ep.195 帳簿と紙束と、香の笑顔
ギルド庁舎の朝は、いつもより少しだけざわついていた。 帳簿の山、紙束の束、そして香の「わわっ、すみませんっ!」という声が、 商人ギルドの受付奥から響いてくる。
「……あの、これ、どこに運べばいいんでしょうか」
ラディは、両手に抱えた紙束の重みに少しだけ眉をひそめながら、 受付カウンターの向こうにいる香に声をかけた。
「あっ、ラディさん!ありがとうございますっ。えっと、それはですね……」 香は慌てて帳簿をめくり、インク瓶を倒しかけて、また慌てて手を伸ばす。 その様子を見ていた椛が、くすりと笑った。
「香ちゃん、落ち着いて。ラディさんたち、ちゃんと聞いてくれるから」 「は、はいっ……すみません……!」
香は顔を赤くしながら、紙束の行き先を指さした。 「そ、その紙は、奥の保管棚の左から二番目に……あっ、でも、先に仕分けが……!」
「じゃあ、俺が仕分けやるよ。どれがどれか、教えてくれれば」 ラディがそう言うと、香はぱっと顔を上げて、少しだけ安心したように笑った。
「……ありがとうございます。ほんとに、助かります」
作業の合間、椛がこっそりと紙袋を差し出してきた。 「はい、これ。香が焼いてきたんですよ。塩パン。朝から働いてくれてるお礼です」
「えっ、香さんが?」 「ふふ、帳簿はちょっと苦手だけど、パンは得意なんです」
ラディは紙袋を受け取り、まだほんのり温かい塩パンを見つめた。 ひと口かじると、ほんのりとした塩気と、やさしい香りが口の中に広がる。
「……うまいな、これ」 「でしょ?」椛がにっこり笑う。
香は少し離れたところで、帳簿と格闘しながらも、 ちらりとこちらを見て、照れくさそうに目をそらした。
ラディは、紙束を棚に収めながら、ふと思った。 これは戦いじゃない。けれど、確かに“町を支える仕事”だ。 そして今、自分はその一部になっている。
紙の香りと、塩パンのやさしい味。 それが、今日の“町の風”だった。




