ep.5 札場の壁と初めての選択
札場って聞いてたから、もっとガヤガヤしてるかと思ってた。 依頼の取り合いとか、怒鳴り声とか、そういうの。 でも実際は、静かだった。 壁一面に札が並んでて、木の板が整然と貼られてる。 その様子が、なんだか“生きてる”みたいに見えた。
空気は澄んでて、墨の匂いがほんのり漂ってる。 床は磨かれていて、足音が吸い込まれるように響かない。 まるで、ここだけが別の時間に包まれてるみたいだった。
ミナが札に手をかざすと、指先にやわらかな光が灯った。 光は札の表面をなぞるように広がって、墨文字がふわっと浮かび上がる。
「これ、荷運び。市場から薬草屋まで。猫銭12枚。初心者向けだね」
いつもの調子でそう言って、札をそっと戻す。 その動きが、なんだか札と会話してるみたいだった。
俺は壁を見渡してみたけど、どれも似たような札に見える。 墨の文字は読めるようになったけど、意味がすっと入ってくるわけじゃない。 でも、視線の先でひとつだけ、微かに揺れてる札があった。
風じゃない。誰かが触れたわけでもない。 それなのに、その札だけが、ほんのわずかに揺れていた。
「素養あるなら、感じてごらん。札の声を」
ミナの言葉に、俺はそっと手を伸ばした。 指先が札に触れた瞬間、胸の奥がピリッと震えた。 痛みじゃなくて、目覚めるような感覚。
札が語りかけてきた。 いや、語るっていうより、響いた。 言葉じゃなくて、意味が心に染み込んでくるような感じ。
【迷い猫の捜索】 黒猫“クロノ”が行方不明。依頼主は茶屋の常連。報酬は猫銭8枚+団子1串。
「……猫?」
思わず声に出すと、ミナが笑った。
「いいじゃん。初依頼にしては、縁があるかもね。猫影茶屋の常連なら、猫神様の気配も濃いし」
札を手に取ると、木の表面がほんのり温かかった。 指先に残るぬくもりが、なんだか生き物みたいで。 猫神様の“気配”が宿ってるような、そんな感触だった。
札の裏には、小さな猫の足跡みたいな印が刻まれていた。 それを見た瞬間、胸の奥でまた“揺らぎ”が広がった。
「これにします」
受付に札を提出すると、修徒帳に新しい記録が刻まれた。 帳の表紙にある爪痕が、ほんのわずかに光った気がした。 目に見えるほどじゃないけど、確かに“反応”してた。
初めての依頼。 まだ何もわかんない。 でも、何かが動き出した気がした。
それは、猫の足音みたいに静かで、でも確かな始まりだった。 札場の空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。 壁の札たちが、俺を“仲間”として受け入れてくれたような、そんな気配。
ミナが隣で、ふっと息を吐いた。
「さあ、クロノ探しだね。猫は気まぐれだけど、神様の猫はもっと気まぐれだよ」
俺は修徒帳を胸に抱えて、札をそっと見つめた。 その木札は、まるで小さな灯火みたいに、手の中で静かに息づいていた。




