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禁書庫に入るため「恋愛感情禁止」の条件で婚約した天才伯爵様が、なぜか私に執着して離してくれません。

作者: たまユウ

「これは、王立アカデミーの禁書庫に入るための、一年間限定の契約婚約だ」



 華やかな発表会どころか挨拶もそこそこに、埃っぽい書庫で告げられたその言葉が、私、ノア・アンダーソンの偽りの婚約の始まりだった。

 本日、私の婚約者になった男、”氷血の伯爵”と噂されるアークライト・フォン・ヴァレンティン伯爵の言葉に、私は静かに頷いた。


「承知しております」


 普通の令嬢なら、頬を染めて夢見心地になる場面だろう。だが、私たちの場合は違う。夢どころか、現実感すら霞がかって見える。


 目の前には、天井まで届く巨大な本棚。床には読み解かれるのを待つ羊皮紙の巻物が山積みになっている。空気には古い紙とインクの匂いが満ちていて、窓から差し込む光が埃をキラキラと照らし出していた。

 どこを見ても、知の探求以外には興味がない、という主の意思が溢れている。私が今まで働いていた街の図書館なんて、ここの一角にすら満たないだろう。


 そんな魔術師の研究室もかくや、という書庫の片隅で、まるで業務連絡のような会話は続く。


「君には婚約者として、週に三度、俺の研究の手伝いをしてもらう。具体的には、禁書庫の古文書の解読と整理だ。それ以外で君がどう過ごそうと自由だ。金も生活に必要な分は提供する」

「承知いたしました」


 アークライト様は、若干二十歳で伯爵位を継ぎ、ヴァレンティン伯爵家が代々受け継いできた古代魔術の研究を進め、実際に使用することに成功した天才だ。陽の光を弾くプラチナブロンドの髪に、理性を映すサファイアの瞳。その冷たい美貌で向けられる視線は、どんな熱も凍てつかせると言われている。


 そんな神に愛された才能の持ち主の婚約者に選ばれた私といえば──しがない街の図書館司書。特徴のない茶色の髪に、特徴のない茶色の目。よく言えば「親しみやすい」、悪く言えば「その他大勢」である。

 彼と私では、住む世界が違いすぎるのだ。


 私が選ばれた理由は、彼が私の隠れた魅力を見出したから──なんて少女小説みたいな展開ではなく、極めて合理的な取引の結果だ。

 彼の研究には王立アカデミーの禁書庫にある古文書が必要不可欠だが、その書庫は王族か、それに連なる血族、あるいはその婚約者にしか閲覧が許されていない。そこで、彼が伯爵の権力を使い調べたところ、私がなぜか王家の遠縁にあたることがわかったらしい。そんなこんなで私の血筋が、禁書庫の扉を開ける『鍵』になる、というわけだ。


 そして私には、この話を受け入れるだけのメリットがあった。

 私の夢は、いつか自分だけの小さな古書店を開くこと。そこへ『契約満了後、謝礼として店の開店資金を全額援助する』という、天使の囁きが舞い込んだのだ。断る理由など、あろうはずもない。


「君がこの婚約をどう思おうと俺は気にしない。だが、一つだけ勘違いしないでほしい」


 ふと、彼の声が一段低くなった。勘違いする要素などないが、と思いながらも、私は真剣な顔で「はい」と頷く。


「俺に、恋愛感情を抱かないでもらいたい。これは純粋なギブアンドテイクの関係だ。もし君が契約以上の感情を抱くようなことがあれば、その時点でこの話は破談。もちろん、開店資金の話も白紙に戻す」


 彼の声は温度がなく、まるで魔法の契約書を詠唱するような響きがあった。

 その一瞬、彼の完璧な無表情が、ほんのわずかに歪んだのを私は見逃さなかった。まるで、何か痛みをこらえるように眉根を寄せ、すぐにいつもの冷たい貌へ戻る。

 ……気のせいか。天才ときたら自意識が大山(たいざん)の頂上より高いものだ。私があなたに恋をするなんて、それこそ天地がひっくり返ってもあり得ない。


「ご心配には及びません。承知しております」


 私は微笑みさえ浮かべて、ハキハキと答えた。



―・―・―



 そうして始まった契約生活は、驚くほど穏やかに過ぎていった。

 アークライト様との仲は『良好なビジネスパートナー』と言って間違いない。意外なことに、彼と私は妙なところでウマが合ったのだ。

 それは、甘いものに対する情熱だ。


 彼は研究で行き詰まると、どこからともなく極上の焼き菓子を取り寄せ、黙々とそれを食べる習慣があった。そして、なぜかいつも私の分まで用意してくれるのだ。

 曰く、「糖分は脳のエネルギー効率を上げる。君の解読速度が上がれば、俺の研究も進む。これは合理的な投資だ」とのこと。なるほど、実に彼らしい理由である。


 それでも、夜遅くまで古文書と格闘した後、彼が淹れてくれたハーブティーと、有名パティスリーの限定モンブランを二人で食べた時間は、悪いものではなかった。

 古文書に記された『妖精の祝祭で振る舞われた伝説の蜜菓子』の記述を巡って、二人で「きっと蜂蜜と木の実のタルトのようなものだ」「いや、花の蜜を固めた琥珀糖に近いのでは」と熱く議論し、気づけば夜が明けていたこともある。

 あの時、彼が「君の着眼点は面白い」と、本当にわずかに口元を緩ませたのを見て、私の心臓が少しだけ跳ねたのは……きっと気のせいだ。疲れていたのだろう。


 彼は見た目の冷たさとは裏腹に、私が作業しやすいように書庫の環境を整えてくれたり、解読に行き詰まった私に的確なヒントをくれたりした。見た目通りの天才だが、想像していたよりはずっと、面倒見のいい人だった。


 契約で繋がれただけのドライな関係。

 そう思っていたはずなのに。


 そんな生活が三ヶ月ほど過ぎたある日、彼から思いがけない命令が下された。


「ノア。三日後、王家主催の夜会に出席する。準備をしておけ」

「や、夜会、ですか? 私のような者が参加するなど……」

「君は俺の婚約者だ。公的な場に顔を見せ、我々の関係が順調であることを周囲に示すのも仕事のうちだ。これも合理的な判断だ」


 また合理的な判断、と私は心の中でため息をついた。

 正直、気乗りしない。きらびやかな社交界など、本のインクの匂いが好きな私には縁遠い世界だ。


 そして当日。侍女たちによって念入りに化粧を施され、月光を思わせる淡いラベンダー色のドレスに身を包んだ私を見て、迎えに来たアークライト様が、初めて見る顔で固まっていた。


「……アークライト様?」

「……ああ。いや……」


 彼は何かを言いかけて口をつぐむと、気まずそうに顔を逸らした。その耳が、ほんのり赤い気がしたのは……きっと気のせいだろう。


「……そのドレス、よく似合っている」


 ぼそりと呟かれた言葉に、私の心臓がまた小さく跳ねる。


 会場に着くと、案の定、アークライト様は注目の的だった。アークライト様にお話ししようと数多の人達が声をかけにきていた。それとは別に王国の至宝とまで謳われる天才伯爵の隣に立つ、名もない司書上がりの婚約者に対しても好奇と侮蔑が入り混じった視線が突き刺さる。

 次々と挨拶に来る華やかな令嬢たちに囲まれる彼を見て、私は「やはり住む世界が違う」と実感し、そっと輪から離れて壁の花に徹することにした。


 その時だった。


「ヴァレンティン伯爵の婚約者殿、ですね? ハワード子爵と申します」


 穏やかな声に振り向くと、人の良さそうな若い貴族が立っていた。

 彼は古代魔術の研究家らしく、私の専門が古代語の解読だと知ると、目を輝かせた。


「先日発表された古代ルーン文字の新たな解釈について、ぜひご意見を伺いたい! あれは画期的だ!」

「まあ! あの論文を! 私も、あの部分の解釈には少し疑問があって……」


 久しぶりの専門的な会話に、私もつい夢中になっていた。伯爵邸では、アークライト様以外にこんな話ができる人はいなかったからだ。


 その瞬間。


「――楽しそうだな」


 地を這うような低い声と共に、強い力でぐいと腕を引かれた。

 見上げると、そこには能面のように無表情なアークライト様が立っていた。しかし、そのサファイアの瞳の奥には、見たこともないほど冷たい光が宿っている。


「アークライト様……」

「ハワード子爵、私の婚約者から離れていただこうか」

「こ、これはヴァレンティン伯爵。いえ、ただ研究の話を……」

「話は終わったようだ」


 有無を言わさぬ威圧感に、ハワード子爵は顔を引きつらせて去っていく。

 アークライト様はそのまま私の腕を掴むと、人気のないバルコニーへとずんずん歩いていく。


「お待ちください、アークライト様!」

「黙ってついてこい」


 バルコニーに着くと、彼は乱暴に私の腕を離した。


「申し訳ありません。ですが、あの方はただ研究の話を……」

「言い訳は聞きたくない」


 ピシャリと言い放つ彼に、私はムッとする。


「では、何がいけなかったのですか? あなたは、ご自分の仕事に夢中で、私を放っておいたではありませんか」

「それは……!」

「私だって、社交の場は苦手です。ですが、あなたに恥をかかせないように、必死で……!」


 私の言葉に、彼がぐっと息を呑んだ。


「……君は、俺の婚約者だ。伯爵夫人となるべき人間が、見知らぬ男と軽々しく笑い合うなど、あってはならない」

「……!」

「それに……」


 彼が悔しそうに顔を歪める。


「……俺以外の男と、あんなに楽しそうに笑うな」


 吐き出すように呟かれた言葉に、私は耳を疑った。

 それはまるで、駄々をこねる子供のような響きを持っていた。

 顔を上げると、彼は苦々しい顔で夜空を見上げていた。その横顔は、嫉妬、と呼ぶにはあまりにも切なそうで、私の心臓が、ドクンと大きく音を立てた。


 これは契約だ。これは仕事だ。

 そう自分に言い聞かせ続けてきたはずの防壁に、大きな亀裂が入る音がした。



―・―・―



 バルコニーで彼に独占欲?をぶつけられて以来、私とアークライト様の間に、奇妙な空気が流れるようになった。どこかぎこちなく、お互いの顔をまともに見られないような、そんなむず痒い日々。


 夜会から数日後、私は書庫で彼に呼び止められた。


「ノア」


 真剣な声に、心臓が跳ねる。彼が差し出してきたのは、美しいベルベットの小箱だった。


「これは……?」

「開けてみてくれ」


 促されるままに蓋を開けると、中には繊細な銀細工にサファイアが埋め込まれた、美しい髪飾りが入っていた。私の瞳の色と同じ、深い青色。


「こんな高価なもの……いただけません! 契約外です!」


 私が慌てて箱を返そうとすると、彼はそれを大きな手で制した。


「だから、いいんだ」

「え……?」

「これは『契約』で贈るものではない。俺が、君に贈りたいから贈るんだ。……もう、わかるだろう?」


 真摯な瞳で、彼はそう言った。


 『もう、わかるだろう?』――その言葉が、私の頭の中をぐるぐると巡る。

 わかるはずがなかった。契約外のプレゼント。個人的な好意……? いや、まさか。この人が、私に?

 では、どういう意味……? 今後の研究への協力を期待しての先行投資? 夜会での私の振る舞いを許し、これからも伯爵家の婚約者としてしっかり役目を果たせという激励?


 彼の真意が測りかねるまま、私は曖昧に微笑んでその場を繕うことしかできなかった。


 その日から、彼が私のことをどう思っているのか分からず、私の心は混乱した。


 そして決定的な出来事が起こる。彼があの麗しい王女殿下の肖像画を、物憂げな瞳で見つめているのを見てしまったのだ。


 ――ああ、そうか。わかってしまった。


 その瞬間、私の頭の中で、点と点が線で結ばれてしまった。


以前、侍女たちが噂していた。王女殿下は大変な読書家で、特に古代の伝承にお詳しい、と。

私と、同じ。

――だとすると…。伯爵様が惹かれているのは、私ではない。私の中にある、『王女殿下との共通点』だけなのだ。

だから、彼は私に興味を示し、優しくしてくれた。だから『契約』ではないと言ったのだ。契約相手としてではなく、手の届かない人の『代用品』としての役割を、私に求めている。


 胸に突き刺さる痛みに、私は奥歯を噛み締めた。

 もう限界だった。契約満了の日が来たら、予定通り、静かに彼の元を去ろう。それが、私の最後のプライドだ。



―・―・―



 その決意を固めてから、残りの数ヶ月はあっという間だった。

 アークライト様の研究は最終段階に入り、彼は研究室に籠りきりになった。顔を合わせる時間はほとんどなく、私の心は安堵と寂しさでぐちゃぐちゃだった。


 そして、契約最後の日が、目前に迫った夜。

 深夜になっても研究室の明かりが消えないのを案じて、私は夜食のサンドイッチと温かいミルクを盆に乗せて運んだ。

 静かに扉を開けると、彼は机に突っ伏したまま、規則的な寝息を立てていた。


「……無理、しすぎですよ」


 その無防備な寝顔がなんだか普段の彼と違いすぎて、私はつい、近くにあったブランケットをそっと掛けてあげた。

 その時だった。


「……ノア」


 囁くような、甘く、切ない響き。

 寝惚けた彼が、はっきりと私の名前を呼んだのだ。


 一瞬、私は心臓が凍りついたかと思った。

 何が起きたのか理解できず、その場で固まってしまう。

 あの合理性の塊みたいな彼が、そんな声で、私の名前を……。

 いや、きっと寝言だ。幻聴だ。そうじゃなきゃ説明がつかない。

 でも、ほんの一瞬、「もしかして……」なんて期待してしまった自分が、本当に愚かで、惨めで、涙が出そうだった。


 私は逃げるように研究室を後にした。

 もう、迷わない。明日、この屋敷を出よう。









 契約満了の日。

 私は夜明けと共に荷物をまとめ、街へ戻るための馬車を手配した。

 彼への最後の「投資」のお礼に、得意のアップルパイをホールで焼いた。そして、万年筆を手に取り、一枚の便箋に向かう。


『一年間、大変お世話になりました。』

 ありきたりの言葉しか出てこない。伝えたい感謝も、募る想いも、インクに滲んでしまいそうで、書けなかった。

『あなたのおかげで、私の夢が叶います。本当に、ありがとうございました。あなたの研究の成功と、幸せを心から願っています』

 それだけを綴り、そっと封をした。


「……さようなら、アークライト様」


 まだ主の眠る研究室の扉の前に、そっとパイと手紙を置く。

 振り返らずに、私は伯爵邸を後にした。これでいい。これが、私たちの関係には相応しい結末なのだ。

 胸が張り裂けそうに痛むのを、夢への期待で無理やり押さえつけながら。


――数時間後。王都へ向かう馬車が森の道を抜ける途中、突如、前方がまばゆい光に包まれた。


「な、何事だ!?」


 御者が驚くのも無理はない。これは古代魔法に分類する転移魔法。空間がぐにゃりと歪み、そこから一人の男が転がり出てきたのだから。


「はぁ……っ、はぁ……! ノアッ!!」


 息を切らし、髪も服も乱れたその姿は、いつも冷静沈着な”氷血の伯爵”とは似ても似つかない。

 彼は馬車に駆け寄ると、私の腕を掴んで力強く引き寄せた。


「アー……クライト、様……?」

「なぜだ! なぜ勝手にいなくなる!」

「ですが、契約は……今日で満了、です」

「そんなもの、俺はとうの昔に破棄したつもりだ! 君は、俺との婚約を破棄したいのか!?」


 その言葉に、私は戸惑う。破棄したつもり……? いつ?


「……わかりませんでした。あなたがくださった髪飾りも、あの言葉の意味も……私には、最後まで……」

「何を言って……! あれは、契約という枠組みを超えて、俺個人の気持ちを伝えたつもりだったんだぞ!」

「え……?でもあの王女殿下の肖像画を物憂げな瞳で見られておりましたのは…?」

「肖羅像を見ていた?ああ、それはただ、悩んでいた時にたまたま肖像画を見ていただけだ!あれは母方の遠い親戚で、一度しか会ったこともない! っ…、こんなことで君に誤解されたままなんて耐えられない!」


 必死な叫び声に、私は言葉を失う。

 じゃあ、あの寂しそうな目は、一体……。


「俺は、君のことが……!」

「……研究、ですか?」

「違うッ!!」


 雷のような一喝だった。


「研究などではない! 最初から、ただの口実だったんだ! 初めて図書館で君を見かけた時から、君から目が離せなかった! 『恋愛感情を抱くな』と言ったのは、俺自身に言い聞かせせていたんだ! 君に惹かれている自分を律するための、最低な言い訳だった……!」


 堰を切ったように溢れ出す、彼の言葉。その一つ一つが、私の心の固い蓋をこじ開けていく。


「お願いだ、ノア。どこにも行かないでくれ。契約じゃない、俺の、本当の婚約者になってほしい」


 彼の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 それを見た瞬間、私の涙腺も、もう限界だった。


「……ばか」

「ああ、馬鹿だ」

「……不器用、すぎます」

「……本当に、すまない」

「……私も、ずっと、あなたが好きでした……! あなたが淹れてくれるハーブティーも、一緒に食べたスイーツも、夜が明けるまで古文書の話をしたあの時間も…、全部、私にとっては宝物でした…! 契約だからと、あなたには想い人がいるからと、何度も諦めようとしたのに…、どうしても、あなたが好きで、好きで、たまらなかったんです……!」


ようやく絞り出した私の声は、涙で震えていた。

言えないはずだった言葉。胸の奥に閉じ込めて、固く鍵をかけたはずの想い。それが今、彼の涙を見て、いとも簡単に溢れ出してしまった。この一年、どれだけこの言葉を飲み込んできたことだろう。


 次の瞬間、力強く抱きしめられた私は、彼の胸の中で、子どものように声を上げて泣いた。


 どれくらいそうしていただろうか。少し落ち着いた私が顔を上げると、彼は安心したように、それでいてまだ不安そうに私を見つめていた。


「……それにしても、転移魔法で追いかけてくるなんて、無茶苦茶です。心臓が止まるかと思いました」

「君が黙って消える方がよほど無茶苦茶だ。俺の心臓は止まった」

「手紙、読んでいただけましたか?」

「ああ。あの素っ気ない文面は何だ。もっと書くことがあっただろう。『愛しています』とか」

「……っ! アップルパイは!?」

「……まだ、食べていない。君と一緒に食べると、もう決めた」


 その言葉に、私はたまらなくなって、ふふっと笑ってしまった。


「食いしん坊ですね、伯爵様」

「……アークライト、と呼べ。もう伯爵様は禁止だ」


 そう言って拗ねたように唇を尖らせる彼に、私はもう一度、「アークライト」と呼びかけ、彼の胸に顔をうずめた。



―・―・―



 その後、私たちはどうなったのか。まあ、ご想像の通りだ。

 私たちは正式に結婚し、子どもは三人生まれた。全員、私とアークライトに似て本が好きで甘いものが好きだ。


「愛している」が挨拶代わりの夫は、私が他の男性と少しでも話をすると、今でもすぐに拗ねる。

 一度、「私を研究対象にしていいのは貴方だけですよ?」とからかったら、「当たり前だろ!」と真顔で肯定されたのは、思わず笑ってしまった。


 夢だった古書店は、『ヴァレンティン伯爵夫人直営店』として王都で大人気だ。

 こうして、私の古書店には、世界で一番厄介で、世界で一番愛しい常連客が毎日やってくるようになった。彼が持ってくるのは極上のスイーツと、とろけるように甘い愛の言葉だ。




私の人生で最も甘くて難解だった古文書は、どうやらこの不器用な天才魔術師の心だったらしい。






ここまでお読みいただきありがとうございました!

伯爵家の権力を使い契約婚までしたのに、「恋愛感情を抱くな」と言ったりするなど。アークライトは、ある意味、軽度のヤンデレだなと思いながら書いてました笑


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― 新着の感想 ―
自分で言っといて確認もせずに破棄したつもりとか身勝手ってレベルじゃないだろ まともなコミュニケーションを取れないやつと本当に夫婦になったとしても、自己解釈の言葉足らずに振り回されるだけでお互いにいいこ…
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