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銀楼

作者: mommonn

銀楼



 場末の小さな酒場、スナック「メトロ」に男がやって来たのは、もう明け方の閉店間際の時であった。接待の女の子たちも皆帰ってしまい、あとは店長でありバーテンでもある藤原一人が店じまいの準備をしていた。

 

 カランと呼び鈴の音が鳴り、ドアを開けて入ってきたのは灰色のトレンチコートを羽織った男だった。いらっしゃい、とカウンター越しに条件反射のように答えてから、藤原は眉をひそめた。


 (ん?クローズの札を出し忘れた・・・のかな)

 

 女の子を全員帰して、その後「店じまいにするか」と確かきちんとドアに札をかけておいたはずであった。だが、男は何の迷いも無く、一直線にカウンター席に向かった。


 「何にします?」


 実際こうして客が入店してくるのだ、おそらく札を出し忘れてしまったのだろう。この客を捌いて、それで今日は暖簾を下ろすことにしよう。そう割り切って、藤原は営業スマイルを浮かべた。

 

 男は「・・・スコッチ」と小さく呟いて注文に答えた。

 

 藤原はすぐに後ろの棚に手を伸ばして、オーダーされた酒瓶を取る。適当にグラスを選んで酒を注ぎ、男の前にグラスを滑らせた。


 「お待たせいたしました」


 男はやはり小さく頷くと、酒を口に運んだ。ちびりちびりとスコッチを飲む男は、終始無言であった。藤原は(寡黙な男だな・・・)と胸内で呟いた。

 

 特に会話しようと思わないなら、カウンター席でなくボックス席を利用すればいいものを。変わった客の相手をするのは、あまり得意ではない。このまま酒を飲んだ後、そのまま帰ってくれればいいが・・・。

 

 藤原は改めて、男に視線をやった。

 

 白いものが混じる頭髪の下に冴えない顔をぶら下げている。疲れているのだろう、その表情は生彩に欠いていた。終電を逃したサラリーマン、そんな雰囲気の男である。年齢は、そろそろ50に手が届くといったところか。




 「なぁ、マスター」


 唐突に男が言った。


 「はい、なんでしょう?」いきなりのことで多少驚いたが、藤原は慌てて平静を取り繕って、言った。


 「この女を知ってるかな?」男は胸元を探って、一枚の写真を取り出した。

 「女・・・ですか」写真には、まだ若い女が写っていた。

 「さぁ・・・・知り合いでは・・・ないですね。見たことはありません」

 「そうか・・・」男はそう言って、写真をポケットにしまった。そして、緩慢な動作で、今度は黒っぽい手帳を抜き取って、こちらへ掲げて見せた。

 「すまないね・・・俺はこういう者だ」


 それは、警察手帳だった。


 「北署の捜査一課、北山寛治巡査部長。警察・・・だ」

 「刑事さん・・・・ですか」


 北山と名乗った警官は「仕事でね・・・」と苦笑した。


 「何かあったんですか?もしかして、さっきの女性の写真も・・・」

 「あぁ・・・そうだ」北山はふうっと息をついて「昨日、殺しがあった」

 「殺し?」


 大きく頷くと、北山は声を潜めた。


 「K団地を知ってるか」

 「あぁ、K団地。それなら知ってますよ、ここからそう遠くないですし」

 「そこで、女の惨殺死体が見つかった。後ろから腹部を一突き、その後胸を滅多刺しにされていた。鑑識によれば、巨大な出刃包丁のようなものが凶器らしい」

 「・・・惨いですね」

 「あぁ・・・だが、金品を奪われていたから、強盗殺人の線で捜査は進んでいる」

 「そうですか・・・で、ここへはどうして?捜査の一環ですか?」

 「そういうことになるな」北山は頷いたが、その目からは挑戦的な光が漏れていた。

 「ただな、俺はどうも強盗殺人ではないような気がしているんだ。怨恨・・・なんじゃないか、とね」

 「どうしてです?」

 「何より殺され方が酷すぎる。鑑識の話では、犯人は被害者が完全に息絶えた後も、なおも何度も何度も刺したらしい。しつこいぐらいに、な。それに・・・これは、俺の勘の様なものだが・・・痴情のもつれか何かがあったんではないか、と踏んでいる」

 「痴情・・・?」

 「だから、殺され方だよ。被害者はまず後ろから腹部へ一突き喰らっているんだが・・・その刺し傷からして・・・刺され方が逆手なんだよ。逆手」

 「逆手?」

 「あぁ・・・つまり、向かい合ったまま・・・より正確に言うと、被害者は抱き合った状態でその抱き合っている相手に後ろ手で背部を刺されたんじゃないかと俺は踏んでいる。そうすれば逆手の刺し傷になる。不意打ちでそのまま後ろから刺された、とは考えにくいんだよな」

 

 そこまで言って、北村は酒を一口飲んで、口を潤した。


 「ようするに・・・恋人もしくは抱き合うほど好い仲の相手に殺された。ま、そうでなくてもどちらにせよ、人見知りによる殺し、だと俺は思うわけだ。金品を盗んだのはカモフラージュ。捜査の攪乱を狙っているんではないか、とね」

 「そうですか・・・」

 「物言いたげな顔をしてるな、マスター。分かっているさ。俺がここに来た理由、だろう。それはな・・・被害者の財布にこんなものが入っていたからだ」


 北山はまたゴソゴソとポケットをあさり、しわくちゃになったビニール袋を一つ取り出した。中には、マッチ箱が入っていた。


 「マッチ・・・?」

 「そう、マッチだ。ここの店でもこれと同じ種類のマッチを配布しているよな」

 「はぁ・・・確かに。けれど、このマッチは全国的にどこの店でも使われるようなポピュラーなものですよ」

 「あぁ、そうだ。しかしな、この現場付近で、こういうマッチを配っているような飲食店の数ってのはそうたくさんは無いんだ。しかも、ここを見てみてくれ」北山はマッチ箱の裏面を指差した。そこには・・・小さく「MTR」と走り書きされていた。

 「この文字だがな・・・もしかしたら「メトロ」の頭文字なんじゃないか。誰がどういう経緯でこんなところにこんなものを書いたのか、それは分からないが・・・この文字が「メトロ」を指す可能性は十分すぎるほどあるとは思わないか?なによりここは現場から近いしな」

 「は、はぁ・・・」

 「つまりだ、この店に被害者が来ている可能性が高いということになるんだが・・・マスター、君はさっき彼女は見ていない・・・と言っていたな。それなら・・・男を見なかったか?」

 「男?」

 「あぁ。先の写真の被害者がこの店に来ていないというのなら、彼女はそのマッチを誰からか貰ったことになる。それが・・・犯人である可能性が、これまた十分すぎるほどあるわけだ。その犯人がこの店に来ている可能性も、ね。そして、おそらく今件は「痴情のもつれ」から発展したものだと思う。だから、最近恋人と上手くいっていないだとか言う男の客、そんな奴を見ていないか?」


 そうだ、思い出した、と北山は手を打った。


 「そうそう、それでその男だがな、おそらくどこか怪我をしてるはずだ。被害者の爪に、犯人の皮膚細胞が若干残っていた。おそらく、引っかかれたか何かされたんだろう・・・で、どうだ。何か気付いたことはないかな?」


 藤原はしばらく黙り込んで、顔を上げた。


 「さぁ・・・そういうお客様は知りませんね。すみません、お役に立てそうも無く」

 「・・・そうか・・・いや、すまなかった。これが仕事なんでね。迷惑と分かっていても、どうしようもない。もう店じまいだったんだろ。邪魔したな」

 「いえ、こちらもこれが仕事ですから」藤原がそう言うと、北山は「ははっ、違いない」と苦笑した。

 「それでは。また訪ねることもあると思う。それと、何か思いついたことがあれば、他に怪しい奴を見かけたら、連絡をくれ」

 「はい、分かりました」


 北山は酒代と連絡先を書いた紙を残して、相変わらず緩慢な動作で店を後にした。


 


 

 藤原はそのまま彼を見送って、しばらく無表情でじっとしていたが、ふっと小さく笑いを洩らした。そして、北山が置いていった連絡先の書かれた紙を摘み上げ、びりびりと引き裂いて、ゴミ箱へ捨てた。

 

 なかなか勘のするどい刑事だ、と藤原は思った。彼の推理力は大したものだ。彼の語った話は、ほぼ全てが事実であり真実であった。けれど・・・刑事であるにも関わらず、人を見る目はあまりないらしい。


 藤原は、ストレートヘアの黒髪を掻き揚げて、ほっそりとしたうなじに手をやった。一昨日の夜に出来た傷は、もうその血は止まっていて、ごつごつしたかさぶたで傷口は覆われている。

 

 もし私が・・・男・・・だったならば、北山はいの一番に私を疑っていたかもしれない、藤原涼子は考えた。この首の怪我が見つかれば、尚更だろう。しかし、あの刑事には、私を容疑者の一人として見ることが、できなかったのだ。それは当たり前のことかもしれないが・・・涼子にとっては、幸運であった。そもそも彼は「痴情のもつれ」による犯行と考えていたから、余計にそう思ったのかもしれないが、けれども・・・彼の考えは、一点を除けば、ずばり的中している。

 

 

 

 「来月、結婚する。だから、私たち二人の関係はこれで終わり」あの女はそう言った。結婚相手は職場の上司だそうだ。お見合いらしい。


 冗談じゃない。自分だけ幸せになろうなど・・・冗談じゃない。関係を白紙に戻そうなどとよく言えたものだ。一昨日の夜、涼子は女を呼び出した。そして・・・北山が言ったように、まったく同じ方法で同じやり方で・・・彼女を、殺した。

 

 しかし・・・マッチ、か。あんなものをまだ持っていたとは・・・律儀なことだ。確かに、あれは涼子が女にやった物だ。ライターを忘れたとかどうとかで。「MTR]も無論のことながら、このスナック「メトロ」をおそらく意味しているに違いない。彼女が、涼子の仕事場の話でも聞いたときに、無意識に書いたか何かしたのだろう。


 

 

 流し台の下の棚には、大きな出刃包丁が放り込んである。女手に余る代物だ。大学時代に本格的にテニスをやっていて、人より握力・腕力とも相当に強い涼子だからこそ、簡単に扱うこともできた。この大きな包丁も、もしかしたら北山の先入観を煽ったのかもしれない。


 柄にもべったりと血のついたこいつの処分を急がなければならない。かと言って、不用意に捨てては足がつく。凶器の処遇は今日中に決めよう。今夜の営業まで時間はまだある。一日かけて、じっくりと考えればいい。

 

 藤原涼子はそっと表に出て、誰も入ってこないように、今度こそきちんとドアにクローズの札をかけた・・・。




グダグダですね・・・なんか(汗)きちんと筋が立ってないような気がする・・・。

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― 新着の感想 ―
[一言] てっきり警察が犯人なのかと思いました↓マスターが自分の顔を覚えてるか確認しに来たみたいな感じで。 頑張って下さい!!
[一言] キレイにだまされましたw 文章も読みやすく、良かったです。 これからも頑張ってください!
[一言] 完成度の高いショートショートでした!こうゆう騙され方好きです。
2007/01/14 09:29 退会済み
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