第五話 魂を誘う白提灯
地下都市の図書館は、まるで巨大な豆腐のような、鉄筋コンクリートの頑丈な建物。普通の建物と違って、貴重な本の状態を保つ為、内部の湿度や温度を細かく設定できるように気密性が高くなっている。出入り口は三重の扉になっていて、それぞれで顔認証が行われる。
地球が滅ぶ前、地上で作られた本は写本でしか読む事ができなくて、図書館外部には持ち出し禁止。借りる事ができるのは、地下で作られた本だけ。
地下都市の中層部には書店は存在せず、本を読みたい時は基本的に図書館か貸本屋へ行くことになる。一部の喫茶店や散髪屋では、誰かが自分で描いて製本した漫画が置かれていることが多く、漫画の人気が店の客の入りに直結していることもある。
返却カウンターで本を機械に預けると、本が丸ごとスキャンされ、破損や汚損や書き込み等がないかチェックされる。読む際に発生する、常識的な範囲での少々の傷は許されても、飲み物や食べ物での汚れ、消すことのできない書き込みは、最悪弁償や出入り禁止になる。自作のカバーを掛けて大事に読んでいたから大丈夫だとは思っても、この瞬間はいつも緊張してしまう。
『確認完了シマシタ。五点ノ貸出ヲ許可シマス』
「ありがとうございます」
これまでは三冊までだったのに、五冊に増えて嬉しい。浮かれる気持ちを隠しつつ、書庫へと向かう。
書架いっぱいに並ぶ本を見ていると、気持ちが落ち着く。一生掛かっても読み切れない量の本の中には、自分が知らない世界や知識が詰まっている。
(小説の続きあるかな? あと、裁縫の技術本も……)
新たな世界を見つける為に、私は目についた本を手に取った。
◆
五冊の本を借り、図書館から出た所で、少年が周囲を見回しながら歩いているのが目に入った。七歳前後だろうか。黒髪に深緑の和服姿が凛々しくも可愛らしい。
「どうしたの? 何か探してる?」
無言のまま私を見返す瞳は紅い。ライの赤い瞳を見慣れているからか、とても綺麗だと思った。
『……女。お前は何故、笑うのだ? 恐ろしくはないのか?』
「あ、ごめんなさい。気分を悪くさせてしまったかしら。知り合いの人の目と同じで綺麗だなって思っただけなの」
尊大な態度の少年の声はとても可愛らしくて、そのちぐはぐな感じに頬が緩む。
『そうか。まぁ、よいだろう。この町に丸い白提灯を作る職人がおると聞いたが知っているか?』
「丸で白? ああ、二十六丁目の南明さんかしら?」
ここは六丁目。二十六丁目まではかなり距離がある。
『知り合いか?』
「直接知ってる訳じゃないけど、昔から有名な職人さんだから。よかったら案内しましょうか?」
提灯は魔よけの縁起物と言われていて、あちこちに職人がいる。中でも南明さんは、あらゆる形の白提灯を作る技で外国からも頻繁に注文が入っているという噂。
『うむ。案内せい』
物語に出てくる殿様か王様のように少年が胸を張る姿は、笑いを誘う。必死に笑いを噛み殺しながら、私は頷き返した。
図書館からモノレールの駅までは、それほど遠くない。ひしめく住宅の間の狭い路地を歩いて目的地へと着くと、少年の態度が落ち着きを失った。近づきたくないとでも言わんばかりに脚を止めて改札を凝視する。
「もしかしてモノレールに乗ったことない?」
『……地下鉄なら乗ったことがある。……行くぞ』
もしかしたら、この少年はライと同じ『天上人』なのかもしれない。それなら中層部に設置されたモノレールを知らない理由もうなずける。
駅への階段を登り、改札台に手を乗せるとホームへの扉が開く。私は問題なく開いたのに、少年が手を載せても扉は開かない。
「あれ? 故障かしら?」
モノレールの駅には駅員がいない。一度外に出て試すと私は問題なくても、少年は何度試しても扉が反応しない。車両が近づいていることを告知する音楽が流れ始めたので、私は少年の手を握った。
『おい、女。何をするのだ?』
「緊急手段。こうして手を繋ぐと入れるから」
これは子供連れの場合というのは、少年が怒りそうなので黙っておく。
『……随分あっさりと境界を超えられるものだな』
改札を抜けてホームに入った後、少年は振り返って改札の外を見ている。境界とは改札を意味しているのだろうか。『天上人』の言葉の選択が面白い。
無人運転のモノレールが静かにホームに入って来た。乗り込むと他のお客は数名だけで座席は空いている。静かな車内の中、物珍し気に見回している少年を見ると偉そうにしていても子供なのだと微笑ましい。
「座る?」
『いや。下界を見たい』
やはり『天上人』と苦笑する。親が『天上人』なのか、それとも本人に何か特別な力があったりするのだろうか。傲慢な物言いでも、窓に張り付き雑多な建物がひしめき合う町を眺めて喜んでいる姿は幼い子供でしかない。
『あれは何だ? 何やら強い力を感じるぞ』
「えーっと、『迷宮劇場』のこと? 歌劇とか能、歌舞伎や浄瑠璃、いろんな演目を見る事ができる場所よ」
赤や白の提灯がずらりと下げられた奇妙な外観の建物。増改築を繰り返し『迷宮劇場』と呼ばれているのは知っていても、中に入ったことはない。
『そうか。おもしろそうだのう。おい、あれは何だ?』
「あれはこの町で一番大きな公衆浴場。大きなプールもあって泳げるの」
滑り台や回転木馬が設置されていて、派手な外観の建物は子供に人気のレジャー施設でもある。
地下では地熱が利用されていて、お湯は贅沢に使える。個人の家にはシャワーしかないから、無料の公衆浴場へと通うのが日常。
少年の質問に答え続けていると、あっという間に目的の駅へと着いた。名残惜しいという表情で少年がモノレールから降りる姿が可愛い。
降りた場所は職人町。職人が営む小さな店がひしめいている。物を作る材料を購入するのは厳しく制限されていても、完成した品を買うことは規制されてはいない。値段が値段なので、気軽に買うことは難しいけれど。
南明提灯店と書かれた看板はすぐに見つけることができた。両開きの大きな扉が開いていて、店内が全部見えている。提灯が下げられた小さな店の奥では、老齢の男性が貴重な竹を割り裂いていた。
「こんにちは。丸い提灯はありますか?」
私の問い掛けに、男性はとても驚いたという顔をする。
「昨日出来たばかりの新作のことを何故知っておるのかね。まだ誰にも見せておらんのに」
『神棚に上げておったただろう』
少年の言葉を聞いて、男性がさらに驚く。
「そうかそうか。神様には出来たことを報告しておったのを忘れておった。お前さんたちは神様の御使いかね」
『いや。使いではないぞ』
憮然とした少年の声は拗ねているようで可愛らしい。男性と私は顔を見合わせて笑う。
「さぁさぁ、わしの自慢の新作を見てくれ。今なら選びたい放題だ」
男性が出した木の箱には、畳まれた白い提灯がいくつも入っている。こんなにたくさん作って大丈夫なのだろうかと心配しても、縁起物の提灯は買い求める客が後を絶たないと聞いてほっとすると同時にうらやましい。
『うむ。選ぶぞ』
少年の尊大な態度と幼い声のちぐはぐさを楽しみながら、男性と私は笑い合った。
◆
長い時間を掛けて提灯を吟味した少年は、一つを選び取った。高額の代金も現金で支払い、手持ち用の棒に提灯を下げて持っている。
店を出て路地を並んで歩くと、不思議と人が少ない。店も開いているのに中に人の姿が無い。職人町の職人たちは朝がとても早いと聞いているから、夕食かお風呂に行っているのかもしれない。店を開けたままで不用心だと思っても、これがこの町の流儀なのだろう。
「どうして丸い提灯なの?」
『ふむ。物を知らぬ女だのう。良かろう、教えてやろう。盆になるとな、川や海に霊魂が流れておるだろう?』
「え? あ、そ、そうなんだ……」
理解不能と思っても、幼馴染の祐成も悪しき闇や邪気が見えていると言っていた。この少年は霊魂が見えるのかもしれない。
『そやつらを集めて運ぶのに便利なのだ。ほれ、こうして光を灯せば、勝手に入ってくる』
少年が提灯を指で叩くと、ロウソクもないのに光が灯った。上から覗き込んでも光で内部は見えない。私が気付かなかっただけで、照明用の発光部品が仕込まれていたのか。
「も、もしかして、い、今も入ってきてるの?」
幽霊話や怪談はとっても苦手。夜にお手洗いに行けなくなる。
『いや。ここには霊魂は落ちておらぬ。神上がりを拒否して世俗に張り付いている者はおるがのう』
ちらりちらりと少年が視線を周囲に向ける。その視線を追ってみても、私には何も見えなかった。
「神上がりって何?」
『人が死んで神になることぞ。……死人の霊魂は見えない方が幸せじゃというぞ』
少年の意地悪な笑顔は可愛らしくても、言っていることは可愛くない。何となくというより、絶対からかわれているような気がする。
夕暮れ時の人がいない路地は、どこか違う世界のように見えてしまう。片手に提灯を下げた少年は、いつの間にか私の手を握りしめて離さない。
「家はどこ? 送ろうか」
『一緒に来てくれるのか?』
少年の問いに答えようとした私の口を、背後から伸びてきた白く大きな手が塞いだ。ひやりとした温度が気持ちいい。少年が片眉を上げて驚きの顔をする。
『何だ、ライ。お前の連れか』
突然現れたライの手に驚きはなかったのに、少年がライと知り合いということに驚く。
「ああ。約束をしていてね。これでどうかな?」
何か約束をしたかなと考える私の口を塞いだまま、ライは小さな護り袋を少年に差し出す。少年は肩をすくめて私の手を離し、護り袋を受け取った。
『先約があるのなら仕方ない。おい、女。何か望みはあるか?』
少年の言葉を聞いてライの手が私の口から離れた。
「何でも願い事を言うといいよ」
振り返ると、ライが優しく笑っていてほっとする。
「願い事? えーっと。服の注文が入ること、かしら」
『何だ、そんなことでよいのか。欲が無いのう』
けらけらと笑いながら護り袋を指先で揺らした少年は、金色の光の粒になって跡形もなく消えてしまった。
路地にふわりと爽やかな風が吹く。
「……消えた? ……ライ、何かした?」
少年に手渡した護り袋には、不思議な魔法が掛けられていたのだろうか。
「私は何もしていないよ」
いつもより爽やかに微笑むライは、どことなく胡散臭い。じっと半眼で見つめると、ライの目が泳ぐ。
「……実はラズベリーのチーズケーキを持ってきた」
「待って、早くそれ言ってよ! さ、帰ろ帰ろー!」
今から店に戻ると夜になる。たまには食事替わりにケーキでもいいだろうか。
「……り、瑠香……」
うろたえた声に見上げると、ライの耳が赤く染まっている。何故と理由を考えた時、私がライの手を掴んでいることに気が付いた。
「ちょ、こ、こ、これは、さっきまであの子と手を繋いでたから! ごめんなさいっ!」
慌てた私が手を離したのに、ライが私の手を握る。その手はひんやりとしていて気持ちいい。
「一緒に帰ろうか」
「は、はい!」
黄昏色の空の下、どきどきと高鳴る鼓動が気付かれませんようにと願いながら、私は笑顔で答えた。