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1-8 サーカス団の少年

「はっくしょん!」

 派手なくしゃみをして、彼は思わず頭を振った。どうも調子が悪いらしく、朝からくしゃみが止まらない。

(明日も興行なのに、どうしたもんかな……)

 顔に塗りたくった白い化粧が、くしゃみで顔をゆがめると、ばりばりとはがれていきそうになる。彼は深々と溜息をついた。

(綱渡りと炎のイリュージョンは、代理がいないからな)

 まだ10代後半ほどに見える彼の名前は、チャールズ・アダマンド・ジュニア。

 父と同じ名前なので、名前の後ろにジュニアがついているが、同じサーカス団員からはもっぱら、『チャーリー』と呼ばれている、いたって普通の少年である。

(綱渡りの最中でくしゃみが出そうになったらまずいし……)

 もう何年も、このサーカス団で働いている彼が、綱渡りでバランスを取る為に使っている長い棒を手に、テントの外に出る。

「セリスレッドの御前公演か……」

 絢爛豪華な王宮が目の前に見える。乾燥した地域のセリスレッドの、乾いた砂が今度はつむじ風と共に目に入って、彼は心底げんなりしながら瞳を瞬かせる。

(何だか今日は、ついてない日かもしれない)

 もう一度くしゃみをしてから、彼は歩き出した。

「大広間だっけ。天幕を張らないと」

 建物内にサーカスの天幕が張れるなんて、一体中の広さはどうなっているのだろう、と心底思いながら、彼は王宮へと向かう。すると、そこに声がした。

「しかしまあ、広い宮殿ですね」

「クリスタグレイン城の何倍かしら……」

「この国は栄えていますからね、特に最近は商業の発達が著しいようです」

 ふと見てみると、王宮の入り口に、2人の背の高い男と、一人の少女が立っていた。

(旅人なのかな)

 物珍しそうに王宮を見上げている少女を見て、ふとチャーリーは思う。

(一人は牧師みたいだし、もう一人は……)

 何となく彼は深いフードを被った男を見てみる。

(あれ?)

 顔の半分がよく見えなかった。そして、彼が腰から下げているものが、光を反射して一瞬だけ青く輝くのが見える。

(鞘だけの、剣?)

 剣が入っていない鞘だけを腰から下げた男が、その視線に気付いたのか、こちらに振りかえる。

 慌てて咳払いして、通りすがりの者を装って再び歩き出したチャーリーが、呟いた。

「眼帯……」

 その男は、顔半分を大きな眼帯で隠していた。


「本日分の公演料だ」

 団長が、それぞれ皆に金貨の詰まった袋を投げ渡す。

「明日も頑張ってくれ、との事だ。派手なのがお好みらしくってな。チャーリー、炎のイリュージョンはお前さんに任せた」

「あ、はい」

 金貨の入った袋を受け取って、これでさっそく風邪薬を買いにいかないと、という事を呑気に考えていたチャーリーが慌てて返事を返す。

「今日はもう解散だ。明日の朝一番に、公演に向けて、ここのテント内の仕掛けを組替えとけ。それと掃除だ。粗相のないようにせにゃならんからな。明日の朝一番だ、寝坊するんじゃないぞ、わかったな!?」

「あいよ!」

 団員達が気風のいい返事をする。金貨袋をポケットに放り込んで、彼も立ち上がった。豪華な王宮内の広々とした大広間を見渡してから、彼は歩き出す。

(とりあえず先に、薬だけ買ってこよう)

 明日に備えておかないと、と、再び大きなくしゃみをしてから彼は幅の広い廊下へと出る。そして、歩き出した。窓の外はもう暗くなっている。そして、微妙に肌寒かった。

(上着を取ってきた方がいいかな)

 広間に置きっぱなしだ、という事に気付いて、彼は再び溜息を吐き出した。

「面倒だけど、風邪をこじらせるよりかはマシだ」

 くるり、ときびすを返して、チャーリーは元来た方向へと歩き出した。


 既に半ば明かりの落ちている広間に再びそっと入ってきて、彼は歩き出す。

(暗くてよく見えないな。どこに置いたんだっけ……)

 ふう、と息を吐いてから、彼は両手の平をぱん、とこすり合わせるように叩く。すると、彼の手の平の上に、小さな炎が浮かび上がった。

(やっぱこの魔法って、便利だよな)

 この炎を自由に操る事が出来るチャーリーは、サーカス団の中では割と重宝がられていた。魔法の炎をランプ代わりにして、彼は天幕の後ろへと歩き出す。そして、しばらくしてやっとの事で上着を探し出すと、彼は再び広間の外に出ようとした。とところがその瞬間、何かが足に絡まった。つんのめって転びそうになりながら、彼は思わず声を上げる。

「空中ブランコ用の、ネットじゃないか」

 こんな所に放りだしておくなんて、と苦々しく思いながら、チャーリーは片手に持っていた炎に目をやった。

(燃え移られたら困るんだよな……)

 ほとんど真っ暗な中では、足に絡まってしまった、しかも燃えやすい縄で出来ているネットをほどけない。広間中を再び見回して、彼は近くに、辛うじて月の光が差し込んできている明り取り用の窓を見つける。

「あそこの下まで行くしかないか」

 ずるずると、片足に絡まったネットを床に引きずりながら、チャーリーは明り取り用の窓の下まで歩いていった。そして、窓のすぐ下に座り込むと、四苦八苦しながら足にからまったネットを、月明かりを頼りに剥がしにかかる。すると、入り口の方から声がした。

「……今は誰もおりませぬて」

「本当だろうな」

「サーカス団の連中も出払っております。お話するには都合が良いと存じます」

 チャーリーが目を丸くする。2,3人と思われる声が、近づいてきた。

「サーカス団か」

「連中を窃盗の下手人にすればよろしいかと。どうせよそ者ですて、怪しまれはしません。全員適当に拷問して、後々は処刑場に送り込んで、火にくべてしまいましょう」

 物騒な単語が耳に飛び込んできて、何の事だろう、と思うよりも先にチャーリーは思わず、足にネットをつけたまま、天幕の後ろに本能的に飛び込んだ。そして、息を殺す。

「そして、あの宝物をトーリス国に渡せば良い、と」

 この城の住人とおぼしき男達が、ドアを開けて入ってきた。

「そうすれば、あの呪術師が、王を呪い殺してくれるそうですよ」

 足にネットを絡ませたまま、彼は仰天して声も出せなくなる。

(呪い殺す!?)

「そうすれば王位は、俺のものか」

「トーリス国の実権も、既にあの男が掌握しているらしいですからね。今のうちにご機嫌を取っておくのが良策です。そして、自分の手は汚さないに限りますよ、宰相閣下」

「そうだな……実に結構だ」

 何が結構だよ、と心底悪態をつきながら、チャーリーの頭の中に、気のいいサーカス団の仲間達の顔が浮かぶ。

「道楽好きのうちの陛下があの連中を招きよせてくれて、一石二鳥というものですて」

「今夜中に、宝物を奪い取るぞ。明日になったら、一斉にあいつらを逮捕だ」

 まずい、と青ざめながらも、彼はその場で息を殺す。

「あの例の盗賊も、ここの宝物を狙っているらしいからな。早めに持って来い、との事だ。すでにあの賊は、『杖』と『鏡』を手に入れたらしい。『剣』の半分も、あの賊の手だ」

「エスト・コルネリアか……」

「クリスタグレインの姫を、『鏡』ごと誘拐して逃亡中らしい。恐ろしい奴だ」

 チャーリーが、ふと首を傾げる。

(エスト・コルネリア?)

 知っている名前だ、とチャーリーは眉をしかめる。

(どこで聞いたんだっけな……)

 お尋ね者の賞金首のポスターでも見たのだろうか、だが、そうではない。

(違う。何だか懐かしい名前だ。俺、多分その名前を、もっと前から知ってる……)

 どうしても思い出せなかったが、今はそれどころではない。足にからまっているネットを、音を立てないようにそっとほどいて、彼は再び考え始める。

(見つからないようにこの場はやりすごして、急いで皆に知らせに行こう。このままじゃあ俺達全員、無実の罪で……)

 ところが彼は、今一番肝心なことをすっかりと忘れていた。鼻がむずむずした次の瞬間、

「はっくしょん!!」

 思いっきり、彼の意に反した巨大なくしゃみが、彼の口から飛び出してしまったのである。

「うわ、しまった……」

 やっぱり先に、風邪薬を買ってくるべきだった、と頭のどこかで考えると同時に、

「何者だ!!!」

 お約束の台詞が飛んでくる。足音が響き、男達が目の前に現れる。そしてその男達が抜き放った、月明かりにぎらりと反射する不吉なものを見て取って、チャーリーの頭の中に妙に冷静な一文が浮かぶ。

(やっぱり今日は、ついてない日だった)

 もう既に過去形になってしまっている頭の中の文章を慌てて振り払うと、とっさに彼は、足元にあったネットを引っつかむと、男達の方へと投げつけた。

「な、何だこれは!」

 一瞬男達がひるんだその瞬間、全速力でチャーリーは、広間のドアへ向かって走り出す。そして、体当たり同然の格好で広間から転がり出て、近くの階段を駆け下りる。

「待て!!!」

「く、曲者だ、捕らえよ!」

 月並み以下の台詞が、彼を追いかけてくる。

(まずい、捕まったら絶対、殺される!!)

 自分がここで殺されてしまったら、サーカス団の皆までもが、何も知らずに処刑されてしまう。サーカス団で養った体力と、身の軽さを駆使してあっという間に、幅の広い赤絨毯の敷いてある長い廊下を駆け出していく。前方から足音と、武器を持っているのであろう金属音が聞こえてくる。思わず左右を見渡し、さっと近くのドアの中に駆け込んで、内側からしっかりと、妙に大きな鍵をがしゃんと下ろす。そして、部屋の中を見回した。


「窓、窓、急いで外に出ないと……」

 どんどん、とドアを激しく叩く音がする。身を凍らせてチャーリーは立ちすくみ、そして、絶望的な声を上げた。

「窓がない!!」

 窓一つない部屋の中に逃げ込んでしまったらしい。つくづく不運な一日の、下手をしたら一生の締めくくりに、彼はもう溜息すら出ない。

「何なんだよ、この部屋は……」

 頑丈な鍵のかかった部屋を、必死で見回して、彼ははっと気付く。壁の一部が、真っ白な布で覆われている。反射的にそれに駆け寄って、彼は布をめくってみた。

(祭壇?)

 こんな場合だというのに、思わずチャーリーは目を丸くする。部屋の奥にしつらえてあったのは、絢爛豪華な祭壇だった。そして、祭壇の最上階に、一本の槍が飾られている。

「武器だ。とりあえず、これがあれば……」

 逃げ切れるかも知れない、と彼は意を決して、祭壇の上に手を伸ばして、それを引っつかんだ。すると、次の瞬間、不思議な声が響き渡る。

『何でえ。おいらと同じくらいの歳じゃねえか』

「は?」

 思わず、素っ頓狂な声をあげて、チャーリーはあたりを見回した。

『「世界に火を灯す男が『槍』を所有する」って、オラトールの兄貴がおいらに言ってたんだ。おめえのことか?』

 なんのことか丸でわからなかったが、トーリス、クリスタグレイン、サン・クリストでの公演でも自分はサーカス団で炎のイリュージョンを披露していた。そして本来ならば明日、このセリスレッドでも公演があるはずだった。気がつくと、握り締めた槍の柄が、きらきらと光を放っている。

「槍が、喋った?」

 よく見ると、きらきら輝く槍の柄の細い部分に、見知らぬ少年の顔が映っている。自分と同じくらいの歳だろうか。どことなく不敵な面構えの彼が、言った。

『おいらの名前はハールーン。お前は?』

「えっと、チャーリー。チャールズ・アダマント・ジュニア」

 反射的にそう口にすると、にやっと、槍の中のハールーンが笑う。

『おめえを、楽園まで案内してやるよ。相棒』

 何時の間にか、手に持っている槍の相棒にされてしまったらしい。

「俺が相棒?」

『もちろんじゃねえか。おいらのほうが1000年以上も年上だしよ』

 次の瞬間、激しい音と共に、ドアが破られる。

『兄貴と呼んでくれよ。で、チャーリー、おいらをあっちに向けてみろ』

 何でいきなり、初対面の謎の『槍』を兄貴呼ばわりしなきゃいけなくなったんだ、と思いながらも、

「あ、ああ」

 何となく、言われた通りにチャーリーはハールーンと呼ばれた槍を、剣を手に襲い掛かってきた男達に向けた。

『手ぇ放すなよ!』

 言われるまでもなく、手の平が槍の柄に、丸で貼り付けられたかのように吸いつけられる。そして、

「腕が、勝手に……!!」

 あっという間に、襲い掛かってきた男達を、チャーリーの勝手に動く腕と槍が、叩き伏せてしまった。

『ああ、久々の運動って奴は実に気持ちいいもんだぜ。さてと相棒、外に出るんだ。兄貴達がやって来る』

「え?」

『つべこべ言うんじぇねえよ! おめえだって命かかってんだろ? 死にたくなかったら、ちゃっちゃと走れ!』

 何だか悲しくなりつつも、チャーリーは床に倒れた男達を飛び越えて、走り出した。

「サーカス団の皆に知らせないと……」

『おめえの仲間か。それより、「さーかす」って何なんだ?』

「そんな事は後でいいじゃないか」

『兄貴に向かって、何て口聞きやがるんだ、てめえは。ええ?』

「後でゆっくり話すって事で、妥協してくれないかな……兄貴」

 もう泣きたくなりつつも、チャーリーは必死で階段を駆け下りる。すると、後ろで何かベルの音のようなものが鳴り響き、いたるところから現れ出てきた兵士達が、チャーリーと槍のハールーンを追いかけてきた。

「宝物を奪われたぞ!」

「泥棒だ!!」

 俺はどうしてこんなことをしているんだろう、と心底嘆きながら、

「宝物だったんだ」

 どうもそうは思えない、と言いかけて慌てて黙るチャーリーをよそに、槍のハールーンが呆れ返って言う。

『なんでえ、知らなかったのかよ』

「知るも何も、俺は……」

 善良なサーカス団員だ、と言おうとしたその瞬間、吹き抜けになっていた城の階段の上方から、激しい物音が響き渡る。

「な、何だ!?」

 チャーリーも、追って来た兵士達も、一斉に上を見上げて言葉を失った。

「飛行船!?」

 すると、

「ああ、どうも。こんばんは、皆さん」

 緊張感を台無しにする台詞と共に、一本の縄梯子につかまった人物が、するすると降りてくる。

「あのですね。『槍』をお持ちの少年がこの中にいらっしゃると聞いたのですが……」

 誰もが目を丸くする。

「あ、ああ、俺だけど、一応……」

 思わず返事をしてしまったチャーリーに、再び声が振ってくる。

「すみませんが、うちの船長がお呼びなんで、ちょっとこちらに来て貰えませんか? もしも嫌でしたら、その槍だけ渡してくだされば結構ですが……」

 それはそれで困る、と心底チャーリーは唖然として突然目の前に降りてきた男を見る。

「昼間の、牧師じゃないか」

 王宮の前で、眼帯の男と、自分より少し年下くらいの少女と3人で立っていた、あの牧師である。

「おや、僕の事を知ってるんですか。それなら話は早いですねえ。ところであなたは?」

「いや、えっと、それが……」

 とにかく、この場から速やかに退散して、サーカス団の皆に危険を知らせにいかなければならない。

「とにかく、連れて行ってくれ!」

 槍のハールーンを手にしたまま、叫ぶようにチャーリーは言う。すると牧師はのんびりと微笑んで、頷いた。

「では、つかまっていて下さいね」

 はっと我に帰った兵士達が、慌てて彼らに襲い掛かってくる。その次の瞬間、吹き抜けの上の飛行船から、一気に水が降り注いできた。

「え?」

 さっと牧師が、チャーリーを船の真下に引き寄せて、言った。

「急ぎましょうか。氷漬けにされる前にね」

 言われるままに、彼は慌てて牧師の後をついて、大急ぎで梯子を登り出す。次の瞬間、彼らを追いかけてきた兵士達の悲鳴が上がる。

「何だ?」

 思わず下を見たチャーリーが、ぎょっとして言葉を無くす。兵士達の足元が、真っ青に凍り付いていた。

「足止めですね。明日の朝までにはちゃんと解凍されますよ」

「見てるだけで、しもやけになりそうだな……」

 思わずそう呟いた口から、彼の人生をどうやら大きく変えてしまったらしい、忌まわしいくしゃみが飛び出してくる。

「風邪ですか?」

「ええ、まあ……」

「いけませんよ、風邪は万病の元ですからね。アリアが言ってましたっけ。病は気から、って」

 万病どころか、それよりもどうやらずっと性質の悪い、そして気合ではなんともならない災難の元だったのかもしれない

(やっぱり今日は、ついていない日だったんだな……)

 とうとう、口を開く気力も無くしたチャーリーが、なされるがままに頷いて、再び巨大な溜息だけを地上へと残して、空中へ上がっていった。

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