2-10 使節団
「……何年前だったか、もう数えるのもやめたがな。幼かったお前にその仮面を付けたのは私。私のみが、それを外すことが出来る。……ただし、仮面を外したその瞬間、お前の周りに居る者達は皆、命を落としていくだろう。マエストーソ、いかなる呪いも効かぬ『鞘』を持つお前以外は、全て」
蠢きだした仮面を反射的に片手で押さえつけ、マエストーソが唇を噛む。
「……可愛い、哀れなエスト。愛しい女から生まれた憎き甥よ。お前に『家族』は守れぬさだめ。あの日そう絶望したはずの少年が、生き延びて、あれからもう何年だったかね?」
駆け寄ろうとする船の皆を反射的にもう片手で押し留め
「……近寄らないで…ください。……危険です」
顔半分の激痛を堪えて、辛うじて鞘を握り締めたまま声を出す。
「この仮面には、毒がある。近づいては、僕以外の人間は、命を落としかねない」
「宝物は全て後で回収すれば良いだけのこと。国家大罪人とその一味、討伐せよ!!」
エム・オールを取り囲む全ての船の大砲が一斉に自分の船へ向く。マエストーソが呪術師を見つめ返して、血の流れる顔半分と、歯を食い縛った顔半分を向けて、言った。
「やれるものなら、やってみるがいい」
ぞっとするような、船の誰もが聞いたことのない低い声。船の誰もが思わず立ち尽くす。
片手で仮面を押さえつけ、マエストーソは剣の鞘を手に握り直す。
「この鞘ある限り、あなたの呪術はすべて『私には』効かない。けれど、私には守るべき者達がいる。手は出させない。あなたが私から大切な人を奪うのは……もう二度と、許しはしません」
パキリ、パキリと船を囲む大砲の砲口と、赤く輝く碇が青く凍り付いていく。押さえつける片手に、仮面から伸びる牙や爪が容赦なく突き刺さっていく。青い氷が、それを庇うように顔と手を覆っていく。その氷すら砕く勢いで、仮面から伸びてくる爪や牙が、マエストーソの腕や、脇腹へ噛みついていく。
「……そうだ、耐えて見せろ。我らが夏の太陽の後継者にして、下賎な船大工の息子。たとえ当代随一の冒険者であろうが、その毒竜の呪いには勝てぬ。一瞬でもその仮面を外せば船員達の命はなく、今その『鞘』を手放した瞬間に、お前の命は終わる」
「……けれど、アジタート・パイロープ、『本当に』用があるのは私だけでしょう。ならば………私のみを連れて行けば宜しい。ただし」
鞘を握りしめたまま、それを自分に向ける。半分が青く凍りついたままの顔で一瞬だけ、視線を後ろに投げる。
「………アリア。僕は、あなたを護衛する立場なのに。けれど、スミス……僕は『家族』を二度も喪えない。皆を、任せました」
スミスが静かに答える。
「いい子で待ってろ、とは言わないでしょうね」
マエストーソが、かろうじて、凍っていく顔の半分で微笑んだ。
「僕らは、大悪党ですからね。チャーリー、ケイ……アリアを、そして後を頼みます」
そして振り返る。
「あなたは命あるものからは力を奪えない。『剣』を持っているのは、あなただ。けれど、剣はあなたに応えない。剣の『鞘』を持つものが私でいる限り!!」
船の甲板を駆け出し、空中に瞬時に氷で足場を作る。空を舞うように飛んだマエストーソが、呪術師の目の前に降り立った。
そして、蒼い目を見開き、言う。
「勝負の時です。父と母を殺した、我が伯父上!……私がこれで先に死ねば、あなたの勝ちです。けれど、私は既に、あなたが決して持つことが出来ないものを持った。それに、全てを委ねます!!」
愛船を背景に、真っ青に輝く氷がマエストーソを包み込む。
剣の鞘を片手で握りしめ、仮面を押さえつけ、もう片方の蒼い目を見開いたまま、呪術師の目の前で、身体ごと凍り付いていった。
「嫌よ、マエストーソ!!!!」
叫ぶアリアの声が虚空に響く。
「閣下、駄目です、このままでは機関室の飛翔石がどんどん凍って……!!」
どんどん真っ青に凍りつくトーリスの船から、乗組員らしき男達の悲鳴も上がる。
がくん、とエム・オールが、トーリスの船団にとり囲まれた中央からするりと抜け落ちるように、静かに真下の海へと下降していく。愕然と前方を見て言葉を失っていたチャーリーが、いつの間にか凍りついている船縁を見てはっと気付く。
(赤い錨が外れた……そうか、氷で滑って……しばらくは、使い物にならないってことか。あの船たちは密集しすぎた。小回りは聞かない)
アジタートが思わず青い氷に拳を叩きつけ、落ちる様に去っていく船を見送り唇を噛む。
「この船は帆船も兼ねている……そうか、だからか」
冷静さをいち早く取り戻したチャーリーが言った。
「……スミス、アリア、ケイ、ここから一旦離脱しろってことだ。俺、操船方法を教わったんだ。動かせる。今のうちに出来るだけ離脱しよう」
「でも、マエストーソが」
スミスが、上空の船団を見つめて唇を噛み締め、そして大きく息を吐いて言った。
「……アリア、落ち着きなさい。行き先はトーリスの宮殿でしょう。わかりきっています。彼はいつかは行くべき場所に、一足早く向かった。そういうことです。あの程度の氷で死ぬほど我々の船長は弱くない。その船長に、我々は、委ねられたのです」
「委ねられた……」
「この、僕らのこの愛しい船と、大事な船長の命を。そして、あなたをです。だから、ゆっくり、深呼吸をしましょう。今は考えるときです。帆船ならば僕とチャーリーがいれば動く」
いつになく真摯な瞳で、スミスがアリアの目を直視する。
「………大丈夫、大丈夫よ。ありがとう」
そしてアリアは息を吐いて、首を横に振って言った。
「でも、委ねられただけじゃダメなの。私だって、マエストーソを助けたい。だから……自分でも考えなきゃ。何か、方法があるはず」
「巨大すぎる災害は神殿の予見でも捉えられない」
「凶事と吉事が前後すればなおさらですな。神殿長、あなたの責任ではない。城下の皆を連れて山の方へ避難を」
「オラトール」
「お頼みします。出来る限り食い止めて参りますゆえ」
神殿長が腕を伸ばし、幼い頃から厳しくそして愛情をかけて育ててきた男の背中を撫でる。
「……わしの老後は、お前さんに面倒をみてもらう予定だったのだよ。……さあ、行きなさい」
そして、胸から下げていた鍵をひとつ、静かに、少しばかりの躊躇と共に渡す。
「神殿地下の、清められた水の貯水槽へ繋がる鍵じゃ。あの水であれば毒を掃き清めることができる。ただし、その貯水量は知っておるな」
「………はい」
「あくまでも、最後の手段である。………よく、役立てるように」
「チャーリー!!!もしかして、チャーリーの船じゃねえか!!!」
「………団長!?」
見ると、妙に華やかに飾り付けられ、サーカス団の看板を掲げた船が寄ってくる。
「なんだか空の様子がおかしいと思って離れて見てたんだ。どうかしたのか?」
セリスレッドで出会ったサーカス団の皆である。
「それが……ああ、ちょっと待った。スミス、話していいか?」
「いいですよ」
スミスも何事かを考えながら返事を返す。
手短に、チャーリーがセリスレッドで出会った、元々は彼本人が働いていたあのサーカス団にに事情を話しているのを隣で甲板に座ったまま聞きつつ、アリアは思わず立ち上がる。
「………そうだわ。セリスレッドよ。あの王様がくれた指輪があるわ。あれさえあれば、宮殿に入れるはず………」
サーカス団の一番良い席で、あの気前の良い豪胆な王が譲ってくれた金色の指輪。どこにあるのだろうか。マエストーソは着けてはいなかったはずだ。
思わず立ち上がって、船長室へと走り出す。
(考えなきゃ。急いで、なんとかするのよ)
船長室のドアを開けて入り込む。だいたい大事なものというのは、机の一番上の鍵のかかった引き出しに入れるものだ。
懐かしい孤児院を出てクリスタグレイン城へ向かったあの日から、もう何年以上も経っている様な気がする。
「鍵、鍵はどこかしら……だめだわ。壊さないと」
「つまり、僕の出番ですね」
ひょいっと現れたスミスが言う。
「………後で謝りましょ、一緒に」
「もちろん。アリア、机の反対側を押さえていてください。この引き出しですね?」
アリアが思わず全力で机を押さえ、スミスが無理矢理引き出しを引っ張った次の瞬間、金属が壊れるような凄まじい音と共に、机の一部と引き出しが割れる。
「………この船の家具は本当にどれも頑丈なんです。僕でも簡単には壊せないくらいに。設計者は相当素晴らしい職人だったのでしょう。マエストーソの御父上だそうですが」
息を一息ついて、割れた引き出しの穴に器用に手を突っ込むと、鍵を回して引き出しを開ける。
「治安の悪い地域の牧師に任命されていたことを、生まれて初めて神に心から今感謝していますよ」
アリアの掌の中に、金色の指輪が転がり落ちてくる。
「……そうね、ついでに私が姫君だったことにも感謝しておいてくれる?……私、確か、『セオドール王に求婚されたまま行方不明になった』ことになってるはずじゃない。つまり、トーリスの宮殿に『お招きいただく』理由はあるのよ」
「アリア。まさか」
「おじいさまが、トーリスに行くことになったら読め、って言った手紙があるの。開封するわ。チャーリーとケイは?」
「呼んできます。それと、サーカス団の皆には、ちょっとだけここにいて貰いましょう。もしかすると、何か役に立っていただくことがあるかもしれない……」




