2-23 はじまりとおわりと、新たなはじまり
もう何十年も前、荒野の国サン・カリスト王の葬儀に出向いた時のことを思い出す。荒野の王家の血筋は途絶え、これからは執政官達が政を行うらしい。
そんなサン・カリスト城に国王名代として訪れてから、確か3日目のことだった。
アレキサンダー・クリスタグレイン、背が高くおっとりのんびりとした、目立つところのない気質の17歳の王子の隣の貴賓室に滞在していたのは、隣国トーリス国の皇太子のひとりセオドールだった。
「……魔法の使い方を知らぬのか。私はそれなりに修練を積まされた。我が国の王族は魔法使いの如き力を皆持つ。それを恐れる者も多いが」
夕刻にひとり、ランプに向かって魔法で光を灯す練習をしていたのを見られて、アレキサンダーは気恥ずかしくなって黙り込む。
美しい銀色の髪に特徴的な蒼い瞳、威風堂々としてはいるが恐ろしく冷たい印象の、自分と同い年の皇太子。バルコニーは隣室に繋がっていたことをすっかり失念していた。
「………手を出してみろ」
「う、うん」
ひやりと冷たい手。修練を積んでいるのか、節くれだった手には剣を日々握っているのであろう跡、そして、厳しい修練を示す凍傷の跡が見受けられる。
平和な小国の凡庸な跡取りである自分にはないものだ。
「汚い手だが、我慢しろ。それで、ランプを見るんだ」
おっかなびっくり手を重ねると、冷たい電流のような何かが一瞬身体を通り抜ける。目を白黒させていると、目の前の弱々しい光が、青々と光りだした。
「これは私の色だが、そのうち、お前の色になる」
「僕の色………」
「お前が凡庸か、そうでないかは知らぬが、魔法を恐れない者がいつか王になるのは、良いことだ」
この皇太子は本当は優しい男なのか、見た目通りの厳しい男なのか皆目検討が付かなかったが、思わず息を整えて、もう一度ランプを見る。
青い光が、少しづつ白く淡く色を変えていく。
争いとは無縁でありたいが、誰かを照らすだけの力は欲しい。真っ白い光は、そんな気持ちの現れだろうか。
「……剣を、練習しているのかい?」
「トーリスの王族には継ぐべき『剣』がある。私は、楽園などという夢物語は好かないが」
自分も『鏡』を持たされている。お姫様の持ち物のようで気恥ずかしくもあったが、銀色の美しい鏡は幼少期より大事に、肌見放さず持っていた。
「願いが叶うって聞いたけど」
「願いなど私は自力で叶えてみせる。何だろうが。それが出来ぬ私など、私ではない」
王位継承権は兄王子達が持っているというが、その上二人の王子達の評判はいまいち芳しくなかった。
そして、それゆえにこの優秀な末の王子は、厳しい人生を歩んでいるらしい。
かける言葉が見つからない。
ふと、数年前にトーリスとクリスタグレイン両国の間に聳える国境の山々を視察したことを思い出す。蒼い空に突き刺さる様に聳える銀色の峰々。
この青年は間違いなく、トーリスの王になる。この厳しい手にこそ似合う王笏があってもいいはずだ。
そこに、近習がドアを叩く音が響く。平和な小国の王子が、思い切って言った。
「あの、その……セオドール皇子、魔法の使い方を、教えてくれてありがとう。君の戴冠式までには、もっとしっかり灯せるようにするよ」
皇太子が目を瞬かせる。感謝されることに慣れていないのだろう。動揺したのを悟られまいとするように、尊大に胸を張って言った。
「よかろう。私の足元を照らす名誉を与えてやる。せいぜい励むが良い。アレキサンダー、クリスタグレインの王子よ」
クリスタグレイン王がバルコニーから外を見る。老いてなお、自分の灯りのことは、忘れずにいてくれたらしい。
葬儀の知らせを手に、王は星を眺める。
真冬の訃報というものは、年老いた肺病持ちの身には堪えるものだ。
ゆっくりと息を吐きだして、片手に持っていたランプを灯す。いつもより、ほんの少し青い光が音もなく灯る。少し頭を振ってから、もう一度手を翳し、いつもの独特の白い光に変えてから、王は振り返った。
「これを霊廟に収めるよう、アリアに伝えるように。これからの永き旅路の足元を照らす名誉に感謝を」
ダトー、と名乗ったトーリス国王の伝令が深々と頭を下げる。
「トーリスはどうなる」
「暫くは大臣達が治めましょう。しかし、若き国王の戴冠を望むものも多くおります」
「そうか」
「光り輝く様に美しいと噂のクリスタグレインの姫君とご懇意である、というのも大きいようで」
王が笑う。
「若々しいつがいを引き離すのかね」
強大な国。セオドール王もその気になればあっという間に併合できたであろうこの小さな国。不思議なものだ。
「………わしよりも優れたあの王が、何を望んで宝物を集めようとしたのか、問うてもよいかね」
かつては密偵の役目も果たしていたのであろう男が、目を閉じる。
「我が王は悔いておられた。命の炎を燃やせる時間が残り少ないと悟った時に、決めたのでしょう。………行方不明の姫の亡骸、脱獄囚として追われる唯一の皇位継承者、愛し方がわからないゆえにほんの一瞬緩めてしまった、己が握るべきだった運命の糸のようなものを、再度手繰り寄せるために」
あの日、願いは自力で叶える、と昂然と言ったはずの『夢物語など好かぬ』はずの男が、突如、『宝物目当に』自分の孫娘に婚姻を申し込んできた。
二度目の生。
夢物語に他ならないことを、あの王は本当に願っていたのだろうか。たとえ願っていたとしても、安易に宝物は求めなかったはずだ。
ダトーが、少しの間の間に、ぽつりと付け加える。
「『跡継ぎがいないので二度目の生が欲しい』それは本心でしょう。でなければ、あの呪術師殿は騙せない。けれど、クリスタグレインの姫君との婚礼話が持ち上がった時に、王はそれを一笑に付さなかった。………もしかすると、あなた様のご身内を奥方に迎え入れるという言葉は、あの呪術師殿にとっては策略のひとつでしたが、王にとっては、もっと別の何か……そう、もしかすると、『鏡』目当てだけではなかったのでは、と今にして思うのです」
白く優しく光り輝くランプの灯りを見つめ、かつては間諜だった、今では伝令を務める男がぽつりぽつりと呟く。
(………願いは自力で叶える。それが出来ぬ私など、私ではない、か)
もしかするとあの婚姻話こそが、あの誇り高い王の厳しくも寂しい心が無意識に発した、何かしらの『信号』だったのかもしれない。
アリアに見舞いの品をたっぷり持たせてトーリスに送り出したのは5日前だった。
「………己の過ち故に喪ったものも多いゆえ、これからゆっくりと地獄へ行くおつもりだったみたいですが、地獄へ携えるには、少しばかり明るい灯りですな」
「その通り」
きっと王の枕元にも、アリアは白い灯りを灯しているのだろう。
あの日、自分の部屋の窓から現れた、当時は船長だった皇子も、その傍らにいるはずだ。
孤独ながらも、徐々に友情や愛情、そして幸福というものを得た旅を終えたばかりの孫息子が、その峻厳な祖父の最後の静かな旅路を見送る。
「それが、寂しいものであるはずはなかろう」
銀色の髪の船長。祖父の持つトーリスの山々にも似た峻厳な孤高さの代わりに、雪国の暖炉のような優しさや愛情深さを手に入れた皇子。
かつて見知っていた銀と蒼を継ぐ者。
「船長殿、否、若き皇子も、願いは自力で叶える男なのだろう。トーリスの男とはそういうものだ。………だが、こう伝えるように。わしが生きている間は、いつでも頼ってくれてよいのだ、と。そして、何よりも……傍らにいてくれる友を、よく頼るように、と。誰かを頼ることが出来る者は、人生を良く生きられる、そういうものなのだから」
金色の髪のあの愛らしい姫君も、今は霊廟で静かに眠っているらしい。ダトーがしばし冬の空を見つめ、ぽつりと言った。
「………私の父はかつて、ミスティリア姫の音楽教師でして」
「ほう」
「15年、姫が失踪してもなお、父は音楽室で待っていました。一日も、休むことなく。……そう、姫が捕らえられ、宮殿に護送されたあの日……姫は言ったそうです。『どうしても一度だけ、ピアノが弾きたい』……その願いは叶えられました。処刑場へ送られていく夫への葬送、宮殿のどこかに引き離された息子への愛惜、色々あったのでしょう。……姫はピアノを長い間奏で、最後に、ピアノの蓋を勢いよく閉めて、立ち上がりました。それが、父が見た姫の最後の姿だった」
「………」
「けれど父だけは知っていたのです。ミスティリア姫は決して『ピアノの蓋を閉めない』ということを。そのくらい、自由な姫だった。………それで、不思議に思った父が、ふとピアノの蓋を開けたら、そこにはあの『剣』の鞘が置かれていた。そう、15年も部屋で待っていてくれた老いた音楽教師に、姫は一縷の望みを託したわけです」
クリスタグレイン王が、息を吐く。
「……いつか、話してやっておくれ。あの心優しい皇子に」
「ええ。いつか」
白く、音もなく、雪がちらつく。哀しい思い出や昔日の秘密を語り合い、そしてその思い出の扉を静かに閉めるのに相応しい日なのだろう。
雪解けの季節に開く、古い古い、秘密の扉。
「いかなる呪いも撥ねつける剣の鞘、か」
「あの仮面は着用すると毒竜の呪いに蝕まれ1年ももたない、そういうものです。父は知らなかったのかもしれませんが、結果的に、皇子にあの鞘を与えて獄中から逃がした父の行為が、皇子の命を救い、呪術師殿の追っ手から逃れることになった」
ダトーが遥か遠く茫洋とした過去へと視線を投げる。
「………良き父親だったかね?」
ダトーが笑う。
「私よりもよほどかの姫君を、実の、自慢の娘のように愛おしんでいましたがね。私にも同様に、いや、より厳しく音楽教育を施していました。いつかはトーリス初の宮廷楽長に、と。畏れ多いことに、私はミスティリア姫のピアノの兄弟子というわけです。世が世なら、王よ、あなたとは今頃、宮廷楽長としてお会いしていたかもしれませんな」
「まだ弾けるかね」
「もう何十年も鍵盤には触れておりませんな。五線譜より、剣呑な事柄ばかりをなぞっておりましたので」
くつくつと笑い、空を見上げてこの壮年の男が、丸で自分の心の引き出しを整理するようにぽつりぽつりと語る。
「……剣の鞘の紛失が発覚し、父は王に自首しました。処刑される覚悟で。だが、王は何故かそうしなかった。そのかわり、息子の私の身柄を差し出すように、と。その日から、私は間諜に、トーリスの言葉で言うところの『王の耳』になった」
「成る程」
「ミスティリア姫の棺に遺体がないことは、王も薄々気付いていたのです。私は、あの呪術師の配下になりました。あのアジタート殿は最期まで、私のことを口が軽い『王の耳』だと思っていたことでしょう」
雪がいつの間にか止んだ空に、クリスタグレイン王が視線を投げる。
「………わしもまた、わしの部屋に『冒険者』として現れたあの王子はきっと、父母が命をかけて彼に与えた『自由』を、民に知らしめる役目を果たすのでは、と思っておるよ。……じゃがな、もしかすると、わしが本当に自由を与えたかった相手は、もう何年も前から、あの山嶺の向こうにいたのかもしれぬな………」
バルコニーから遠くに視線を向けると、微かに遥かトーリスの峻厳な山々が見える。クリスタグレインとトーリスを隔て高く聳える山を、かの船は軽々と超えてゆくという。
「……セオドール、懐かしき友よ。掌の傷や、拭えなかった心の疵は癒えたかね。もう、安心して、ゆっくり眠っても良いのだよ。……わし達にはもはや成せないと思ってたことを、わし達の後継者が成してくれたのだから」
冬の終わりと共に永遠に去っていく古き友へ、冬の風に乗せて惜別の言葉を贈る。
「……そしていつかは佳い季節が巡って来る。それをわしはこの目で、生あるうちに必ず見よう。わしはこの地で、おぬしは天で」
ダトーが深々と頭を下げる。
「年寄りゆえに話が長くなってしまった。部屋で暖かいものを淹れさせよう」
「いえ、まだまだ仕事がありまして……」
ふと、クリスタグレイン王が、ポケットから小さな鍵を出して渡す。
「これは?」
「アリアとあの皇子が使っている、この王宮のピアノの鍵じゃよ。いつでも練習しにくるとよい、未来の宮廷楽長殿。あの二人にも教えてやっておくれ」
ダトーが息をするのも忘れた顔で、クリスタグレイン王を思わず凝視する。
王がゆっくりと窓を閉めながら微笑んだ。
「そう、新しい季節に新たな旅路をゆく者が、若い者だけとは限らない。誰もが、何かしらの新しい可能性を秘めている。……然り、あの五つの宝物の物語のようにな」
アリアがあの日、この窓から冒険の旅に旅立ってから、もう随分と長い時間が経った気がする。
部屋の壁に掛けてある亡き息子の溌剌とした肖像画の隣には、冒険の末に新たに己の国の姫君として帰還を果たした孫娘の、まだ新しい執務机が置かれている。
いつの間にか裁縫室のお針子達と懇意になり、皆で考え抜いて作ったという「コルセットの要らない普段使いのドレス」なるものをまとって政事の場に立ち会うようになった姫君。
アルテからの私的な手紙には、彼女とトーリス王セオドールの最後のやり取りが綴られていた。
『……「自由な服を作ったと噂で聞いた」って、結局、陛下にもお見せすることになったの。
「自由か。もしかすると、それこそが、余が我が娘に、着せてやればよかったものかもしれぬ」
新作のドレスを侍女に持たせておいて本当に良かったわ。陛下の御棺に入れるのに間に合ったもの。きちんとアイロンと、リボンをかけて。
……この手紙が届く頃には陛下も、あの服を手に、ミスティリア姫に出会っている頃かしら。そう、マエストーソのお母様と私、服が同じサイズだってことは、船に行った時から知っていたの』
そんなアリアが、冬が来るより前に縫い上げてくれた、新しく暖かいカーテンが優しく揺れる。
雪空からかすかに差し込んできた晴れ間の光が丸で、今までの皆それぞれの旅路の終わりと、これから新しく輝く季節を優しく祝福するように、部屋を緩やかに暖かく彩った。




