていて、キャンパスに絵の具を塗りたくるように、キリの白い肌を赤く染め上げていた。


「きゃあああああ!」


「うわぁああああ!」


 悲鳴と叫び声が聞こえる。


 どうしよう。


 その方向を向きたくない。


 見たくない。


 でも、見ないままじゃ。


 油の切れた歯車のように、ガタガタ音をたてながら私は振り返った。


「あれがイレギュラー。バケモノよ」


 キリの言葉を聞いている余裕はなかった。


 ヒトが天井に張り付いている。ボタボタと、絞りかけのリンゴのように汁を滴らせながら。潰れてしまったトマトのような姿で。


 そしてその下には巨大な蜥蜴のような生き物。上に口を開き滴る血をそこに受けている。


「イレ…ギュラー……?」


 私の声を聞きいた大蜥蜴は目玉だけをギョロリと動かして私を捉えた。


 そして呟く。


「『ツギ』カ…」


 と。


 蜥蜴の表情など読み取ったことはない。


 だけど分かった。


 この大蜥蜴は今、ニタリと笑った。


「喋れる、の…?」


「オカシイカ?」


 私は首を横に降った。


 本来は首を縦に降るべきだったろう。だが、どうしてかこの蜥蜴は話せる、そういった先入観…、いや、話せると私は知っていた。ずっと昔から知っていた知識のように、すっと私はそれを受け入れることができた。


「なんでこんなことを…」


「『ヒト』ヲ知ルタメニ決マッテイルダロウ?」


 その通りだ。


 ヒトを知るため。


 ヒトを? どうしてヒトを知らなければならないのだろう? 私はヒトだ。だからヒトを知る必要なんて。あれ? どうして蜥蜴と話しているんだろう? 蜥蜴が人語を喋るはず無いじゃない爬虫類が霊長類と並ぶ馬鹿げたことを血を啜ったところでヒトにはなれないだからお前はそこ止まりなんだヒトは血液からできている訳じゃないお前の行為は無意味だ無意味無駄無駄無駄―――。


「おいっ!! 早く逃げろ!!」


 誰かが私の腕を掴む。


 自分の体に何かが触れ、不意に意識が戻ってくる。


「え? え?」


 景色が動いている。


 それが自分自身が移動しているのだと気付くまでに少々の時間を要した。


 前には誰かの後ろ姿。


 男子だと思うけど。


 茶髪が印象的だった。


 その男の子に引かれ、図書室の入り口までやって来た。そこで私は踏みとどまる。


「どうした?」


「いや…、キリが」


「キリ?」


 男の子は瞬時に図書室内を見回したが、眉を潜めて首を傾げた。


「誰も居ないぞ?」


 と、彼は言う。


 だから自分で確認した。


 キリは蜥蜴と対峙している。


「なんか分からないが、あいつが動かない今がチャンスだ。早く」


 そんな言葉は無視して私はキリを呼ぶ。


「キリ!」


 キリはちらりと私を見て、首で指図する。「行け」と。


「今のうちだ!」


 彼にはキリが見えていないのか。こんなに近くに居てどうして見えない。


「おいっ!!」


 男の子は私を強く引っ張るが、私はテコでも動かないつもりだった。


 今の私ならそれができる。だって私の身体能力はかなり高くなっているんだから。


 だけど、思惑に反して私はずるずると引かれていく。


「離して!!」


「バカやろう! 死にたいのか!!」


 いくら抵抗しても、私は彼に敵わなかった。











 ここは一階の昇降口だ。


 図書室とは校舎の真反対に位置する。校舎内では多分、一番離れた場所だ。


「ったく、なんだよあれ……」


 私を引っ張ってきた男の子は肩で息をしながら悪態をつく。そして壁にもたれ掛かった。


 私は彼の隣に座り込んでいた。


 疲れたからじゃない。


 置いてきたキリのこと、大蜥蜴のこと、自分のこと。頭の中がぐちゃぐちゃで、考えたいことも纏まらなくて混乱してしまっていたからだ。


「お前、大丈夫か?」


 私を気遣ってか、彼が話しかけてくる。


「服とか、血がいっぱいついてるみたいだけど、怪我とかは?」


 私は首を横に振る。


「そうか……。ならいいんだ」


 彼はゆっくりと腰を下ろす。


「がむしゃらに逃げてきたけど、やっぱりあれ、先生に伝えなきゃなんないよな」


「先生が……」


「なんだ?」


 役に立つのか? と、言おうとしてやめた。


 ヒトが天井に張り付くような事態だ。それを先生がなんとかできるとは到底思えない。


「はぁ…。しっかし、人があんな風になるなんてな。……絶対夢で見るな」


 キリならなんとかできる?


 彼女はこれまであんなのを相手してきたのだろう。だけど、私は彼女の戦っている姿がまるで想像できない。私の時とは違って、あの蜥蜴もすんなり切られてくれるとは思えない。あんなに綺麗な子が、ナイフを振りかざして、返り血を浴びながら、バケモノを切る。そんなことをしている。戦っている。


「なぁお前、もしかして水無月水萌?」


 彼が私の名前を呼ぶ。


「な、なんで知ってるの?」


「いや、学校一どんくさいって有名だし。あそこから逃げ遅れた感じ、そうかなーって」


 カマかけられたのか。


「あなたは?」


「俺? 俺は篠村恭介しのむらきょうすけ。二年」


 ひとつ上の学年だ。


「……そうですか。助けてくれてありがとうございます、篠村先輩」


「いや、助けたというか、まぁ、咄嗟だったしな」


 先輩は少し照れながら言った。


「っと、それよか、水無月がいってたキリって子は……」






―――ピシッ!






 ガラスにヒビが入ったような、そんな音がした気がした。


「って、うわっ?! 水無月、お前どうしたんた? 服が真っ赤だぞ?」


 すごく驚て先輩は飛び上がった。


 私は不審げにその様子を見上げていた。


「絵の具でもついてんのか?」


 さっきから先輩の言動がおかしい。


「待ってろ。なんか着替えみたいなもん無いか探してくるわ」


「あ、ちょっ……」


 先輩は走り去ってしまった。


 どういうことだろう。理由なんてわかってるはずなのに。まるでさっきまでの出来事がなかったみたいだった。


「イレギュラーはヒトを襲う」


 背中に氷を入れられたみたいに背筋がのびる。


 私の後ろにキリがナイフを持って立っていた。


「そんなのが何匹もいるのに、事件にも、噂にすらならないのは、なぜだと思う?」


「……わかんないよ、そんなの」


「イレギュラーは、不要な要素、予期せぬ出来事。そんなものがなくたって、世の中の大筋は変わらない。木の上を這っていた青虫が鳥に啄まれたって、木にはなんの影響もない。だからイレギュラーが消えれば、それは最初から無かったのと同じ。そのままの平和な日常が保たれていたことになる」


「あの、天井に張り付いていたヒトは……」


「イレギュラーは侵食するって言ったでしょ? さっきの例えを使うなら、あれは青虫に喰われた葉。喰われた葉は、青虫の血肉になる。それはもうイレギュラーと同じ。キリングエッジで処理することができる」


「そんな……」


「それと、確信したことがひとつ」


 キリがキッと私を睨んだ。


「ミナモはやっぱりバケモノ。イレギュラーよ」


 心臓に何かが突き刺さるような思いがした。


「ヒトなら、さっきの出来事の記憶は消えているはず。あの彼のようにね」


 篠村先輩を思い返す。


 まるで大蜥蜴の出来事などなかったかのような言動。やっぱりあれは、その部分の記憶が消えているようだ。


「でもミナモは憶えてる。それは青虫の側から見てるから。青虫から見れば仲間が一匹消えたのは大事だもの」


 ああ、自分とヒトとの違いを知ってしまった。もう私は認めざるを得ないのだろうか。


 自分がバケモノであると。


 何事もなかったようにしていた先輩とは違うんだ。冴子や山崎さんとも。本当に?


「ミナモがどんな存在か解った?」


 理解したくない。


「……その上で、屋上と同じ言葉を言い切れる?」


 今だって自分はヒトを襲ったりしないと思っている。だけど、状況証拠はすべて、私がキリの言うイレギュラーだと示している。


 でも自覚はない。


「……もうひとつ、質問するわ。ミナモはあの蜥蜴と何を話していたの?」


 何を?


 あの距離で会話の内容がキリに聞こえないはずはない。


「イレギュラーの言葉は私にも理解できないの。あなたはあのとき、私の分からない言葉を話していた」


 ああ、あぁ、もう逃げ場がない。前には凶器、後ろには崖。助けはない。


 そうだ、蜥蜴の言葉。あいつは私に「次か…」と呟いた。


 『次』とはどういう意味だろう。それを聞いて、私は何を思った、考えた。


 頭が痛い。


 内側からハンマーで叩かれているみたいな、重くて鈍い痛み。


 でも否定しなくちゃ。


 私を、今の私を守るために。


「私は、ヒトを……」


 言いかけて言葉が続かない。


 襲ってしまうのだろうか。


 あの蜥蜴のように、ヒトの血を啜るようになってしまうのだろうか。


「ヒトを…」


「言い切れないなら、自害して」


 キリが冷たく言い放つ。


「キリングエッジで消せなくても、普通の要因でなら死ねるはず」


 キリからしてみれば、私もあの蜥蜴と同じなんだ。木に擦り寄る害虫と同じ。たとえ今、なにもしていなくても、いつかは葉を食べる。私が食べないと言っても、食べる可能性がなくなる訳じゃない。食べるというのは生きる上で絶対に必要なこと。空腹に耐えきれるはずがないのだ。今は我慢できても、いつか絶対に耐えきれなくなる。そんな危険なもの、キリも放置しておけないんだろう。


「あなたの手で、友達を殺したくはないでしょ?」


 自分が冴子を殺している情景が脳裏を過る。


 分かってる。これは単なる想像。


 だけど、こんなにも容易に想像できてしまった。


 私もいずれ葉を食べる。


 ヒトを襲うようになる。


 そんなのは嫌だ。






「私は…」






 友達を手にかけたくない。






 それで、友達を守れるなら。






 私は喜んで消えよう。






「決まった?」


「キリの言う通りにする」


「ミナモならそう言うと思った。ミナモは優しいから」


 柔らかな口調でキリは笑った。


 緩やかで暖かい、春の陽光のような笑顔。


 この子はこんな顔もできるんだ。


 私はキリを羨ましく思った。


「でも、すぐにとは言わない。やり残したこともたくさんあるでしょ? そういうの全部、片がついてからでいいから」


「いいの?」


「ミナモなら大丈夫。きっと最期の時までヒトを演じられる」


 『最期』


 どんな生き物にも必ずやって来るもの。それが早いか遅いか。そういった違いはあるけれど、絶対のもの。


「ありがと……」


 私は自ら最期の幕を降ろすこと決めたんだ。




「おーい、水無月!」


 廊下を篠村先輩が走ってくる。


「先輩」


「悪い、いいもん見つからなくて、俺の上着で構わないか?」


「あの、私、教室に戻れば体操着のジャージがあるんですけど…」


 先輩はハッと気がついた顔をしてガックリと肩を落とした。


「なんだよ俺、ただの恥ずかしい奴じゃないか……」


 私のためにしてくれたことなのに、なんだか可哀想ことしちゃったかな。


「いいえ。ありがとうございます。私、嬉しいですよ。これで教室まで隠していけますから」


「そ、そうか? そう言ってくれると少し救われる…」


「と言っても、放課後であんまりヒト居ませんけど」


 部活で残っている生徒は居るだろう。だけど、運動部はグラウンドや体育館だし、文化部は大体部室に籠りきり。廊下を歩いている生徒を見つける方が大変かもしれない。


「やっぱり俺……」


「あっ、ごめんなさい」


 私は苦笑しながら謝った。


「じゃあ、ちゃちゃっと着替えてきますね」


 私は自分の教室へ向かった。


 キリはまた居なくなっていた。

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