5-憎悪と愛
村坂さんはもう少し過去への時間旅行を追加した。
時間旅行は一億円だったけど、オプションはいくらなのか……。でもきっと僕が想像もできない高額なんだろう。村坂さんは金額も聞かずに頼んだから、よほどお金がある人に違いないと僕は思った。
「3時間お戻しします」
社長は銀色の懐中時計を取り出すと、おもむろにその場で時計の時間を巻き戻してゆく。すると、そこで紅茶を入れていた筈の奥さんがフワッと消えた。僕はもう、その程度では驚かなくなっていた。奥さんが持っていたポットは、シンク横の水切り棚に置かれ、家の中には掃除機をかけている音がする。
「私たちは庭に控えます」
社長はそう言って僕の背中を押し、僕たちは庭に出た。社長はそこで、また大きな傘を広げ、庭で待っていたミケ黒猫と僕もその下に入る。
「ミケ、見せて」
さっきと同じように社長が言うと、またミケ黒猫が闇に取り巻かれた映像を映し出す。
奥さんが掃除機をかけている。村坂さんは部屋の隅に隠れ、様子を伺っているようだ。そうしているうち、インターホンが鳴った。
「健太さん! ……まぁ、いつも悪いわねぇ」
(健太……!? 何故お前がこの家に……!?)
村坂さんの心の声までが映像から流れてくる。それを見ているうちに、ミケ黒猫が映し出す闇が、少し赤紫色に変わってゆく。奥さんが朗らかに話しかける相手は若い男性だった。村坂さんが名前を知っているということは、知り合いなのかもしれない。
「いいんですよ……、僕は兄さんの好きなものを差入れしてるだけですから。十和子姉さんはコーヒーしか飲まないから、僕が兄さんの好きな紅茶を選んでるだけなので……」
「それにしても、いつもこんなお高そうな紅茶……、なんだか申し訳ないわ」
健太さんという人物は、どうやら村坂さんの弟のようだ。奥さんは相変わらず朗らかに話し、健太さんは少し照れたように話している。……ん? 紅茶を渡しているのが弟さんだとすると、毒入り紅茶を渡しているかもしれないのか……? 早合点かもしれないとは思ったが、疑わずにはいられない僕だった。
「十和子姉さん……、いつも言ってますが……僕がその紅茶を持ってきているって、絶対に兄さんには言わないでくださいね」
「はいはい、分かってますよ。もう……恥ずかしがり屋さんなのねぇ、健太さんは……私が選べないからって、本当に優しいのね……」
奥さんは少し頬を染めてくすくすと笑い、紅茶を受け取った。
その途端、村坂さんが出てきて怒鳴った。
「健太!! お前か! 毒など紅茶に入れおって!!」
「兄さん!! えっ、毒って何の話してるんだよ!?」
「アナタ、会社はどうしたの!? どうしてこんな時間に!?」
村坂さんが居るはずのない時間に家にいて、弟さんに毒の嫌疑をかけている。もうそれだけで未来が変わりそうだけど、社長は何も行動しない。
「なんで何もしないのか?って考えてるでしょ」
社長から声をかけられハッとする。
やっぱり社長は僕の心が読めるようだ。
次の瞬間、ミケ黒猫の闇が揺らめき、血のような赤色に染まる。
そこから先はもう、修羅場でしかなかった。
村坂さんは、弟さんに馬乗りになって殴っている。そして、いつの間にか手に包丁を持っていた。そして、その包丁を振り上げる。
「まずい!!」
社長はそう言うと、懐中時計を使って時を止めた。
今回は村坂さんも止まっている。
「ツアーは中止……と」
ふーっ、とため息をついて社長が項垂れる。
「良かった、誰も死ななくて……」
僕は、そう言って安堵すると、社長が話し出した。
「村坂さんが介入しない、過去と未来を作らなければならない。 敬祐、手伝って」
「分かりました」
「まず、村坂さんを回収して、応接室に運ぼう」
僕たちは村坂さんに近付くと、包丁を取り上げシンクに戻し、背中におぶる感じで移動を始めた。村坂さんの体は、時が止まっていてカチコチなのかと思ったら、普通に柔らかかった。
「応接室はどこですか?」
社長に聞いてみると、村坂さんの家のドアを開ける。そこが応接室の綺麗なドアと繋がっていた。
「さ、椅子へ。ここに戻ってきたから村坂さんの時間はあと1分くらいで動き出すよ」
長椅子に横たえると、村坂さんが起きないように社長はハンカチにポケットから取り出した薬液を染み込ませ、それを嗅がせた。
「これで暫く眠っていて貰おうか。さ、過去と未来を元に戻そう」
ドアを開けて村坂さんの家に戻ると、まだ弟さんと奥さんがさっきの状態で固まっていた。
「10分戻そう」
社長はそう言うと、僕を庭に連れて行き、また大きなコウモリ傘でミケ黒猫と共に隠れた。
「ミケ、二人とも見せて」
ミケ黒猫は、二度回って二つの闇を浮かび上がらせた。片方には弟さんが村坂さんの家に向かっているところ。もう片方は、掃除機をかけながら”誰かと喋っている奥さん”が浮かび上がった。
「話している相手は悪魔じゃ……」
唐突にミケが言う。社長はそれを聞くと難しい顔になり言葉を吐いた。
「悪魔か……、タチが悪いな。 ミケ、何日前から悪魔が介在しているか分かるかい?」
「そうじゃな、一週間経っていないであろう……、おそらく6日前の午後じゃ」
「よし、行こう!」
社長はそう言うと、一瞬にして6日前の午後に僕ら全員を飛ばした。