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1-4 銀髪の船長

「クレスタグレイン王ですね?」

 眼帯の男が、静かに一礼し、聞いた。その、意外にも紳士的な物言いと、見た目よりもかなり柔らかな声に驚いて、アリアが目をぱちくりさせる。

「決して手荒な真似はしません。ただ、私にはその『鏡』がどうしても必要なんです」

「噂どおりの丁寧な押し入り強盗だ」

 王が、眼帯の男を見る。

「わしとしては、そうだな……トーリス国にあの『鏡』を持っていかせたくはないのも確かだ。わが国唯一の宝物だからな」

 驚いたアリアが、思わずポケットの中にしまってある鏡に服の上から手を伸ばす。

「『鏡』だけならともかく、可愛い孫娘まで一緒に持っていかれるのはもっと気に食わぬ。このような病床の身でさえなければ断っておったのだが……」

 王が、眼帯の男をゆっくりと見る。

「この『鏡』に、どんな力があるか知っているようだな、エスト・コルネリア船長」

「恩人が、教えてくれました。この大陸の五カ国に散らばった『鏡』『槍』『剣』『杖』『扇』の五つを集めると、太古の楽園が蘇り、そこに辿り着いた者は、いかなる願いも叶えることができる、と」

 泣くことをとっくに忘れたアリアが、突如現れたこの謎の船長らしき男を、穴が開くほど見つめて言葉を失った。

「私は、その5つの宝物を探している、ただの冒険者です」

 王が、少し遠い目になって、部屋の壁に掛かっている王子の肖像画に目をやった。

「わしの息子が、命の次に大切にしていた宝物をか。これは古よりクリスタグレインの王位継承者が持つべきものだが……」

 そして、男に言った。

「願いを叶える。それがただのおとぎ話ではない、ということを知るのは王族のみだ」

 アリアが、息を呑みこんだ。

「だから、私と結婚して、『鏡』を?」

 クリスタグレイン王が、ため息をつく。

「そうすれば、わしの国もいずれかはトーリス国のものになるだろう。後継ぎはアリア、お前さんしかいないのだから」

 その時だった、部屋の向こうから複数の足音が聞こえてくる。王が、眼帯の男と背の高い牧師の二人を見て、言った。

「エスト・コルネリア船長か。トーリス国第一級の大悪党と聞くが、わしは、そう………知らないわけでは、ないのだよ」

 眼帯の男が、表情を変えずに王を見る。王が、アリアの手をそっと放し、そんな彼の横を通り過ぎて、部屋の隅にあった金の鳥かごを開けた。

「わしの馬鹿息子は一度も手紙をよこさなかったが、アリア、お前はおじいさんに三日に一度は手紙を書いてよこしておくれ」

 鳥かごの中から、鳩ほどの大きさの鳥が飛び出してきた。アリアを含めた三人が驚いて、一様に王を見つめる。先程の牧師が、ぽん、と手を打って言う。

「『クリスタグレイン姫は「鏡」ごと何者かに誘拐されました。只今わが国では全力をあげて行方を探しております。結婚の件は少々お待ちください』という事にしてくださるのですね?」

「わしにとっても、そのほうが都合がよいからな」

 そして少し眉を寄せて呟く。

「………しかしセオドールめ。この度のこと、どうも解せぬ」

 眼帯の船長が問い返す。

「………セオドール・ルベウス・トリスロード、トーリス国王ですね」

 王が、船長を静かに見返して、言った。

「わし同様に、跡継ぎに出奔された王だからな。不肖の親同士、心の内はわかりあっているものだと思っていたが………しかし、あれは我が友であり、かつこの世で誰よりも峻厳な男だ。このわしの孫娘と結婚したいと言い出すほど突然耄碌するとは思えぬ。……トーリス国では何か起きているのかもしれぬな」

 眼帯の船長の蒼い瞳が一瞬揺れる。

「………もはや夢の中でしか咲かぬと思っていた花が、ようやく我が手元で咲いたというのに、それを不穏な風吹く北国へ渡すわけには相成らぬ、というわけだ。ゆえに、わしは、そなたに預けよう。エスト・コルネリア船長、他ならぬ、そなたにだ」

 まだ事態がよく飲み込めていないアリアの肩に、先程の鳩が舞い降りてくる。

「アルテ、という名前だ。そいつは、世界のどこにいても、必ず飼い主の元に戻ってくる。おじいさんからのプレゼントだ。アリア。町の孤児院も、上手く取り計らっておこう。………さあ、彼らと共に行くがよい。この船長なら、良い護衛になってくれるだろう」

 クリスタグレイン王が、アリアを優しく抱き寄せてキスをする。

「お前さんのお陰で、まだしばらくは長生きできそうだよ……」

「私、もっと、おじいさまとお話して、いろんなことを、知らなきゃいけない。そんな気がするのに………」

 ドアの向こうから微かに、城の騒ぎが聞こえてくる。ここまでやってこないのは、病身の国王を煩わすことのないように気配りしているらしい。だが、それも今しばらくの間である。

「旅行をしたことはあるかね?」

「ないわ。私、城下町から出たことないの」

「それはいかんな」

 この祖父は、『帰ってくるように』と言わない。言いたいのだろう。初めて会ったのに、何故かそのことだけは痛いほど伝わってくる。アリアの目から、本日何度目かの涙がこぼれ落ちる。

「……いっぱい、お手紙を書くわ」

 自分が本当はお姫様だとわからないまま過ごしていたら、絶対に会えなかったはずの血のつながった祖父に抱き寄せられたまま、やっぱお城にきて良かったのだろう、とアリアは目を閉じた。

「危険も多少はあるだろう。手を。この祖父がひとつ、お守りを与えよう」

 皺の多い大きな掌が、差し出される。そっとその手に、自分の手を重ねる。

「魔法というのは、こうして伴侶か血縁に授けることができる」

「魔法………」

 魔法の使える人間というのは、町でも時折見かけることがあった。曲芸などに応用して生業にする者や、竈に火を付けたり飲み水を浄化するなどという日常生活に応用するもの、聖職者の儀式、用心棒の武器代わりなど、用途は多岐に渡っている。

「私に?」

「何の力もない光だが、旅路を照らすことはできよう」

 寝台脇のテーブルの上のランプを吹き消して、王は消えたランプに手をかざす。すると、ほんの僅かに虹色を帯びた、真珠の輝きにも似た暖かく白い光が音もなく静かに灯る。

「………わしはあのトーリス王の様な膨大な魔力や統率力もなければ、セリスレッド王のような才知に溢れてもいなかったが、わしの妻はこのささやかな魔法の灯りを愛してくれた。何の力もない、ただの光を。婚礼の日には、王妃の衣装や冠を、わし自らこの光で彩ったものよ」

 クリスタグレイン城。昔は夜も美しく輝く城だった、と亡き院長先生がいつか言っていた記憶が蘇る。

「この城の灯りも、病に倒れるまではわし自らが毎日灯して回っていた。城中の見回りも兼ねてな。久々に灯したが、うむ、悪くない」

 重ねた掌から、暖かいものが静かに流れ込む。思わず目を閉じるが、瞼の裏側にまで、美しい光が流れ込む感覚に驚いて、今度は目を見開いた。そんな自分の身体がほんの一瞬、淡く光る。

「もう一度、点けてごらん」

 手で仰ぐ仕草で自分の付けた光を消したランプを見て促す。

「出来るのかしら、私に」

「出来るだろう。念じてごらん」

 白く、淡く、だがしっかりと輝きを放つ。

「………この灯り、孤児院に点けてあげれたらいいのに」

「ランプを届けさせよう」

「でも、魔法ってよくわからないわ。私が願ってる間は、点いてるのかしら」

「強く願いなさい。話しかけてごらん」

 どうしていいかわからない。思わずランプに囁いた。

「しっかり光るのよ」

 夜を怖がる子どもたちが、安心して眠れるように。眠りを妨げず、それでいて夜の間しっかり子どもたちを守ってくれる、夢のような灯り。

「……私の代わりに、頼むわね」

 ふわり、と頷くように灯りが揺れる。灯りを見つめて、涙を拭い、何かを決意した様に大きく息を吐いた孫娘の顔を、年老いた王が大きな両手の平で包む。

「……わしは大きな過ちを犯そうとしているのかも知れないが、あの馬鹿息子が言っていたとおり、人生は自分の手で決め、そして自由に生きるものだ」

 そして、両手の平で包んだアリアの瞳を見つめ、しばし逡巡したように結んだ口を、そっと開き、囁く。

「………息子に言ってやりたかった。それは、いつか大きな、大きすぎる義務や責任を背負う日が来ても、決して後悔しない為の旅なのだと。………ああ、そうだ、言ってやりたかったのだよ」

 眼帯の男が、静かにそんな王の言葉に耳を傾けるように、二人の傍らに佇む。王がもう一度、アリアの額にキスをして、そして彼は胸に下げていたペンダントを外す。

「お前さんの父の肖像画だ」

 ペンダントをアリアの首にかけてやりながら、今度は王は眼帯の男に言った。

「わしはお前の母上に会った」

 驚いて、アリアが今度は眼帯の男を見る。

「美しい金色の髪のそれは可愛らしい小さな子だった。わしの死んだ妻が気に入っていたものでな、わしも何度か、抱っこしてやった思い出がある」

 眼帯の男が微笑む。

「……北のトーリス、南のセリスレッド、西のサン・カリスト、それらのどこよりも平和で穏やかな国クリスタグレインの主。母も、あなたを覚えていましたよ。小さな国ののっぽの王様と優しいお妃様の話を寝物語に何度も聞かされたものです。お会い出来て光栄です。アレキサンダー・クリスタグレイン王」

 そして言った。

「あなたのお孫さんは、命に代えてもお守りします」

 アリアが、驚いて男を見る。王が、船長に微笑んだ。

「そなたは冒険家。ならば、孫娘にも、何よりも楽しい日々を約束してはくれぬか。わしの息子なら、どんな時でもそういうに違いないからな」

 船長が、肖像画を見る。そして、

「それでは、この肖像画にかけて」

 静かに一礼し、肖像画の額縁に手を伸ばして指先で触れ、もう片手を己の胸に当てる。その一連の所作の美しさに、アリアは涙を拭いて目を瞬かせる。

「マエストーソ・カーネリアン。今日からあなたの護衛を仰せつかりました。………事情がありこの眼帯は外せないことをお詫びします」

 黒いローブに、恐ろしい眼帯。それにあまりにも不釣り合いな銀の髪に青い目、そして穏やかな声音と紳士的な所作を持つ船長。

「どうか何事も気安くお呼びください。良き旅を、約束します」

 自分の祖父は自分の行先として、トーリス国ではなく何故かこの不思議な船長を選んだ。思わず、広場で見た丸で蝋人形のようなトーリス国の使節団を思いだしてから、もう一度、目の前の船長を見つめる。

 銀色の髪に、蒼い瞳。

 これはきっと、飛行船の船長に相応しい、空の色なのだろう。そして、牙や鱗で彩られた、不釣り合いなほど恐ろしい眼帯で片方を隠しているが、その下にも、もしかしたら美しい瞳が隠されているのかもしれない。

「ありがとう。船長さん。………私、色々不慣れだけど、これからお世話になるわ」

 その驚くほど蒼く美しい、真摯な瞳に思わず圧倒されながら、やっとのことで答える。

「信じて頂けて、光栄です」

「ああ、この人は見た目はちょっとおっかないかも知れませんが、おっかないのは見た目だけですよ。僕のほうが力持ちですしね」

 後ろの牧師が、にこにこと笑いながらアリアに話しかける。

「広間であなたをかっさらって、どさくさに紛れて鏡だけ貰って、さっさと逃亡するつもりでしたが、思わぬ旅の友が出来て何よりです」

 驚いて、アリアが聞いた。

「じゃあ、広間でのあの風は……」

「僕の魔法ですよ」

 王が、振り返って牧師を見る。

「だが、ドアの修理代は次に来たときに払ってもらうぞ。請求書は船宛でよかったかね?」

 孤児院にいた頃、自分も同じように院長代理としてあれやこれやの書類や帳簿と格闘してたことを思い出す。やはり血の繋がりはあるのだ。思わずアリアが笑いをこぼす。

「さあ、行っておいで。5つの宝物と幻の国は、お前さんの父の夢でもあった。そうだな……もしも本当にそのような国があるのなら、そこでのんびりと療養し、優雅に余生を暮らしてみたいものだ。わしも、そういうことを考える齢になってしまったが、これもなかなか悪くはないな」

 王が部屋の壁の肖像画に視線を投げる。

 誇り、赦し、まだ自分の知らない、歳月を重ねた人間だけが持つことができる、どんな絵画よりも陰影のある表情。

 アリアがそんな祖父を、ぎゅっと抱きしめた。

「行ってきます、おじいさん。身体に気をつけてね、いつも暖かくして、美味しいもの食べて、ぐっすり眠れば、病気なんてすぐ治るわ。病は気から、よ」

 孤児院での世話口調が思わず口をついて出てくる。王が微笑みながら、

「気をつけるのだぞ。アリア。困りごとがあったら何でも相談するようにな。わしにも、そこの二人にも。……良き姫君というのは、世界をもっと知らねばならん。これを昔息子に言い聞かせすぎたことを、後悔した日もあったが、それも今日からは過去のことになりそうだよ」

 アリアの手を引いて、ゆっくりと窓のところまで歩きだした。

 眼帯の船長が、窓を開けて、丁寧にアリアの手を取った。そして、王に深々と礼をする。そして、闊達な笑顔のマクシミリアン王子、アリアの父親の肖像にも、同じように礼を尽くす。

「行ってきます。お父さん」

 亡き父も昔、こうしてこのお城の窓から、冒険の旅をはじめたのだろうか。アリアが、窓の外を見た。4、5人乗りほどの中型の帆船が、窓の外に浮かんでいる。船に全く詳しくないアリアだったが、

「素敵な船ね」

 月明かりに照らされて浮かんでいるその船を見て、心からそう言った。

「世界最高の船ですよ」

 船長が、誇らしげに答える。肩の上にとまっていた鳩のアルテが、笑みの戻ってきたアリアの頬に、頭をすり寄せる。

「今日からよろしくね」

 鳩を撫でてやり、彼女は窓から甲板に移る。牧師が、王に一礼して船に乗った。

「準備完了ですよ、船長」

「では、出航します」

 眼帯の船長が、甲板に降り立ってそう言った途端、船がゆっくりと上昇しはじめた。

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