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2-9 氷の中で

「大人気じゃないですか、我らが船長は!」

 大砲の着弾を防ぐべく船の周りに風を巻き起こしながらスミスが後方に視線を投げる。

「トーリスに入るや否やこれですよ。1隻、3隻……6隻、あっちは大型ですね。チャーリー、こういうのは俗にこう言うんですっけ?『モテる男はつらい』とか何とか!」

 トーリス国境を超えてまだ数時間も経っていない。凍った北国の港近くでチャーリーは返事を返す。

「俺に聞くとか当てつけかよ!船長!前方から3隻!このままだと囲まれる!!それに、変な旗を掲げた船が、凄いスピードで来る!!」

「アリアとケイは」

「厨房の地下です」

 真っ赤な旗をトーリスの国章の描かれた旗と共に掲げた大型船が、凄まじい速度で近づいてくる。

「嘘だろ、体当たりするつもりか!!」

「飛行船に破砕用船首を付けるとは。……チャーリー、下がって。あれだけのものを積んでもスピードが出せるということは、飛翔石を積んでいる証です。一気に加速して来ます。それに、あの赤い旗は……」

 赤い光を纏った錨が、すべての船から一気に射出される。

「退避が、間に合わない!」

 赤い錨が四方八方から船縁にかかり、前方から大きな破砕用船首を付けた飛行船が突撃してくる。マエストーソが息を吐き、鞘を前方へ向ける。

「止めます。全員下がって」

 鞘の中から無尽蔵に生み出された水が凍り付き、盾のように空中に青く巨大な氷壁が浮かび上がる。

 エム・オールへ突撃してきた船の破砕用船首に氷が激突し、凄まじい音と共に割れる。

「まだです」

 割れた氷を再度かき集めるように手元に寄せて、マエストーソは前方の船の赤い旗を見つめ、おもむろに集めた青い氷を、赤い旗へと叩きつける。

 そして、大声で船の方へ呼ばわった。

「隠れているのですか、伯父上!!!」

 この船長がこんな大声を出したことが、旅の間にあっただろうか。

 ぎょっとして振り返ったチャーリーと、目を見開くスミス。アリアとケイが厨房の地下から飛び出してきて、目を見張る。

「久しいな、我が甥よ。そして相変わらず憎いまでに美しい夏盗人の船よ。お前のその「お守り」のおかげで、壊しそびれたがな」

 割れて眼下の海へ落下していく青い氷を挟んで浮かぶ前方の船に、赤い宝石を数多つけた杖を持つ壮年の男が、静かに佇んでいた。

「そろそろ帰ってくると思って、迎えを寄こしてやった」

「いらぬ配慮痛み入ります。あなたに用はない」

「つれない物言いは誰に似たのやら」

「………」

「まあいい。ここまで来たということは、揃えているのだろう。例の宝物のすべてを。お前が何を願うかは知らぬが、願いはひとつしか叶わない。故に……」

 杖をマエストーソに向けて、アジタート・パイロープ、トーリス国の呪術師がくつくつと笑う。

「つれないものいいに免じて、こちらも単刀直入に言う。最後の『剣』は我が手元。残り全部を渡して貰う。その毒竜の仮面、『ここで外せばどうなるか』お前はよく知っているだろう?」

 目を見開いたマエストーソが反射的に片手で仮面を抑えつける。

 次の瞬間、無機物のはずの仮面が、突如赤く光を帯びて生き物のように蠢き始めた。




 突如として、城下中の櫓の鐘が鳴り響く。ドレスを選ぶ手を止めて、姫がはっと顔を上げる。

「何が起きたの」

「姫、大変です。竜が、毒竜が、津波のように押し寄せてきています!!」

 門番の男が悲鳴のような声を上げて飛び込んできた。そして、その後ろからオラトールとハールーンが駆けてくる。

「オラトール、ハールーン!!!急いで城下の民を退避させて!!」

「かしこまりました。ハールーンは護衛で残します。後を頼んだ」

 返事も聞かずに踵を返す神官を見送り、婚礼のドレスを放り出して、姫はハールーンと共に城の最上階へ駆け上がる。そこにはエスタートとイルミートが既に立っていた。

「あなた達も退避して」

「いいえ、そうはいかない」

 二人が同時に首を横に振る。

「100年から1000年に一度、土の下から目覚めて大規模に移動することがある、ってオラトールに昔聞いたことがあるわ。『毒竜の海嘯』……」

「………鱗にも牙にも吐く息にすら毒がある竜です。通った後は死の大地になる。けれど」

 ハールーンが思わず息を止め、振り返る。

「逃げるなら急いで下せえよ」

「逃げると思って?」

「ここで姫さんが逃げるような御仁だったら、おいら達は今頃ここにこうしていやしません。だが、盗賊の見解からすると、あれは今すぐ逃げねばならねえやつです。大災害に、人間が立ち向かうことがありますかね」

「無理な話だとわかってはいるよ。けれど」

 エスタートがここからでも喧騒と悲鳴が聞こえてくる城下町に視線を投げる。

「多少は時間を稼がないと、この国の民は全滅してしまうだろう。私の手勢は数えるほどしかいないけれど、精鋭ばかり。焼け石に水でも、かけないよりは良い、とみなしています。イルミート、行きましょう」

 イルミートが頷く。

「おい待て!馬鹿いうんじゃねえ!お前、姫さんとの婚儀、決まってるんだろ………」

 思わず相手の身分を忘れてハールーンが声を上げる。エスタートが笑う。

「そう。私の扉は、もう開かれてしまった」

 姫が思わず出かかった言葉を必死で飲み込み、その場で口元を覆いながらぺたりと座り込む。

「故に行かねば。………さあ、元気を出して。僕の姫君。これから先も、君の見るものが、僕の見るものでありたい」

 いつもよりぐっと口調を崩し、隣国の王子が剣を抜く。

「だから行くんだ。ハールーン殿、いや、『千の腕を持つハールーン』、僕達に何かがあったら遠くまで、遠くまで姫を連れて逃げてほしい。君にしか出来ないことだ」

「ああ、それは………それはずるいってもんですぜ」

 いたずらっぽく、エスタートが笑う。

「君の扉は、開いているのかな」

「………盗賊が扉を閉め忘れては話になりませんや。ですが、とっくに大事なものは盗まれてしまっていますがね」

「いい答えだ。だから、頼むよ」

「イルミート、お前さんのこの兄貴にこの千の腕の一本でもあげときゃよかったって、今日ほど後悔したこたぁねえ。……姫さん盗み出して、どっかで幸せに暮らせれたはずだ」

 イルミートが笑って、無言で首を横に振る。

「俺やオラトールの兄貴とは違うんだ。生きて帰ってくれなきゃ、誰が姫さんの扉を開けるんだ」

「……光栄だよ」

「……馬鹿野郎が。この俺様が、3秒だけ目を閉じておいてやる。いいたいことはわかるな?」

「ありがとう」

 ハールーンが目を閉じて背中を向ける。座り込んで言葉を失っている姫君の前に屈みこみ、ゆっくりと唇を合わせる。

「………馬鹿よ。あなたは」

「ああ、そうだね。僕は馬鹿だ。だから、行ってくるよ」

 階段を駆け下りていく音だけが、永遠の3秒を切り裂くように、空虚に響く。

「ハールーン」

「姫さんを連れて逃げたいのは山々ですがね、それが出来たらあっしぁこの城で馬番など務めやしなかったでしょうぜ」

 かつては盗賊だった少年が、これまた少し空虚に笑う。そして真顔になって言った。

「毒ある竜は飛べないと聞いたことがありましてね。待つなら最上階の……あの宝物庫あたりがやたら頑丈に出来てた覚えがありますがね、どうします、姫さん?」

「そうさせてもらうわ」

 力なく、姫君が立ち上がる。そして呟く。

「恋、ね」

「後悔、しておりますかね?」

「いいえ。後悔など。けれど、ああ」

「おいらは門番と一緒に護衛してきますさね。宝物庫には誰も近寄らないように何とか取り計らいますぜ」

「つまり、存分に泣けるのね。私の愚かさに」

 ハールーンが答えた。

「………姫さんが愚かなら、俺達一同全員愚かな男どもですぜ」

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