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2-20  湖水に立つ

 クリスタグレインへ向かう途中のトーリスの険しい山岳地帯に、船がゆっくり進んでいく。

 陸地から海まで続く白い連峰を、一同は甲板で白い息を吐いて見つめる。

『楽園、つまり私たちの生きた場所よ。あれから幾万もの年月が巡って……清めたはずの国は湖に沈んだのに、今度は山の頂上へ隆起するなんて』

「その途中で、一部はあの浮島になったとガウナが告げておるぞ」

「古くはトーリスまで流れ着いた、という伝承がありますが、逆だったのですね」

『……そういうことだ。貴殿同様トーリスの王族に魔法に長けた者が多いのは、あの時開け放った神殿の水がこの辺りに氷として残っていたのが影響しているのかも知れぬ』

「いかなる冒険者を阻む最後の秘境、か。うちの親父も挑んだのかもしれないな……」

「中腹までは記録やルートが残っているので、その可能性も否定できませんね。天候がすぐに変わる危険かつ険しい場所で、不定期に水も湧き出すので、踏破には厳しい場所ですが……。近隣住民は神聖視していたようです」

「堅牢な飛行船でもないと無理というわけですか」

『今日はよく晴れているわ。頂上へ行ける?』

「任せてください」

 音もなく雲海を抜けた船が、静かに頂上へ向かって上昇する。


 山頂に、小さな青い湖の美しい湖面が音もなく凪いでいた。

「船を浮かべるには小さいですね。空中係留しましょう」

 空中で音もなく留まった船体から梯子を静かに降ろして、一堂は湖の端で足を止める。

『……ここが、今唯一残っている私達の国だった場所。城の宝物庫の跡地。……もう何もないけれど、どうしても帰って来たかった場所よ。楽園のように美しかった国は、もう滅びてなくなってしまっているのに』

 青い湖の遥か底に、僅かに建物の名残のような形が見える。

「アリエッタ、どうすればいいの?」

『あそこが、これから私たちが帰る場所なの。皆を、一緒にあそこへ戻して貰えると、嬉しいわ』

 5人がそれぞれ、静かに、5つの宝物を水の中へ沈めていく。

 すると小さな湖面が、朝日を受けたように輝き出し、5人と一匹が、静かに山頂の青く輝く湖面に立っていた。

 自分達と似たような、それでいて少しばかり透けた姿で。

『私、自分の国に帰って来ることが出来たのね。皆と一緒に』

「……同じくらいの身長だったのね、アリエッタ。ずっと鏡越しでしか見てなかったから、わからなかったわ」

『ふふ、そうね。ああ、でも、宝物の一つでも残っていれば、冒険の証になったのに』

 マエストーソが言う。

「いいえ、月並みな言葉ですが、あなた達を巡る旅こそが、如何なる宝石にも勝る宝です」

 5つの宝物を廻る旅をしなければ、自分は永遠に孤独だったに違いない。マエストーソが微笑んで言う。

「あなた方が救った命です。大切な人がいる場所を楽園と呼ぶのなら、どんな場所だろうがそこは楽園なのでしょう」

 スミスが言った。

「ああ、けれどオラトール、願わくば一度あなたと呑み明かしてみたかったんですよ」

 オラトールがいつもの溜息と共に言う。

『聖職者の心得が足りん不良牧師め。お前の様な変な男を選ぶ事になろうとは我も予想外であった』

 そして、笑う。

『……だが、我が宿願がお前のおかげで果たせた。礼を言おう』

「宿願? やはり呑み明かす必要がありそうです。僕にとっては多少口うるさい兄が出来た気分で、日々大変楽しかった」

『大変正直で宜しい。スミスよ、我もまた楽しい日々であった』

 握手をしようと手を伸ばすと、半分透けている大きな掌が返ってくる。触れることは出来ないが、温かみを感じた気がして二人は同時に笑いを零す。

「ハールーン」

『世界中を飛び回ってこいよ。すっかり度胸だってついたじゃねえか。真珠のお嬢にも宜しくな』

「少し、寂しくなるけどな」

『寂しがってる暇なんざねえのが航海士ってやつだろ? それに、例のブツの手配だってしたじゃねえか』

「もちろん」

「例のブツ?」

 マエストーソが聞くが、ハールーンとチャーリーが顔を見合わせて口を閉じ、兄弟のようにいたずらっぽく笑う。

『……伊達男には必須のやつさ。なあスミスの兄貴?』

「正しくは、伊達男のケツに火をつけるには、ですかね」

 スミスも笑いを噛み殺す。

『俺らは大悪党だからなあ?』

『嘆かわしいことだが、我も「神官ゆえに」止めることはしなかった』

「誰かさんのおかげで立派な悪党になれて楽しかったな」

 エスタートとイルミートが、同じ背丈で笑う。

『ああ、そうさ。我らが船長殿。僕とは共にした時間は長くないけれど、君がまだ幼い時から、僕らはずっと、君を見守っていたんだ』

 イルミートが湖面に手を触れる。ゆらりと水面が揺れて、優しい筆記体が湖面を躍る。

『もう、幸せになることを恐れなくてもいいのです』

 そして、イルミートが先日までは仮面で隠れていたマエストーソの頬に触れる。エスタートが笑う。

『君の母さんが、イルミートだけを持って駆け落ちした時は僕らも本当にびっくりしたけれど、君は何度も苦難や孤独を乗り越えて、素敵な友と共に僕のところに来てくれた。誇らしいよ』

 アリエッタが微笑んだ。

『ええ、そうよ。私達5つの秘宝を最初に集めた者はあなたと見なしているわ。エスト・コルネリア船長。トーリスの宮殿であなたを救った時に、願いは既に叶えられてしまっているけど、私達、それだけではちょっと物足りなかったの。……だから、あなたの願い、叶う日が来るわ、必ずよ』

「私の、願いですか」

『そうよ、私達の船長。あなたの旅路が結びつけたものが、あなたを幸せにするのよ。アリアもちゃんと見届けてあげてちょうだいね』

「もちろんよ」

 ケイがガウナに言った。

「……拙者のような流れ者は、何も言わずに立ち去るのが常なんじゃがなあ。おぬしの姿を借りたことで、何度も助かったし、楽しい思いもしたものよ」

 ガウナがそれに応えるように吠える。

「いいってことよ。おぬしもそうであったなら、拙者も喜ばしいというもの。さらばじゃ。健勝でな」

『そうね、そろそろ行かないと』

「アリエッタ、あなたがいてくれて、本当に楽しかったわ」

『私もよ、アリア。……アレックス、そう、クリスタグレイン王にも宜しくね。湖の中の小さな楽園、本当はマクシムやアレックスも呼んであげたかった』

「この旅のこと、いっぱい話すわ。明日には、王宮に着くの」

『そうね、わかっているわ。……あなたには無限の可能性があるけど、可能性があるのはあなただけじゃない、ここにいる皆もよ。だから大丈夫。何があっても大丈夫。保証しても良いわ』

 思わず湖面に手を伸ばすと、半分透き通った姫君が笑い、重さのない薄く光る体でアリアを抱きしめる。

『可愛い子。私、あなたが生まれた時から知っていたわ。だからわかるの。あなたは必ず幸せになるって。いつかまた会える日が来たら、また昔みたいにゆっくりおしゃべりしましょ』

 湖面が一際輝く。

『さらばだ。我が不良牧師よ。よく鍛錬せよ。そして……悪戯は程々にな』

『今度会った時は、もっといろんな話を聞かせておくれよ、僕らの船長殿!』

『じゃあな相棒、楽しかったぜ。サーカスの皆にも、セリスレッドの王様にも宜しく言っておいてくれや。また、どこかで!』

 また彼らに、何か違う形で会える日が来るのだろうか。そうだとすれば、自分達の旅路はまだまだ長く、波乱と愉快な事に満ちているのだろう。

 寂しくもあり、それでいて、嬉しくも、そして楽しみでもある、そんな不思議な気持ちで、チャーリーは言った。

「俺は航海士だからな。どこにでもいくし、どこにだっていける。誰の願いだって叶えてやれるような、そんな奴になるよ!」

 ハールーンがニヤッと微笑み、胸を張って大きく頷く。ガウナが大きく遠吠えをし、輝く湖の湖面が大きく揺れる。次の瞬間、湖面の彼らの姿がひとつに溶け合うように光り、幻のように湖の中へと消えていった。

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