4. もう一人の私
4月9日。
高校生になった。今日から日記をつけようと思う。
4月10日。
隣の席の子と話していたら、何故か泣かせてしまった。明日謝らないと。
4月11日。
謝ったら先生に怒られた。『謝るのなら言い方を気をつけろ』と言われた。言葉を選んだつもりだったがダメだったらしい。
4月12日。
クラスメイトから避けられている気がする。気の所為だろうか。皆、友達が出来始めていた。羨ましい。
4月14日。
昨日、私は学校を休んだそうだ。余程体調が悪かったのか、昨日の記憶がひとつも無い。
――――。
4月17日。
今日、クラスメイトに話しかけられた。嬉しい。だけど、『昨日と様子が違うね?』と言われた。何のことか聞いてみたら、いつの間にか喧嘩になってしまった。上手くやらないと。
4月20日。
もう一週間が終わる。高校生になって時間の流れが早くなっている気がする。今日もクラスメイトが話しかけてくれたが、何度か話すと話しかけられなくなった。
4月25日。
身に覚えのない約束が増えた。皆、私じゃない私の話をしている。皆の中には私じゃない『私』がいる。時々、私は本当に私なのか分からなくなる。……今、日記を書いている私は私なんだよね。
4月26日。
『私』の方がよっぽど上手く私をしている。今の私は、本当の『私』なのかな。
4月30日。
玲香さんの誘いで、ある部活動に行くことになった。
☆ ☆ ☆
一ノ瀬 澄香の存在が反転して数日。世界はすっかり、一ノ瀬 澄香の存在を忘れていた。
「こんにちは。一ノ瀬(裏)」
部室に入ってきたのは一ノ瀬(裏)。彼女は友達に見せていた社交的な笑みを引っ込めて、機嫌が悪いのかジトッと睨みつけてくる。
避けているのかここ数日部室に来ていなかったので、彼女と直接相対するのは久しぶりだ。
「……しつこいんですけど」
「何が?」
「ここ数日、先生やクラスメイトを使って部活に来いって執拗に連絡して来ましたよね。今日なんてこんな手まで使って」
くしゃくしゃに丸められた紙を投げつけられる。僕はそれを拾うと中身も見ずにポケットにしまう。
「こうでもしないと来ないじゃないか」
「部活ってそんなに強制力あるものじゃないですよね」
「そうだな。でも、一ノ瀬は来ていたよ」
ピクリと彼女の眉が動く。
「立ち話も何だし、座りなよ。紅茶、いる?」
「いりません」
「そう。一ノ瀬は毎回飲んでくれたけど」
彼女は苛立ちを隠そうともせずに席に座る。いつもの一ノ瀬の席でも、一ノ瀬(裏)が座る席でもない。いつもの一ノ瀬の席の対面、お客様席だ。
僕も紅茶を飲む気にはなれなかったのでそのまま席に座る。互いに口を開かない、気まずい空気が流れた。
「……ねぇ」
先に口を開いたのは一ノ瀬(裏)だった。
「なんですか、これ」
部室をぐるりと見回し、嫌そうに口を歪める。
『一ノ瀬 澄香 ようこそ超常現象調査部へ!』と書かれた横断幕に、フラワーペーパーの装飾。普段は無機質な部室だが、今日ばかりは華やかだった。
「そういえば歓迎会を開いてなかったと思って。ここ数日、準備してたんだ」
「はあ!?」
声を荒らげて立ち上がり、何か言おうと口を開く。だが、それ以上言葉は出てこなかった。
「いやぁ。我ながら良い出来だと思うんだよ。一ノ瀬も喜ぶかなって。君はどう思う?」
「……っ」
ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえてきた。僕ともう一人しかいないこの部室において、誰の音かは考えるまでもない。
「せっかくの歓迎会だから盛大にしたくてさ。君は、一ノ瀬がどんなお菓子とかジュースが好きかとか知ってるか?」
百瀬 無月は性格が悪い。
彼女が今、苛立っているのも知っている。そして何に傷つき、何に反応を示し、何を嫌がるのかも凡そ理解している。
相手の嫌がることをする。この一点においては、誰にも負けないという自負が百瀬 無月にはあった。
「なぁ、一ノ瀬(裏)」
故に、僕は踏み抜く。彼女の地雷がどこにあるか分かっていながら。
「そろそろ――一ノ瀬に戻らないのか?」
ドンッと大きな音が立つ。その音は彼女の握りしめられた拳から鳴った音だった。
「……何の、つもり?」
「何って。ただ単に疑問に思っただけだよ。なんで戻らないんだろうって。早く戻らないかなーって」
「何その言い方。さっきからいちいちムカつくんですけど!」
「そうは言われても……」
僕は嘘はつけない。けれど、本心をそれっぽく飾り立てることは出来る。
「――だって今の一ノ瀬は、偽物だろ?」
反応は劇的だった。世界が歪み出すのと同時に彼女の体が崩れ始める。まるで土人形のように。ボロボロ、ボロボロ、ボロボロと。
明らかな異常事態。常識を超えた、超常現象。
当然、その場にいた僕も異変と無関係では無い。僕の体はドロドロに溶け出して、制御を失った体は勢いよく床に落ちてしまった。
視界が回る。
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると。
世界と僕とが混ざり合い、僕は異物でありながらもそのセカイの一部として組み込まれる。
――意識が消えるその瞬間、最後に見たのは存在を保てなくなった偽物の慟哭だった。
☆ ☆ ☆
「ここは……」
次第に目の前が光が溢れていく。
机に黒板、それと椅子。どこにでもあるような教室の風景が広がっていた。
――これで第一段階はクリア。
「さて、と…………いた」
教室をぐるりと見回し、目的の人物を探し当てる。
教室の一番後ろ。掃除ロッカーの前で体育座りをしている人影がひとつ。僕はその前の席に腰掛けて、振り返る。
「数日ぶりだな、一ノ瀬。元気にやってたか?」
『理想』と『現実』が反転した世界。『理想』は理想通りの存在として現実へと追いやられ、『現実』はセカイの片隅に隠れている。だから、僕は自分のセカイに隠れてしまった彼女を見つけなくてはいけない。
『理想』と『現実』、その歪な関係を正常に戻すためのかくれんぼ。それが今、僕のやるべき事だった。