18-結城なつきの到着と未来旅行の旅立ち
――午後2時15分。
社長が告げた通りに、お客さんはやってきた。
それをミケが黒装束で迎える。
「結城なつき様ですね?」
「はい」
「こちらへどうぞ」
「ごめんなさいね。入る前に車にお金を積んだままなの。どなたか
バッグを二つ、運んで下さらない?とても重いのよ……」
その後ろから空気人形の幽霊がバッグを二つ抱えてやってくる。
「あら、ありがとう。運転だけじゃなかったのね」
「お忘レ物かと思いましテ、お届ケしまシた」
ミケがバッグを受け取ろうとしたが、バッグが重すぎて
動けないようだった。
玄関でわいわいしていると、社長が出てきて、いつものテンポで自己紹介をする
「私が代表の黒川終一です。
どれ、私が運びましょう」
社長はヒョイとバッグ二つを軽々しく持ち上げ、応接間の
お客様が座る椅子の横に置いた。
「こちらへどうぞお座り下さい」
僕ももう慣れたもので、この瞬間にコーヒーが出せるよう、準備万端で呼ばれるのを待つ。
「敬祐、コーヒーを」
「はい」
僕は銀盆を三つ指で持ち、お客さんの分と社長の分のコーヒーを載せ、静かに部屋に入ってゆく。
「熱いので、気をつけてお飲みください」
「ありがとう」
社長にもコーヒーを出す。
「どうぞ」
「ありがとう、敬祐」
「では僕は、このまま部屋に控えます」
「わかった」
「さて、まずは冷めないうちにゆっくりコーヒーをどうぞ」
「そうね、頂くわ」
「お味はいかがですか?」
「まぁ、美味しい!
こんな美味しいコーヒー久しぶりに飲んだわ!
いいえ、そうね初めての味かも知れないわ、素敵
これはどんなコーヒー豆?」
「普通のブルーマウンテンですよ」
「あら、そうなの。煎れ方が違うのかしらね?」
「煎れ方は少々こだわっております」
「それはそうと、時間旅行の件、本当なの?」
「はい、本当です。御代さえ頂ければ、
未来にも過去にも……お望み通り……」
「じゃあ、過去に行って、フランチャイズ契約を
安くしてしまったことも取り消せるかしら……」
「それは出来かねます……」
「5倍出すわ、どう?」
「金額の問題ではございません」
「じゃあ、本当に見るだけなの?」
「左様でございます」
「なんだか残念だわ」
結城さんは、本当に残念そうな顔を浮かべながら、ため息をついた。
「未来を見にいらっしゃったのに、過去のフランチャイズ契約を
見直したいとは、さすがの商売人ですね」
「人間出来ると聞けば欲が出るものよ」
「確かに。しかし、私共の提供するサービスでは過去や未来に
干渉してしまうと、その後の誰かの運命を変えてしまったりします。
また、お客様ご自身の運命も変わってしまったり致しますので、
規則として、あくまでも見るだけ記憶するだけというサービスを
提供させて頂いております」
「まぁしょうがないわね」
「さて、結城様の本来のお望みである未来旅行ですが、具体的には
どんな瞬間をお望みですか?」
「私が死んだ直後かしら」
「場合によっては事故だったりしてショッキングな光景を
見ることになる場合もございますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。お金はバッグの中にあるわ」
「あくまでも見るだけ、記憶するだけですが、宜しいですか?」
「分かりました」
「ミケ、契約書を……」
うやうやしく、ミケが契約書を差し出すと、社長がそれを丁寧に読んでいく。
「それでは……、内容をお伝えします……
1.過去に戻った場合、自分がそこで行った行為には、全て自己責任を負うこと。ただし、旅行者以外の過去未来が不幸へと変わる緊急事態になった場合、ツアーを強制終了することがあると了承するものとする。
2.未来に行った場合も、1と同様とする。
3.夢世界に行った場合、時間制限内に戻らぬときは、その場で一生を過ごすことを了承するものとする。
4.ツアー内で起きた事故、その他についての保険、保障、返金は一切ないことを了承するものとする。
……以上、契約を破った場合の責任は、全てお客様の責任となります。この内容で宜しければ……」
ミケがそっと近寄って黒いペンを種村さんに差し出した。
「黒よりも黒、深く流れる血の闇の影よ…… さぁ……! この黒より黒き漆黒のペンで、サインを……」
このやりとりは3回目だけど、声の圧も違えば、響きも違う。
思わずゾッとしてしまう声だ。
結城さんがサインを書き終わると、社長が続けていつもの言葉を口にする。
「時は来た……! ……_契約の創造! ご契約……確かに……」
社長は頭を下げると、いつものポーズを取った。
「そろそろ、行きましょうか結城様……」
「何だか全部が大袈裟に見えるわ、ふふふ」
「それは確かにそうかもしれません」
「ただ、この儀式は安全な旅路を願うものなのです」
「わかったわ。じゃあそろそろ連れて行って」
社長は1回とも違う、2回目とも違う、3回目とも違う本を引き出し、
本をスッと引くと、ボタンを押した。
濃霧が立ちこめるドアが開くと、結城さんは躊躇なく進んだ。
社長、濃霧を浴びて猫になったミケ、僕も後に続く。
このあと起こる危険なツアーを知りもせずに......。