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2-18 夜の帳は降りて

 甲板に登った途端に、二人は同時に木の床に倒れ込んだ。

「大丈夫か」

「だ、大丈夫。い、今になってちょっと、腰が抜けただけよ」

 今すぐここで横たわって眠ってしまいたいが、そうした途端に永眠してしまいそうだ。

 凄まじい疲労感が、アリアを襲う。その隣のマエストーソもまた、糸が切れたように甲板に倒れ込む。

「マエストーソ!?」

「大丈夫。体中がまだ、寒くて」

「大丈夫なわけないでしょう。全く………」

 片腕でマエストーソを持ち上げ、もう片腕でアリアを抱き上げる。

「積もる話もあるのでしょう。一緒に寝てなさい」

「一緒に!?」

 アリアとマエストーソが同時に声を上げる、

「どうせプロポーズした間柄なんでしょう。神様だって適当にお許しになるはずです。マエストーソ、きちんとアリアに返事をするんですよ。さっきまでは、もうそれどころじゃなかったはずですからね」

「え、あ、は、はい………。そうでした、そう、プロポーズ、でしたね」

 片腕で抱えられた姿のまま、思わず額に手を当てて、マエストーソが呻く様に答える。

「ちょ、ちょっとスミス、まって私」

「チャーリー。サーカス団への連絡は」

「済ませてある、大丈夫だ。お湯沸かしてくる」

「ケイ」

「毛布じゃな」

 スミスが笑いだす。そして、言った。

「二人とも、無事でよかった」

 二人が反射的にそんなスミスの手の裾をつかむ。

「ちょっとだけここにいて」

 父親になったこともないのに、父親になった気分である。

「二人ともひどい顔ですよ。マエストーソ、せっかく仮面も取れたのに。アリア、朝までの勢いはどうしたんです、もう………」

 寝台に下ろした二人を、抱きしめてやった。

「おかえりなさい、おちびさん達。とにかく、無事でよかった………」


 一緒に横たわるのが気恥ずかしくなり、身体を起こす。

「すみません、本当は私が起きているべきなんですが」

「起きてたの」

「眠れない夜は久々です」

 スミスが淹れてくれた紅茶の残り香が部屋の夜闇に漂う。アリアが残った力でようやく灯したランプが小さく輝く部屋で、横たわったままマエストーソが呟く。

「………ああして、祖父に会う日が来るとは」

 自分の全てを見通すような、厳しい蒼い眼差し。

「憎まれている、と思っていました」

「とても、お身体が冷たかった。きっと、どこかお悪いんだわ。けれど」

 マエストーソの手を握って、アリアが言う。

「私があなたを選んだことを、怒らなかった」

 心の強そうな王だったが、内心の寂しさは計り知れないだろう。そのまま、もう片手で枕を抱きよせて息を吐く。

「大丈夫ですかアリア。疲れているのでしょう」

「大丈夫って言いたいけど、あまり大丈夫じゃないわ。びっくりするほど、辛いわ。………アリエッタに願えばよかった。永遠に、この船で、楽しく旅を続けられますようにって。今になって、こっそりそんなこと思っちゃうなんて、駄目よね」

 横たわるマエストーソが微笑む。

「あなたらしい。………けれど、それはきっと、あなたを幸せにはしない選択肢でしょう」

「………」

「小さな飛行船には過ぎた輝きです」

 かつてこの船に乗っていた姫君のことを、セオドール王は『夏の太陽』と呼んでいた。

「………けれど、ここは、あなたを乗せて輝く船です。あなたが一番輝く船かもしれない。僕らしか知らない輝きもある。もう少しの間、僕はそうやって自惚れていたい」

 私、ではなく、僕、という一人称で、仮面が外れたばかりの男が言う。

「ああ、困った。これからあなたは、もっと輝くべき場所に行くというのに、そんな我儘を考えてしまう」

 アリアが言った。

「『私』が一番輝くのはここよ。いつだって、これからもそうよ。だから、もう少しの間、ここにいさせて」

 マエストーソが身体を起し、アリアの手を取った。静かに腕の中に招き寄せる。

「もちろん」

 少し冷えているが、暖かい。互いの鼓動が聞こえる気がする。自分の背中に、静かに男の腕が回る。

「………けれどまだこの腕は、あなたを朝まで抱きしめていい腕ではない。もう少し、強く在らねば」

 両親の仇ともいえるあの男をもしも自ら手にかけていたら、それは強さになるのだろうか。

 否、それは強さではない。何か別のものだ。

 そんな憎しみに満ちた自分の姿を、この少女に見せずに済んだことに、今になって安堵する。

「アリア、私は『エスト・コルネリア』。冒険者です。それは、私がどんな道を選んでも変わらない」

 自由に満ちた冒険の旅が少しづつ終わっていく。夜の帳が降り、幕も閉じる。寂しさや切なさ、そして、それだけではない未知の光がほんの少し垣間見える。

 その、まだ知らない未来で輝く微かな光には、何という名前があるのだろう。

 夏の太陽、そう呼ばれる輝き。

 輝きと孤独を内包する言葉をこれから冠することになる少女を前に、マエストーソは言った。

「………長年旅をしてきましたが、私は自分の国だけを知らない。帰れるようになった今、もう少し、向き合って見ようと思います。『トリスロード』……トーリスの後継者として、そして、クリスタグレインの盟友として、成すべき道を探す為に」

 自分達は変わっていく。この先には想像もつかないほど大きいものが、待ち構えているのだろう。

 けれど、変わらないものもある。この男は、隣にいてくれる。それでいいのだ。アリアが目を閉じる。

「ありがとう。心強いわ」

 優しい腕が、背中から解かれる。寝台で眠るように促し、

「おやすみなさい。隣で眠るだけなのに、ちょっと緊張します」

 流れる時間や、高鳴る鼓動を整えるように、仮面が外れたばかりの青年が、ふっと息を吐く。

「ああ、言い忘れていました。………愛しています」

 家族のようなそれとは、ほんの少し違う不器用な情熱が、蒼く美しい両瞳に映る。

「………私で、いいの?」

「何に誓いましょうか。月よりも、そこのあなたの灯りがいい。それにきっとこの部屋のカーテンやテーブルクロスは、私の気持ちをよく知っているでしょう」

 自分の灯した灯りに少しだけ輝く、何の変哲もないカーテンが揺れる。ミシンを使って縫い上げたのが、もう何年も前の出来事に思える。

「………普通のお姫様は、本当はきっと、カーテンなんて縫わないわ」

「私は、そんなあなたを知っているのです。うぬぼれでしょうか」

「そんなこと、ないわ」

 自分が縫いあげたシーツが、自分達を包む。横たわると色んな感情が渦巻いては、口元まで昇ってきて、言葉になる前に消えていく。

 どうしようもなく、男の手をそっと握って、目を瞑る。

「良い夢を」

 額に、少しひんやりとして、それでいて熱いような感触が一瞬落ちてくる。

 それが唇だ、ということに気付きながら、アリアは、深く優しい眠りに落ちていった。

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