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変化

「ちょ、ちょっと水萌みなも! ど、ど、どうしたのよその制服!」


「や、やー…、ちょっと、転んで引っ掻けておまけにペンキの中に突っ込んじゃって……」


 周囲の反応は当然分かりきっていたけれど、教室まで戻らないと着替えもないし、仕方なかったのだ。まぁ、廊下とかで誰にも出会わなかったのは幸いかな。だったらもっと大事になっていただろうし。


 それにしても、我ながら苦しい言い訳だ。


「ペンキ? どこで?」


「今校舎裏の壁、直してるでしょ? ちょっと見てみようと思って行ったら、このザマでして……」


 私はワザとらしく肩を竦める。


 冴子さえこはそんな私の仕草を見て「またか」といった表情を浮かべた。


「相変わらずどんくさいね、水萌は。そういえば裏山がちょっと崩れてきたんだっけ?」


 思い出したように冴子は言った。


「忘れてた?」


 一ヶ月ほど前に降った大雨で、学校の裏に面している山――通称裏山――が少し崩れ、学校の塀を壊したのだ。今は修復と斜面の補強作業はほぼ終了している。


「なんか時間かかってたしね。…というかー、着替えなよ。次体育だし助かったね」


「うん」


「待ってるから、早くしなよ」


「ありがとう、冴子」


 教室には誰も居なかった。


 みんな体育で先に出てしまったのだろう。


 机の上にはみんなの制服が置かれていた。綺麗に畳まれたものや、乱雑に置かれたものなど、様々な姿で制服達は机の上に座っている。


 どうしてだろう。この風景を見ていると、少し不安になる。


 誰も居ない、静まり返ったこの教室に、私だけが取り残されてしまったような、孤独にも似た不安。


 真っ赤に染まった自分の服を見返す。


 これは血。


 私の体から溢れ出した血液。


 命の源。


「普通、死ぬよね……?」


 明らかに心臓に刃を突き立てられた。明らかに致死量を越える血液を流してしまった。


 だけど私は生きている。


 夢だったんじゃないかと疑ってみるが、夢ではないという証拠がこうして揃っている。


『バケモノめ』


 あの少女は私にそう言った。


「そうなの……、かな…」


 じゃあ、血液の流れきった私の体には、今何が流れているのだろう。


 確かめてみたい。


 ふとそんな衝動に駆られ、私は机にしまっておいた筆箱からカッターナイフを取り出す。それを右手に持ち、カチカチカチと必要以上に刃を伸ばした。そして左手首を表に返す。


 使い方が間違っているのはよく分かる。


 けれど……。


「みーなーもー! 遅れちゃうってば! 早くー!」


 冴子の声でハッと我に返った。


「ご、ごめーん! 今行く!」


 私はこれまでにないスピードで体操服に着替えた。











 体育の時間。


 それは私の変化に少し気付かされた時間だった。


「え…、体力測定?」


「だるいよねー。他の人がやってる間、見てるだけだし」


「あー、それで山崎さんあんなに気合い入ってるんだ……」


「あの子はスポーツするために生まれてきたようなものだし。まぁ、代償と言ってはなんだけど、超絶絶壁だし。天は二物を与なかった。ごしゅーしょーさま」


「きーこーえーてーるーぞー」


 冴子の失礼な物言いを聞いて山崎さんがのっしのっしとやってくる。のっしのっしなんて表現をしたが、実際山崎さんは小柄で身軽な子である。


「サエこそ、そんな脂肪だらけの体で可哀想だねぇ」


 サエ、というのは冴子のあだ名だ。尤も名前から『こ』を取っただけのこのあだ名は、山崎さんくらいしか使っていない。


「あらあら、骨と皮だけよりはマシよ」


 さすがにそれは言い過ぎじゃ……。少し筋肉質だけど、山崎さんの体は綺麗だと思うし。


「動くときタプンタプンで大変じゃない?」


 タプンタプンというのはもちろん女性の象徴とも言える部分だ。はっきり言って冴子のそれは、年齢にそぐわない大きさのようにも思える。が、同時に羨ましくも思える。


「ぐぬぬぬぬ……」


「いぎぎぎぎ……」


 いがみ合っているように見えるが、これは二人のお約束というか決まり事というか。まぁ、挨拶のようなものなので心配する必要はない。二人は犬猿の仲といえど、一緒に育ってきた犬と猿である。いわゆる幼馴染み……、というほどではないが、小学校からの長い付き合いで、ある一定の限度を弁えているようだ。


「なぁにニヤニヤしてるの水萌?」


「水無月さん、何か失礼なナレーションでも入れてたんじゃないですか?」


 なぜか矛先が私に向く。


「水萌はどっちかというと、平均的よね。多すぎず少なすぎず、ちょうどいい位置にいる感じ?」


「そうだね。ちょうどいいってなかなか難しいところだよね?」


「あ、あの……、な、なんの話、かな?」


「水萌はそのままでいーの」


「水無月さんはそのままでいいよ」


「え、っと、なんかよくわからないけど、ありがとう?」


「そろそろ始めるぞ! まず50メートル走からだ!」


 先生が呼び掛けると生徒達がだらだらと集まった。


 一度に計れるのは二人ずつ。まぁ、幅跳びなんかに比べたらずいぶんと早く済むだろうけれど、暇さえあれば喋っているのが女の子なので待ちの集団はすぐにざわめきだした。


 体力なんてそうそう変わるものじゃないけれど、こういうものは変に意識してしまうものだ。どんくさいと言われる私でさえも少し頑張ってみようかと思うくらいだし。


「次は間宮と水無月」


 呼ばれたので位置につく。


「水無月はこけないようにな」


 先生が苦笑しながら言う。


 おそらく、はじめての体育の時を思い出しているのだろう。


 あれはただのランニングだったのだが、グラウンドを一周する間に六回転ぶという恥ずかしい記録を私は打ち立てたのだ。まぁ、それが私がどんくさいと言われる所以の一つになったのだが。


「よーい…」


 先生は耳を押さえ、ピストルを空へ向かって構えた。そして少し間を置いた後、パァン!と乾いた音がスタートの合図を送る。


 そりゃいくら私がどんくさいからと言って走れないわけじゃない。転んだりしないように気を付けて走れば……。


「……え?」


 私のすぐ隣に居た間宮さんが見えない。というか50メートルってこんなに短かったっけ?


 なんて思ったときには私はもうゴール直前だった。


 あまりにも突然すぎて、何がなんだかわからなくて、私はスピードを落とすことを忘れてしまっていた。その後、勢い余って盛大にスッ転び、うつ伏せに倒れてそのまま数メートル滑っていったのだと、後々冴子から聞かされた。


 ちなみに記録は私が盛大にスッ転んだのに驚いた記録係が、ストップウォッチのボタンを押し損ねて残らなかったのだという。それでも6秒は切っていたのではないか、と先生は言っていたらしい。というか、そんな記録出したら世界記録と並んでしまうわけだけど。


「まさか水萌があんなに速く走れるなんてね」


 自分でも思わなかった。自分がそんなに速く走れるなんて。


「まぁ、結局最後は転んでどんくささは同じみたいだけど」


 冴子は笑いながら言う。


 私はスッ転んで気絶したらしく、今はこうして保健室に寝かされていた。


「ねぇ冴子」


「なに?」


「私って、変かな?」


「変? 具体的に言うとどこが?」


「ヒトとして」


 冴子は眉をひそめた。


「はあ? 変なら付き合わないって。私だって友達は選ぶよ? 好き嫌いもあるしね」


「じゃあ私のことは好きってこと?」


「え?」


「あっ、や……! 別に深い意味はないから! その、友達としてっていうか、あの……」


 なんとなく気まずくなって、慌ててフォローを入れる。


 そんな私の慌てふためきが面白かったのか、冴子はプッと吹き出した後、大声で笑い始めた。


「あっはっは! 今言ったばっかりでしょ? 変なら付き合わない。好き嫌いもある。嫌いなのや変なのとは付き合わないよ。それともなにか? 友達以上の付き合いを求めてんの? 冗談。私はそんな気はありません」


「だ、だからそんな意味じゃないって言ったじゃん!」


「はいはい、わかりましたよー」


 冴子が私の頭を撫でる。


「な、なに、突然?」


「水萌はさ、どんくさいし危なっかしいしドジッ娘だし。まぁ、そんなだからほっとけないっていうか、心配っていうか。そりゃね、それであんたをからかう奴もいるけどね。裏を返せばみんな水萌をよく見てるってことだよ。見向きもされないよりいいんじゃない?」


「冴子……」


「って、ちょっと説教臭くなったね」


 冴子が私の頭から手を離す。


「私、部活あるからさ、一応終わったらまた見に来るけど、別に待たずに帰ってもいいよ?」


「ん、それじゃあ待ってる」


「遅くなるかもよ?」


「いいよ」


「りょーかい。それじゃあしっかり待っているように!」


 冴子は適当な敬礼をして保健室から出ていった。


 先生は居ないようだ。というか、先生がいたら冴子もあんなこっ恥ずかしいことは言わないか。


 クスリと笑いながらベッドに寝転んだ。


 しかし暇だ。


 ケータイ……、は、着替えたから教室に置きっぱなしか。


 窓が空いている。


 そこから少し暖かい風が入ってくる。野球部の掛け声も一緒に聞こえてくる。


「消えてなかったの?」


 その声を聞いて私は凍りつく。

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