ep.160 夜明けの月
リンダは、可憐の隣で刺繍糸の整理をしていた。 淡い色の糸が、木箱の中にふわりと重なっている。
「この色、月の光みたい……」 リンダが、白に近い銀糸を手に取ってつぶやく。
「それ、“夜明けの月”って名前なの」 可憐が、そっと微笑んだ。
「夜明け……?」 「真夜中の銀じゃなくて、朝に消えかける月の色。 少しだけ、青が混じってるの。ほら、こっちと比べてみて」
可憐が差し出したのは、“真夜中の月”という名の糸。 たしかに、ほんの少しだけ、色が深い。
「……すごい。こんなに違うのに、言われなきゃ気づかない」 「でも、気づいたでしょ? それが大事なの」
リンダは、そっと“夜明けの月”を手元に残した。
一方、ジョナサンは琴詠の筆運びをじっと見つめていた。 筆先が紙に触れるたび、細く、繊細な線が浮かび上がる。
「……記録って、こういうのも含めるべきなんでしょうか」 ふと、ジョナサンがつぶやいた。
「どういう意味かしら?」 琴詠が筆を止めずに尋ねる。
「筆の動きとか、間の取り方とか…… 数字や言葉じゃ表せないものが、ここにはある気がして」
琴詠は筆を紙から離し、少しだけ考えるように目を伏せた。
「“間”は、音楽にも、絵にも、言葉にもある。 でも、それを記録するのは難しいわね」
「……はい。でも、だからこそ、書き残したいと思うんです」
琴詠は、静かにうなずいた。
「なら、あなたの“間”で、書いてみるといいわ。 きっと、誰かに届くから」
ジョナサンは、少しだけ目を見開いて、 それから、ゆっくりとうなずいた。




