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月の下・前編

20150131修正

「シノムラには悪いことをしたかもしれない」


 保健室の前で叫び声を聞きながら、キリはさして後悔した様子もなく呟いた。


 篠村先輩は私が襲った部分だけ記憶を消された。


 それは先輩を襲っているイレギュラーになりかけの私をキリが刺したからだ。


 けれど私は消えない。だから先輩には中途半端な記憶だけが残った。


「……けれど、こうする他なかった。分かるわね? ミナモ」


 私は小さく頷く。


「ミナモは確実にイレギュラーに近づいている。あのときのミナモは半分……、いえ、半分以上イレギュラーだった。見切りをつけるときだと思ったわ。だから私はミナモにキリングエッジを突き立てた。……けれどその結果はどう? ミナモは消えず、もとのミナモに戻っただけ」


「私……」


 もう、消えた方がいいのかもしれない。


 キリが私の肩を抱き寄せた。


「早まらないで。今回はミナモのせいじゃない」


「……なん、で?」


「何かあるとは思っていた。別の用事があるって言ったでしょ? 私は私で調べていたの。そして見つけた。ミナモがシノムラを襲ったあの場所で」


「何を……?」


「殺人蜘蛛の二つ目の事件。殺されたのは学校に全く関係のない人間だった。それがどうしてわざわざこの学校で殺されたのか」


 そういえばそうだ。


 でも。


「発生したイレギュラーをどうして私がこれまで処理してこれたか。学校でしかキリングエッジが使えないのにどうしてか」


 そうだ。キリは学校以外でキリングエッジは使えない。しかも校外では存在の優先度が低いというではないか。


 キリの存在自体が、校外でのイレギュラーとの戦闘を想定してない。


「この学校にはイレギュラーを引き寄せるなにかがある。ミナモのお陰でソレの在処の目星がついた」


「校舎裏……? それなら取りに行こう!」


 キリは首を左右に振った。


「それは手に入れられない。次にミナモが近づけば、ミナモはミナモでいられなくなるから」


「私は……、それでも!」


「駄目。今の私にはイレギュラーになったミナモを止める手段がない」


「あ……」


 顔を伏せる。


「大丈夫。ソレがあるかぎり、殺人蜘蛛は必ずこの学校に来る」


 私はそれから毎晩のように学校に泊まり、殺人蜘蛛の出現をキリと共に待ち続けた。それは味の無いパンを食べているような、つまらない時間だった。


 キリはずっとこんな風にして過ごしてきたのだろうか。


 誰にも気づかれず、ずっと一人で、こんな寒い夜を、敵を待ちながら、何度となく繰り返してきたのだろうか。


「キリは寂しいと思ったことはない?」


 青白く光る月が光る屋上。


 月の光がキリの青い髪を薄く照らす。等系統の色のせいか、柵に手をかけながら佇むキリは、昼間よりいっそう美しく輝いて見えた。


「寂しい? どうして?」


 キリは私の方へ振り返り首を傾ける。


「だってキリは――」


「寂しいと思ったことはない」


 それだけ言ってキリは空の月を見上げた。


「……そう、なんだ」


 私はなんとなく申し訳ない気持ちになる。


「……けれど、楽しいと思ったこともなかった」


 キリは懐からナイフ……、キリングエッジを取りだし、月に翳して見せる。


 昼間とはまた違う光を反射して、今は鈍く優しく輝いている。


「私はさしずめ道具に使われている道具。イレギュラーを消すための道具を振るう道具でしかない」


 キリの否定的な言葉。


「キリはそんなんじゃないよっ!」


 私は声を張り上げる。


 声は少しだけコンクリートに反響し、月が照らす夜の闇に消えていった。


「……うん。今はたぶん……、そうじゃない」


 キリはナイフを持ったまま腕を後ろで組んで柵にもたれ掛かる。


「私を『キリ』と呼んでくれるヒトがいるから」


 キリは笑顔だった。


 だけど、とても切なく、悲しげで、まるで人形に無理矢理与えられた表情のような、作られたような、そんな笑顔だった。


 そういえば私はキリのことをほとんど知らない。


「キリは――」


 キリは私に近づき、人差し指をそっと私の唇にあてた。


「ミナモが私を知る必要はない。私はミナモを消す存在。そんな相手のことなんて――」


「キリは友達、だよ?」


 キリの頬がすこし染まって見えた。


「ミナモといると面白い。……ううん、楽しい」


 キリが嬉しそうに笑う。


 それを見て、私はこれまで自分が放った言葉がとても恥ずかしくなった。


「きょ、今日も殺人蜘蛛は来なさそうだね!」


 それを誤魔化すように話を逸らす。


「……ずっと、来なければいいのに」


 トーンの落ちた声だった。


 それはキリの本音だったのだろうか。


 屋上に少し湿った風が吹き、揺れるキリの髪で、彼女の表情が隠れる。


「寒くなってきたし、中に入ろっか」


 私がそう提案すると、キリは頷き同意の意思を示した。


 私は鍵のかかった屋上の入り口に向かう。






――カツン……






「ミナモ、なにか落ちた」


 キリがそれを拾い上げる。


「あ、ケロッタ」


 それは以前に冴子達とケロどーに行ったときに貰った限定ケロッタキーホルダーだった。


「ずっとポケットに入れたままだったんだ」


 もう何日も前の話だ。


 キリがケロッタを渡してくれる。


「大切なもの、落とさないようにね」


「うん。ありがと」


 キーホルダーを受けとる。


 改めて見ると、ケロッタはやっぱり変なマスコットだと思う。もっと可愛くならなかったのだろうか。


 私は小さく笑う。


 だけどこれは冴子たちとの思い出。私がヒトとして存在していた時間の証。


 私が私でなくなるその日まで、しっかりと繋ぎ止めておきたい記憶。


 私はそれを強く握り締め、またポケットにしまった。


「じゃあキリ、入ろ」


 キリが目を瞑っている。


 この光景には見覚えがある。


 図書室でのキリの姿。


「来た」


 キリはそう呟き、屋上の端、柵の場所まで駆け寄った。


 私も同じようにして柵まで走る。


 グラウンドを見下ろすと人影がひとつ。ふらふらとしながら校舎へ向かって歩いていた。


 キリは柵を強く掴み、ギリッと奥歯を噛み締めている。


 分かる。


 今のキリからは憎悪にも似た怒りのようなもが感じられる。


「あいつ……!」


 キリには人影の姿がはっきりと見えているようだ。


 私には見えない。


「ミナモ、心してかかりなさい」


 強い口調でキリは言い放つ。


「あれはサエコよ」


「え?」


 全身から血が抜けていくような思いだった。


 キリが懐からナイフを取り出すと、右手で強く握り締めた。


「待って!」


 私はキリの肩を掴む。


「……なに?」


 返ってきたキリの言葉は氷のようだった。


「ど、どうする……の?」


「イレギュラーを消す」


 淡々と、感情なくキリは答える。


「あれは、冴子? それともイレギュラー?」


 『イレギュラーを消す』


 キリはさっきそう言ったのだ。返ってくる答えは決まっている。


「イレギュラーよ」


 分かっていた。


 だからこそ、私はキリを止めたんだ。


「少し、時間をちょうだい!」


「どうするつもり?」


 策なんて何もない。ただの時間稼ぎみたいなものだ。


「話してくる」


「話が通じる相手じゃ……、ミナモ?!」


 私はもう飛び出していた。


 屋上の柵を跳び越え、夜の闇に落ちる。跳んだ場所より、着地点は遥かに下。


 普通なら死んでしまうだろう。


 だけど今の私なら平気。


 だってほら。


「誰……?」


 私は音もなく着地する。砂ぼこりが舞い上がり、夜風に流され消えていった。


「屋上から飛び降りたの? あなた、『ヒト』の形をしてるけど『ヒト』じゃないのね」


 私、バケモノだし。


「冴子……」


 冴子の口が赤い三日月みたいに薄く裂ける。


「そうか。この身体いれものの知り合いなのね。……分かるわ。あなたからも同じ臭いがする。どうやらお仲間のようね」


 瞳の色が逆転している。冴子の白い瞳が私を見下ろしている。


「でも、奇妙な話ね。私たちの仲間がヒトと仲良くしているなんて。……まぁいいわ。その方が私も日常に溶け込みやすいというもの」


「冴子は、どうなったの?」


「どうなった……? これまたおかしな質問ね。あなたも同じことをしてその身体を手に入れたわけじゃないの?」


「私はそんなことしてない」


 冴子は一瞬驚いたような表情を見せ、そのあと納得したようニタリと笑う。


「……へぇ。あなたが『次』というものなの? ふふふ…、まるでヒトね」


 以前会った大蜥蜴も同じようなことを言っていた。


「『次』って、なに?」


「ということは、奴も一緒にいるのかしら?」


 冴子は私の言葉を無視して辺りを見渡す。


 その刹那、青白い線が空を切った。


「…っく!」


「キリ!」


 冴子の後ろからナイフを持ったキリが現れる。


「避けた、か……」


 チッと舌打ちをしながらキリは冴子を睨む。


「あなたが噂のキリングエッジ? もっとゴツいのが出てくるかと思ってたけど、これはまたずいぶんと可愛らしいわね! あははははっ!」


 冴子は楽しそうに笑い出した。


「あんたと一緒。見た目だけで判断しちゃ駄目。それにしても、人語まで理解できるようになったのね。まぁ、その方がいろいろ聞けて助かるっ!」


 キリが刃を振るう。


 しかし冴子はすべてを紙一重でかわしていく。


「躊躇い無いわねぇ。『次』と仲良くしてる相手だと聞いてたけど、あなたには情けというものがないの?」


「お前にかけるものはお前の血だけで十分よ」


 キリが冴子に刃の切っ先を冴子に向ける。


「こわいこわい。だけど、せっかく手に入れたヒトの身体。傷つけられるのは困るわ。たぶん、『次』もそう思ってるんじゃないかしら?」


 冴子が私の方を見る。


 その隙をキリが見逃すはずがない。


 キリは走っていた。


「待って!」


 私はキリと冴子の間に立つ。


 キリは私の前で急ブレーキをかけ止まった。


「だってさ、キリングエッジ」


 後ろで冴子がニタニタ笑っている。


 こんなの、冴子じゃない。


「ミナモ! どうして邪魔するの!!」


「だって! 中身は違っても、身体は冴子だもん!」


「退いて!」


「嫌!」


「ミナモはサエコに人殺しさせたいの?!」


「させない! 絶対!」


 私は振り返る。


「冴子を返して」


「い・や・よ」


 冴子の身体で、声で、仕草で、いちいち気に障る。


「だって、返したら返したで消されちゃうでしょ? ほら、せっかくヒトになれたんだし、いろんなことしてみたいじゃない? あなただけズルいわ」


「返して、ください」


 私は地面に頭をつける。


「ミナモ!?」


「分からないわ。私のためにどうしてそこまでするの? 困るじゃない」


「お願いします」


「あっははは! ほんと、あなたヒトみたい! いいなぁ、いいなぁ、私もあなたみたいになりたい」


 冴子の言葉はどこか羨ましそうだった。


「だからぁ……」


 冴子が私の髪を掴み、無理矢理頭を引き上げる。すぐ目の前に冴子の顔があった。


 いや、冴子じゃない。こんなに憎たらしい顔が冴子のわけがない。


「だぁめぇっ! あっはははは!」


 ふざけるな。


 ふざけるな。


 ふざけるな。


 お前はだめだ。


 間違ってる。


 お前がヒトになれるはずがない。


 お前はヒトの形を被った、バケモノだ。


 私と同じ。


 バケモノ。


「うっ……」


 どうして。


 こんなことに。


「うぅっ……」


 目が熱い。


 なんだろうこれ。


 目が霞む。


 熱いなにかが頬を伝う。


「んー? なにそれ。あなた目から水が出てるわよ?」


 なに?


 なんなの?


「ぅわぁぁ……」


 止まらない。


 なんで。


「ミナモ……、泣いてるの?」


 鳴く?


「私は、鳴いてなんか……」


「……そう。知らないのね」


 『鳴く』、とは違うの?


「ヒトって目から水を出すのね。水不足になっても平気じゃない! すごいすごい!」


「黙ってろ下衆」


 キリが睨み付けると冴子はピタリと止まった。


 『なく』ってなに。


 私はもうなくことはやめたはず。


 ヒトはないたりしない。


 でもキリが言ってるのは私が思ってる『なく』とは違うみたいだ。


「悲しい感情の付属品。……ミナモ、憶えておいて。知識だけじゃ、ヒトは説明できない」


 知識、だけ?


「わっかんないわねぇ、何が言いたいのキリングエッジ?」


 痺れを切らした冴子が口を挟む。


「お前はもっとヒトを知りなさい。その程度でヒトヒトと、馬鹿らしい」


 馬鹿にされているのは冴子にも伝わったらしい。


「調子に乗るんじゃないよ、キリングエッジ」


 今までとは明らかに態度が変わった。


「やる気になった?」


「ふふ、どちらにしろあなたは邪魔だもの。今殺そうが、後で殺そうが関係ないわよね?」


 ぶしゃあっと、赤い飛沫を撒き散らし、冴子の背中から八本の節のついた足が飛び出した。その先には鋭利な爪。犠牲者を無惨に切り裂いたであろう凶器。それは蜘蛛の足。


「殺人蜘蛛め」


「ヒトが勝手につけた名で呼ぶな。虫酸が走るわ」


「お前、虫でしょ?」


「減らず口を……」


 私を挟み、キリと冴子が相対している。


 なんとかして止めなくちゃ。このままじゃ、どちらもただでは済まなくなる。


 でも、身体が動かない。


 いうことをきかない。


 目から流れてくる水が邪魔で、周りがよく見えない。


 ギュッと目を瞑る。


 一度にたくさんの水が流れた。


 だけどそのお陰で視界が戻ってくる。


 私の前を何かが通る。


 キリだった。


 ナイフを構え、髪を靡かせ、青い風のように通りすぎていく。そのキリにいくつもの蜘蛛の足が向けられていた。突き、凪ぎ払い、引き裂き、様々な角度からの攻撃。キリはそれらをかわしてこそいるが、どうしても前に出られないようだ。


「避けるのはうまいわねぇ。だけど避けてるだけじゃだめだって分かってる?」


 そこへ来た甘い突き


 キリがニヤリと笑った。


「ええ、もちろん」


 キリが軽く下ろした刃は、延びきった蜘蛛の足を、中程から切り落とした。


「ギイィィィィィィィ!!」


 それは冴子の声じゃなかった。


 もっとおぞましい、狂気に満ちたバケモノの悲鳴。


 切り落とされた足は、サラサラと灰のようになって風に流されていった。それとともに、落ちた足がついていた足も消えてしまった。


 これで優勢とはいかなくても、楽になったはずのキリの顔は浮かない様子だった。


「……消えない」


 不満そうなキリを冴子が眉を潜め睨み付ける。


「キリングエッジにかかれば、どんな部位でもイレギュラーは消える。だけどお前は消えない」


 私も冴子もキリの言葉を理解できていなかった。


「……そうか。そうなのキリングエッジ?」


 ナイフを掲げ、それを品定めするように眺め、キリはなにかを理解したようだ。


「前例がなかったから知らなかったけど。私の解釈が間違っていたのね。あなたは、『ヒト』を殺せないんじゃなくて『ヒトの形』をしたものが殺せないのね。だからミナモを消すこともできないし、足も付け根はサエコから生えているから、そこまでしか消せなかった」


「あっはははは! とんだ馬鹿ねキリングエッジ! あなた今自分で弱点教えたのよ?! つまり私がこの身体にいる限り安全ってことじゃない!」


 だがキリはさして気にした様子もなく答える。


「いいえ。逆よ。お前はその身体に縛られた。足さえ全部落としてしまえば、あとは煮るなり焼くなりできる」


「……っち、やっぱり『アレ』を早く手に入れないと」

「『アレ』って、なに?」


「あなたに付き合ってる暇はないってことよ!」


 細い何かがキリに向かって飛んでいった。足、ではない。もっと細くて、白い、糸のような。


 それはキリの足に絡み付いた。


「これは……、蜘蛛の糸?!」


 バランスを崩したキリが倒れる。


「こんなもの、切ってしまえば」


 また糸が飛び、今度はナイフを持った腕が絡めとられた。


 キリはもがくが糸は切れるどころか絡まっていくばかりだ。


「知ってる? 蜘蛛の糸はヒトの髪の毛程度の太さになると、ジェット機だって止められるのよ?」


「キリ!」


 私はキリのもとに駆け寄り、絡み付いた糸を何とかしようとしたが。


「さわっちゃ駄目。ミナモも絡まる」


「でも……」


「私はいい。けど、あいつが……」


 見れば冴子は校舎の方へ、いや、校舎裏の方へ歩き始めていた。


「多分、あの場所に向かってるはず」


 校舎裏。


「ミナモは行っちゃ駄目」


「でも……」


「前のこと忘れた訳じゃないでしょ?」


「……うん。……だけど!」


「ミナモ!」


 私は全速力で走った。


 私があんな風になった場所に、あの冴子が近付いていいはずがない。私は冴子の前に両腕を広げ立つ。


「冴子!」


 冴子はいい加減にしろといったような顔だった。


「次はあなた? これ以上邪魔するなら、いくら仲間だって容赦しないわよ?」


 私は冴子を……、いや、冴子の身体を使っているイレギュラーを睨んだ。


「譲ってはくれないみたいね」


 冴子はため息をつく。


「『ヒト』のままで私に勝てると思う?」


 カクンと膝から力が抜けた。


 いつの間にか足から赤い血が流れ出ていた。


 何をされたか分からずにいると、今度は身体が宙に浮いた。


 そして次の一撃。


 それはよく見えた。


 だって、一度見たことがあるコースだったから。初めてキリに会ったとき、彼女が私へ突き立てたナイフと同じコース。


 心臓。


 ドスンと、鈍く嫌な音がした。


 芯から来る衝撃。


 私の身体は地に足を着くことなく、浮いたまま蜘蛛の足に引っ掛かっていた。


「はぁ、あっけない。あなた、ほんと憎たらしいまでに『ヒト』よね」


 冴子はつまらなさそうに私を眺めていた。


「さ、え……こ」


「つまらないつまらない。私はそんな『ヒト』にはならないわ。もっと……」


 言葉の途中で冴子の様子が一変した。


「きゃああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 冴子は『ヒト』の叫び声をあげた。


「水萌! 水萌! どうして?! なに?! どうなっ、私なんで、水萌に、何をして!?」


 おどおどとキョロキョロと、頭を抱え受け入れ難い現実をなんとかかみ砕き冴子は理解しようとしている様子だ。


「冴、子……、なの……?」


「う、うん」


 私を見上げる冴子の瞳は、『ヒト』のものだった。


「水萌、私――、出てくるな前の持ち主のくせに!」


 冴子の声がドスの効いた声に変わった。


「ハッ! さっさと消えろ!」


 瞳の色が逆転した。


 また、イレギュラーにもどったのだろう。


「中途半端なやり方ね、これは!」


 だがわかった。


 本当の冴子はまだ生きている。


宿主あのこがまだ生きてると分かって嬉しい? けどね、あなたには何もできないわよ!」


 冴子が私の身体を投げ捨てる。


 私の身体はポンポンとボールみたいに跳ねて転がり、校舎の壁にぶつかった。


「さあ、これで心置きなく行けるわ」


 冴子が校舎裏へ向かって歩き出す。


 キリはまだ来ない。


 ここからじゃどうなってるかも見えない。


 止めなくちゃ。


 私が何とかしなくちゃ!


 でも身体が動かない。


 自分が呼吸しているのかもわからない。




 寒い。


 辛い。


 寂しい。


 悲しい。




 動けと念じれば念じるほど、気持ちだけ空回りして歯痒い。




 動け!


 動かない。




 動け!


 動かない。




 動いて!


 動かない。




「……動か……、な、い、……なら……」




 いらない。


 こんなもの。


 必要ない。




「ミナモ……」


 ぼやけた視界、虚ろな聴覚。


 聞こえたのは多分キリの声。


 見えたのは多分キリの顔。


 すべてが不確かで、曖昧で、不安で、怖くて、冷たくて。


 ザッと、動いたのは多分キリの足。


 向かったのは多分冴子のところ。




 私。


 きっと。


 死。




「あ……」




 違う。


 駄目。


 立て。


 動け。


 這ってでも。


 どんなに見苦しくても。




「あ゛……」




 死んだのは私じゃない。


 この身体。


 だけ。


 私は。





















 バケモノだ!




















――ぐちゃ……





















 潰れる音がした。


 不快な音だ。


 でもはっきり聞こえた。




 鉄臭い臭い。


 鼻が曲がる。


 だけどしっかり臭う。




 赤。


 警戒色。


 けれど綺麗に見えた。











 走れ。


 まだ間に合う。


 これが最後。


 ううん。
















 『最期』

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