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第二話 クッキーと配達人

 今から二百年前、地球を超宇宙台風スーパースペースハリケーンが襲った。螺旋のように絡み合った磁力線と太陽から放たれる高速のプラズマの強風が吹き荒れ、電子の雨を降らせる巨大な渦。太陽の周りを数十億年周期で公転していて、火星の大気を奪ったのもこの超宇宙台風と言われている。


 直撃した地球も大気を奪われたものの、人類は各国ごとに地下都市を作って生き延びた。現在、この地球は丸ごと宇宙船のようなもので、大気が無い地上に出た人間は宇宙線の直撃で即死する。

 人類が地下に閉じ込められた直後は、太陽の光が無くて骨の変形や精神的に不安になる人々も多かった。人工太陽光が発明されてから地下都市の天井には青空照明が設置され、昼夜が再現されると人々は安心して生活できるようになった。


 二百年が過ぎ、研究を重ね資源をリサイクルしながら人類は様々な道具を作り出し、孤立していた地下都市を繋ぐ地下鉄が出来、町の中の移動はモノレール。人口が増えるにつれて増築された建物が徐々に増え、どの地下都市の中層階も雑多な賑わいを見せている。


      ◆


 店の棚に置かれた黒い電話の前で、私は躊躇していた。

「ううっ、緊張するー」

 深呼吸してから電話の受話器を耳にあて、回転盤に書かれた数字の穴に指を掛けて、指とめまで回す。指を離すと回転盤が戻るという作業を十二回繰り返してようやく電話がつながる。間違ったら最初からやり直しなので毎回緊張してしまう。

 受話器と本体を繋ぐ、くるくると巻かれた黒いコードを指で弄りながら呼び出し音を聞いていると繋がった。

「あ、配達所ですか? 一丁目六番地三十三号の雨海洋裁店ですが、書類の配達をお願いします」

『ハイ、承りまシタ。十五分以内に集荷でお伺いいたシマス』

 聞えてきたのは、機械合成の女性の声。受付番号を書き留めて受話器を置く。


 無事に繋がって一安心。布地やボタン、レースや紐といった材料を買う時には注文書や申請書類が必要。それは過剰に物が生産されることを防ぐ為とわかっていても不便だと思う。

 誰もが好き勝手に物を作って消費すれば、地下の限られた資源はすぐに底をついてしまう。その先には資源の奪い合いと混乱しかないと想像力の乏しい私でも理解はできる。


 何でも好きな物を自由に作るのは夢のまた夢。

 溜息を飲み込んで封筒に入れた書類を作業台に置き、私はラジオの電源を入れた。


      ◆


 仕事があるというのはとても素敵なことだと思う。地下では、ほとんど何でも配給制なので働かなくてもぎりぎり生活することはできる。地下都市が出来た当初は、全員が労働しなくなるのではと危惧されていたらしい。実際、すべてを機械任せにしていたら故障して、直せる技術者がいなくて滅亡した都市もあったと伝わっている。

 地下生活が始まると、人々は自らの知識やスキルを使って働き始めた。地上に残してきた人々の死を無駄にしたくない。地上の文明が滅んでも、自分たちの文化を繋いでいきたい。そんな気持ちもあったらしい。


 現在直径十六キロの地下都市は当初はもっと小さくて、収容人数も多くはなかった。抽選で選ばれた人々だけが地下へと逃げ込むことができて、地球にいた人々の一パーセントも助からなかったと学校で教えられた。未だに地球の人口総数がわからないのは、通信が途絶えた外国の都市が多いからと聞いている。


 作業机の上に半畳サイズのゴム板を敷いて、拭き掃除をしてから金襴の布を置く。型紙を載せてヘラで印をつけた後、研いだナイフでただひたすらに真っすぐ切っていく。直線だから、裁ちバサミを使わなくても平気。

 ナイフが布を切る音が心地いい。ただひたすら無心になって、胸の奥から湧き出るリズムに乗る。美しい布は裏側でも美しい。

「よし! 完了!」

 ライに託された布を切って、百と三枚のパーツを切り出した。柄を尊重しつつも、無駄は最小限に計算済み。残りの布は、予備として取っておく。

 そっと慎重に布を重ねる。恐らくは熟練の職人の手で織られた布はしっかりと目が詰まっていて、切り口が解けることもない。


 集中が途切れ肩の力が抜けて安堵の息を吐くと、背後から唐突に拍手が起きた。

「ライ? どしたの? ……もしかして見てた?」

「ああ」

「いつから?」

「ゴム板を机に置いた時から」

 全然気が付かなかった。ライは気配を消すのが上手すぎる。

「もー、声掛けてって、言ってるでしょ」

「声を掛けようとしたが、刃物を持ってしまったからなぁ。刃物やハサミを持っている時は、声を掛けてはいけないのだろう?」

「そうだけどー」

 確かにナイフやハサミを持っている時は極度の集中状態だから、声を掛けられると綺麗に切れない。特に今回のような計算ギリギリの直線だと、手元が数ミリでも狂うと必要な枚数が取れなくなることもある。


「いつも思うが、素晴らしい技だな」

「ありがと。褒められるとすごく嬉しい」

 ライに褒められると特に嬉しいのは秘密。声が良いからなのか、顔が良いからなのかはわからない。白髪赤目と透けるように白い肌は日本人とは違う。それでも顔立ちや雰囲気は日本人。最初に会った時から『近くて遠い人』という印象を持っていて、あまり深く関わってはいけないと自戒している。


 上層部に住む『天上人』ともなれば、さらに遠い人になってしまった。この地下都市の存続のために貢献する人々。具体的に何をしているのかは想像もできないけれど、私たちの命を護っている偉い人。

 突然店の中に現れるのも、何か特別で不思議な力を持っているからかもしれない。

「時間があるなら、お茶、飲んでく?」

「ああ」

 ふらりと店を訪れて私とお茶を飲んだり、少し話したりした後、さっと帰ってしまうのも忙しいせいだろう。


 切った布を棚に置き、奥の台所でお湯を沸かしつつ昨夜焼いたクッキーを皿に盛る。このクッキーは、ライの為に焼いたのではないと宣言した方がいいのか、黙って出した方がいいのか迷う。

 本当の気持ちを言うとライの為に焼いた。小麦粉と砂糖とバター、ココアを使った素朴なクッキー。月に一度配給される食料と、月に一度だけ行くことが許される食料品店で購入できる品は限られていて、ライの兄が作るようなケーキを焼くことは難しい。味も見た目も段違いでも、とにかくライに何かを作ってあげたかった。


「瑠香、お客だよ」

 ヤカンを見つめてぼんやりとした思考の中、台所に入ってきたライの声で引き戻された。

「え? お客?」

 注文は電話か手紙が多い。直接訪ねてくるなんて、とても珍しいこと。火を止めて店に戻ると白い猫耳の十代半ばの少女が布袋を持って立っていた。

 その顔は無表情でもあどけなく、あご下で切られた茶色の髪はふわふわ。茶色の左目の下に個体識別用のバーコード。緑青色の長袖の上着は大き目で、青紫色の袴のようなズボンに黒のブーツという姿。


「あ、何だ。荷物か」

 一気に落胆。注文かと思って期待しては駄目だった。

『ハイ。四丁目の原木様から雨海様にお届け物デス。受け取りのサインをお願いシマス』

 布袋を受け取り、示された電子伝票に右手の三本の指を乗せる。読み取りの電子音が軽やかに鳴って承認完了。配達のお礼を言うと獣耳の少女は無表情のままぺこりと頭を下げて店から出て行く。


 地下での荷物や手紙のやり取りは配達人(メッセンジャー)と呼ばれる人型ロボットが担っている。女性あてには女性型、男性あてには男性型のロボットが届けることになっていて、ロボットは人と区別する為に一目でわかるパーツが付けられている。聞いた話だと、獣耳は日本だけの仕様らしい。

「荷物だったのか」

 配達人を知らないのだろうかと一瞬思っても『天上人』なら知らないのかもしれない。上層部では、荷物も人が運ぶというし。

「護り袋用の紐なの。昨日書類出して翌日届くなんて最速かも」

 普段は三日以上、下手すると三カ月くらい掛かることもあるし、最悪の場合は購入不可判定が出る。


 布袋の中には白い紐の束。手をきちんと洗ってからでないと触れられない。

「染めの必要のない白だったからかしら」

 窓からの光を浴びて、紐がオフホワイトに輝く。いつの間にか隣でライも袋の中を覗き込んでいて、その近さに胸がどきりと高鳴る。

「あ、えーっと、その、お茶淹れるから座ってて」

 自分の頬の熱さを感じつつ、私はライに微笑んだ。


      ◆


 私が焼いたクッキーをライは笑顔で食べてくれている。美味しいと言ってくれてほっとした。気恥ずかしさを持て余した私は、棚から保留中の書類が入った紙挟みを取り出して開く。


 繊細な服のイラストが一番上に現れた。

「それは?」

「三カ月前にデザイン指定で注文もらったんだけど、本のイラストのコピーなの。でも、端が欠けていて全身がわからないし、イラストを描いた人か出版社の許可を取りたいから本の題名を教えて欲しいってお願いしたら、調べるから待っててって言われて、そのまま。そろそろ諦めようかなって思うんだけど、このイラストが素敵すぎて諦め切れないの」

 恐らく図書館の本からコピーされたイラストはモノクロ。レースとフリルがたっぷりと使われたワンピースとタブリエを着た女性が微笑んでいる。

 もしも正式な注文があったなら、レースをあちこちから取り寄せて、完全再現してみたい。


「……この絵を描いたのは、おそらく兄だなぁ」

 ぼそりとしたライの呟きに驚愕するしかない。いろんなケーキを焼いて、繊細なイラストも描ける兄。それは本当に兄なのだろうかと、ちりちりと心が焼ける。

「どうしてわかるの?」

「ここにサインの端が残ってるよ」

 ライが示した部分をもう一度よく見てみると、模様が小さな文字のようなものに見えてきた。読めないけど。


「自由に作ってもいいと思うけど、気になるなら聞いてみようか。そうだなぁ……半月くらいかかるかな」

「お、お願いしますっ!」

 もしかしたら、この素敵な服を作ることができるかもしれないという歓喜で叫んでから、ふと冷静になった。

「……お兄さんって、ケーキも作れてイラストも描けるのね」

「ああ、別の兄だよ。私には兄が六人いるんだ。それぞれが趣味を楽しんでる」

 さらりと告げられた言葉に自分の耳を疑う。ということは、ライは七人兄弟の末っ子。ライにそっくりな美形があと六人いると考えただけで天国かも。私には兄が一人と、生まれてこれなかった双子の姉がいる。


「ライの趣味って何か聞いてもいい?」

「私? ……趣味と言えるものは……おもしろいものを見ることかなぁ」

 顎に指をあてて首を傾げながらも赤い瞳がまっすぐに私を見ている。私をからかうのが趣味ということか。

「……普通の趣味を探した方がいいと思う」

 唇を尖らせて不満を示すとライが嬉しそうに笑う。しまった。これでは喜ばせるだけだった。


「瑠香の趣味は?」

 改めて問われると、私も何も思いつかない。

「えーっと。そうね……」

 読書も絵を描くのも仕事の為。純粋に楽しんでいることは何だろう。

「……昼寝? あ、それも仕事の為か」

 昼の短い仮眠は、午後の作業効率を上げる為。考えれば考える程、自分が仕事中心に生きていることに気が付いてへこむ。


「仕事が趣味ということかな? 瑠香は根っからの職人なんだねぇ」

 改めて言われるとさらに自分の無趣味について考えてしまう。何か仕事に関係ない趣味を見つけようと思いながら、クッキーにかじり付いた。

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