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2-4 浮島と真珠採りの娘

「あそこの島ね。何だか不思議な形………」

 甲板の縁から海を見下ろして、アリアが声を上げる。

 ドーナツにも似た形の、中央に大きな湖がある緑豊かな島が、ぽつんと青い海に浮かんでいた。

「大陸のどこにも属さない島です。どの地図にも描かれていない。ほら、よく見てください」

 やってきたチャーリーが、首から下げていた双眼鏡で島を見つめて聞いた。

「………もしかして、動いてる?」

「そう。浮島なんです。町一つ分はありますが、島全体が海に浮いている」

「なるほど、移動するから地図にも書けない、と」

 やってきたスミスも物珍しげに島を眺める。

「古くはトーリスやサン・カリストあたりまで辿り着いたこともあるそうです」

 大陸周辺の海の流れが記された海図を手に、マエストーソが言った。

「それで、古い記録と潮の流れを元に計算したら、このあたりの海らしく………」

 そんなマエストーソが手にしていた海図には、赤いインクで何やら計算式や矢印が書き込まれている。

「この界隈には飛行船を使った空賊がよく現れるそうですが、島側も大砲を導入したとも聞きました。古い大砲ですが、青銅ではなく鉄で出来ていて、遠くまで撃てるものです。ここで着水して、船を海側に泊めましょう」

 飛行船だが、帆船の機能を持ち合わせているこの船は、水の上も進むことができた。

「真珠がよく採れるみたいですね。ああして島に繋いだ筏で、貝を育てているとか」

 小さな娘がこっちを見て目を丸くしている。真珠取りを生業としているのだろう。

 そんな娘の筏に触れないよう慎重に、朝の静かな海を、静かに進んでいった。




「まあ、小さな狼を?」

 姫が声を上げる。

「私は粗忽者でして、まだ名前も決めてやれていません。怪我はオラトール殿が処置してくれました。贈り物がもっと美しい宝石ではなく、申し訳ないと思っていますが、姫様は動物がお好きと聞き及びました。……どうか名付け親となって、お手元で可愛がってやってください」

 オラトールがとうとう求婚者を連れてきてしまったことが少々恨めしかったが、どうもこの王子は今までの有象無象とは異なりなかなか個性的らしい。

 ハールーンが言う通り、『話を聞いてみる価値がある』のだろう。

「男の子かしら。女の子かしら。賢そうね。名前はどうしましょう」

 オラトールに治療された小さな狼が鳴き声を上げる。

 仔犬に見えるが手足や牙が仔犬よりも少しがっしりした体を優しく撫でて、姫君が憂いなく微笑む。

「ガウナ、『牙』って意味よ。優しくて賢くありますように。優しい人の心には、いつだって牙が必要なのよ」

 エスタートとイルミートが深々と平伏する。

「……私は立場上、本来ならこう言わねばならないのでしょう。『姫のお優しい心に牙など不要、私がそうなって進ぜよう』と。ですが私は、心の優しさにきちんと牙を持つ女性こそは、どんな姫君よりも素晴らしいと思います」

 姫が問い返す。

「宝石よりも?」

 エスタートが剣を手に言う。

「ええ。……この世には宝石では買えず、優しさだけでも手に入らないものが数多あります。私はどうも、そういったものに憧れがちゆえに、結婚できず今ここにいるというわけです。故郷の家族にも城の皆にも、不調法とも、正直すぎるとも言われます。イルミートだけは、理解してくれるのですが」

「あなたの言う『宝石でも買えず、優しさだけでも手に入らないもの』を、教えてくれるかしら」

 兄に促され、イルミートが水で満たした杯を手にして、少し揺らす。水面の揺れが静まると同時に、

『平和』

 という文字が浮かび上がる。姫が微笑んだ。

「今宵夕食を共にしましょう。二人ともいらっしゃいな」

 そしてオラトールに聞く。

「ガウナは厩舎へ連れていってくれる? 厨房で何か小さな狼でも食べられるものを探して貰ってもいいかしら」

「かしこまりました」

 エスタートが首を傾げる。

「厩舎?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、人差し指を自分の唇に当てて姫君が言う。

「私の隠れ場所。姫君として振る舞わなくてもいい場所です。食べ終わったら、皆でガウナの様子を見に行きましょう」

「姫君として振る舞わなくてもいい場所、ですか。羨ましい」

「ガウナと戯れたいわ。厩舎の馬は襲わないように、今のうちから躾けないといけないけど、ハールーンなら何とかしてくれるわ」

「ハールーン? もしや盗賊の……」

 姫が意味深に微笑んだ。

「あら、普通の馬番の少年よ? 私とは歳が近いから、とても融通が聞くの」




「侵入者?」

「空から降りてきた船が、港に」

 空と海どちらにも対応した、帆船式の飛行船らしい。

 そんな船がこの島まで来るのは珍しいことだった。

 年の頃は13歳ほどの小さな娘が、鳥の羽や真珠、その他あらゆるもので美しく彩られた天幕の横たわって話に耳を傾ける30代半ば程の女に、深々と額づく。

「あの、でも、女王様」

 引っ込み思案で臆病な少女が、珍しく、おずおずと付け加える。

「あの船は、あたしたちの大事な筏をきちんと避けてくれました。きっと、いいひとです」

 ならず者がやってくることも多いこの島の港で、真珠を育てながら見張りも兼ねている少女が言った。

「『いいひと』とやらがタダでこの島に来るわけないだろう?商人とも違うようだけど。……多分、『扇』だね」

 女王、と呼ばれた女の枕元に、一枚の開かれたままの扇が置かれていた

「ケイや。お客人だよ」

 天幕の奥から、のそりと大きな灰色の狼が現れる。女王が、枕元の、月が描かれた美しい扇をぱちりと閉じる。

 途端に狼が、真っ黒な長い髪の少年とも少女とも取れぬ姿に変化した。

「そんな気がしておったよ」

「わかるのかい」

「誰かに会う夢を見ておった。誰だかは知らぬが、懐かしい夢でな」

「任せたよ。礼儀正しい『いいひと』なら、きっと私に謁見を申し込んでくるだろう」

「成る程」

「さあ行っておいで。私の閨を毛皮で暖めるのにも飽いてきた頃だろう? もしも『いいひと』じゃなかった場合の裁量は任せるよ」

「ふむ。拙者、今朝はまだ朝食を食べておらなんだな」

 ケイが片目で女王を見ると、片目で女王が笑いを口に含ませたまま言った。

「物わかりの良い子は好きだよ。食べちまいたいくらいにね」




「まあ、成長してうっかり馬を喰わないようにだけ躾けておけばいいか。小屋くらいなら作ってやれるぞ。木材は城下町で買ってくるかな……」

 オラトールから事の次第を聞いたハールーンがガウナを抱き上げて呟く。

「で、エスタート王子、か。兄貴がぶん殴って追い出してねえってことは、その弟の何とかって奴も、まあいい奴なんだろうなあ」

「そうだな」

「………いいんですかい? 本当に」

「神官としての勤めは果たした。良き婚姻を取り計らうべく奔走するという、な」

「違いねえや。そういう日が来たら、兄貴にいい酒を出すように姫様に頼んでありまさあ」

 そこに足音が響く。

「ここが厩舎ですか」

「ええ、そうなの」

 当の姫君と王子様である。

 ハールーンが思わず目を丸くして、狼を抱いたまま慌てて頭をさげようとするのを微笑みながら押しとどめて、

「ここはいい隠れ家だと聞いたよ。はじめまして。ハールーン殿」

 王子の方が言った。後ろに控えているのが、口を利くことができないという双子の魔法使いだろう。

 兄ほどに厩舎という場所に慣れていないのか、物珍し気にあちらこちらに視線を投げている。

「小屋作りの費用なら出すわ。素敵な家をお願いね、ハールーン」

「そちらがエスタート王子ですかい。弟君はなんて名前でしたっけね。おいらのようなしがない馬番に「殿」なんて要りませんや。気軽に呼び捨てて、気楽に遊びに来てくれりゃあ光栄ってもんです」

「イルミートのことかい。仲良くしてくれると嬉しいよ。馬に興味があるらしい。魔法使いは普通、馬には乗らないらしいけれど」

「へえ、そりゃあいい。乗り方くらいならいつだって教えますぜ!」

 魔法使いの手にしていた杯が楽し気に揺れ、

『宜しくお願いいたします、師匠』

 中に入っていた水が揺れて文字を描き、蒼い目がいたずらっぽく笑う。

「いやいや師匠なんて言われると……あっしはただの馬番ですぜ?」

 するとイルミートが、他の皆には見えないように杯をごく小さく揺らす。

『千の腕のうち一本でもお借りできれば』

 ハールーンが目を見張る。

「さすがは魔法使いってやつか!バレちまっちゃあしょうがねえなあ……こんなところで安全に暮らしてるのがバレると、多少は困っちまう。で、まずは鞍の付け方から教えようか」

 かつて盗賊時代に色んな国を渡り歩き悪名高かった少年がイルミートの肩を叩いて笑いをこぼす。

『口が利けなくとも、馬には乗れるものでしょうか』

「乗れるだろうよ。勘のいい奴は特にな!」

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