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1-2 孤児院長、姫君になる

「結婚!?」

 アリアは絶句する。

「そんな、っていうか、私まだ15歳なのよ、何でそんな……」

「隣のトーリス国王から、正式なお申し込みがございました、姫様」

「だから、姫様って呼ぶのはやめて……」

「しきたりですので、姫様」

 キレても泣いても驚いてはくれなさそうな侍従達を前に、どちらにしようか半ば本気で考えながら、アリアは再び聞いた。

「で、隣のトーリス国王って、どんな人?」

「80歳でございます、姫様」

 アリアの目の前が、真っ白になっていく。さすがの従者も、それを気遣ったのか、

「正式な御世継ぎがいらっしゃらないそうで、それを望まれて、若くて聡明でいらっしゃる姫様を……」

 微妙に歯切れの悪い説明をはじめる。

「は、80歳にもなって15の娘に結婚を申し込むとか、まるで意味がわからないんだけど…………酒場の看板娘をナンパしてる近所のおじいさんとどこが違うのよ。王様だか何だか知らないけど……」

「かつてトーリス国王には美しい姫君がいらっしゃいましたが……」

「えっ、つまり……それって実の娘よりも若い子と結婚するってこと!?何がどうしてそうなるのよ。男の人って何歳になっても若くてピチピチな娘が好きなの!?」

 4日目まで何も知らずに孤児院で暮らしてきた姫君、アリア・クリスタグレインが、一度も見たこともないプロポーズ相手、しかも隣国の国王相手に暴言を吐く。

「で、まさかそれを……受けちゃったの?」

「もちろんでございます、姫様。病床のクリスタグレイン王はトーリス国王とは昵懇の間柄、さぞかしお喜びになることでしょう」

 アリアの目の前が、今度は真っ暗になった。

「明日にでも迎えが来るそうです。早速ですが姫様、今日からは……」

「……今日からは?」

「作法を勉強していただきます。ですが、宮廷での作法に留まらず……」

 従者の言葉の切れが、再び悪くなった。限りなく嫌な予感が、アリアの頭をよぎっていく。そんな彼女の顔色をうかがいつつ、必死で適切な言葉を選び出そうと苦労しながら、従者が言った。

「トーリス国王は跡継ぎをお望みです。もちろん姫様も、夫であらせられる国王陛下をお喜ばせて差し上げなければなりません。昼も、そして夜もです」

 孤児院育ちであるとは言えども、まだ純粋な15歳である彼女に、この『礼儀作法』の詳細を最後まで聞く勇気は、あるはずもなかった。


 そんな彼女が姫君になったのは、本当にたった4日前だった。

「このまま土地代が払えなかったら、悪いけどあんた達には立ち退きしてもらうよ」

 自分の住んでいる城下町の孤児院の院長が亡くなったのは、その更に2週間ほど前。

「立ち退きって、そんな……」

 孤児院の最年長者のアリアは、地主から押し付けられた請求書を見て、言葉を失った。

「こんなお金、払えないわ」

 知ったこっちゃない、と言わんばかりに地主夫妻は首を振り、さっさとその場を後にしていってしまう。

「……何よ、ケチ!」

 その姿が見えなくなったところで、アリアは思いっきり毒ついてから、今度は玄関先に座り込んで、頭を抱える。

「どうしよう……」

 何も知らない孤児達が、奥の部屋で騒ぐ声が聞こえてくる。院長が亡くなってから2週間、必死で世話をしてきた子供達を、こんなところで路頭に迷わせるわけにはいかなかった。

(お金、お金……でも、そんなものがあったら何も問題ないのよ)

 優しかった前の院長の持っていた本や家具を売り払って、ぎりぎりの生活をしていた矢先に飛び込んできたこの難題に、アリアは今度は顔を覆って、深く息を吐いた。そして、ポケットから小さな手鏡を取り出す。綺麗な装飾が施され、銀で出来たその手鏡は、アリアの死んだ両親の形見だった。

「何があっても手放すなって、院長先生はおっしゃってたけど……」

 人差し指で、アリアはそっと鏡の表面に触れる。

「アリエッタ、あなたともお別れかしら」

 すると、鏡の表面がゆっくりと光りだす。そして、自分と同じくらいの年の女の子がふわりと映る。

『どうかしたの、アリア?』

「………お城で月末の日曜日に競売があるの」

 月に1度、城で使われていた古い家具やカーテンなどを競売にかける日がある、一般人も参加することができる、などということを、亡き院長から聞いていたことを思い出す。

「今日は土曜日よね。とにかく、お金をどうにかしないとここにいる全員が路頭に迷っちゃうわ。ここまでなんとか、頑張ってきたのに………」

『お城って、クリスタグレイン城?』

「そうなの。だから……ああ、でも、友達を売り飛ばすなんて………無理よ。出来ないわ。聞かなかったことにしてくれる?」

 玄関先でしゃがみこんで、真っ赤な顔でふさぎこんでいるこの『自分の持ち主』に、アリエッタが、少しの間の後に問い返す。

『今あのお城にいる王様は、アレキサンダー・クリスタグレイン王、でよかったかしら』

「えっ?ええ、たしか、そんな名前よ。院長先生のお部屋に肖像画があったもの」

 今はすっかり空になっている院長室には以前、この国の王様の肖像画が大事そうに掲げられていた。

『………競売、ね。いいわよ。ねえアリア、私、一体どのくらいの値段がつくかしら。とりあえず金貨50枚あたりから、はじめてみない?』


「えっと……『銀の手鏡。宝石の飾りがついています。骨董品。保存状態はまあまあ。不思議な力あり。金貨50枚から。出品者、孤児院院長アリア・クリスタル』」

 翌日、競売前の品物の審査状に慣れない羽ペンで書き記し、誤字がないのを確かめてから、アリアはその紙を城の役人に手渡していた。

「……院長代理ですか?」

「違うわ。私が院長なの」

 15歳の少女をちょっと一瞥してから、役人は紙を受け取って、アリアを奥のドアの方へ案内しようとした。ところが、そこにあわただしくドアが開かれ、きらびやかな服を身にまとった男が飛び込んでくる。その男は言った。

「姫様はどこにいらっしゃるので?」

 自分には関係ないわ、と思い、アリアはそれを横目に、先程指し示されたドアをあけようとする。ところが、次の瞬間の一言が、アリアの15年の人生を、大きく変えてしまう事になった。

「アリア・クリスタグレイン姫!」

 ぎょっとして、彼女は振り返る。

「クリスタグレイン?」

「間違いございません! 20年前に我が王家に伝わる『鏡』を持ってこの城から出奔なされたマクシミリアン・クリスタグレイン王子の……」

 いきなり目の前で見知らぬ人々に跪かれたアリアが、思わず何度も足踏みをし、目を丸くする。

「え、何、何ですって?」

「………ご落胤です。間違いありません!」

 孤児院で15年生活していた彼女は知っていた。

「ご落胤って、要するに……」

 再びドアが開いて、城中の大臣、家臣、貴族らしいきらびやかな人々が部屋に入り込んで、自分を取り囲んでくるのを茫然と眺めながら、アリアは呟いた。

「隠し子ってことよね……?」

 冗談じゃないわ、人違いよ、と言おうとするが、

「ああ、クリスタグレイン王はどんなに喜ばれることか……」

 先程の男が、アリアの手を取って言った。

「実にお父上とよく似ていらっしゃる……」

 見たことも会ったことも喋ったこともない父親がどういうものなのか、アリアは全く知らなかった。

「私、お父さんなんて知らない……あの、私、孤児院でずっと育ってきて、院長先生が……」

「城下町の孤児院の経営者は、昔この城で教育係を勤めていた者なのです、姫。あなたのお父上とは懇意の仲でした」

 あんぐりと口を開け、アリアは思わずすっとんきょうな声を上げる。

「ええ? だ、だけど、私、普通に今まで……っていうか、私、クリスタグレインじゃなくって、アリア・クリスタル……」

「その『鏡』が何よりの証拠です。姫、あなたはその鏡の魔法をご存知であらせられますか?」

「アリエッタの事?」

 鏡の中の少女を、アリアはそう呼んでいた。そして、ポケットから布に包んだ鏡を取り出す。すると、鏡がきらきらと光りだした。部屋の貴族や家臣達が、驚いてこの光景を見て静まり返った中、アリアは聞いた。

「アリエッタ、どういうことなの?」

 鏡の少女が、複雑な表情で答えた。

『マクシムの事ね』

「え?」

『あなたのお父さんよ。マクシミリアン……懐かしいわ』

 思いも寄らなかった返事が返ってきて、アリアはその場に立ち尽くす。

「何で……何で今まで教えてくれなかったの?」

 鏡の少女、アリエッタが、ちょっと黙った後、小さな声で囁いた。

『………あなたがいつか本当に困った時には、このお城へ連れて行ってほしいって。それまでは、絶対に黙っているようにって、誓ったの。そうよ、アリア、あなたのお父様、マクシミリアン・クレスタグレイン王子によ』

 そして、鏡の中から姿を消してしまう。部屋中が沈黙する中、アリアの呟き声がひときわ大きく響く。

「私のお父さんが……本当に?」

 その日の夜、アリアは生まれて初めて、足を伸ばして入る事の出来る大きなお風呂に放り込まれ、体中をまんべんなく洗わされた上、顔に白粉をつけ、さらには、ウエストをコルセットで締め付けた、着慣れないドレスを着て城の中を散々歩かされる事になった。


 彼女も普通の女の子同様、お姫様というものに憧れていたこともあった。

(でも、実際なってみると、夢もへったくれもありゃしないのね……)

 彼女は、窓から外を見下ろして、深々とため息をつく。ため息をつくたびに、自分の身体を常に拘束している拷問具の様なコルセットが苦しくなり、アリアは息を止めた。そして、こんどはそっと、苦しくないように、ため息をおそるおそるゆっくり小出しにしていく。

(孤児院の皆は、どうしてるのかしら。お隣の教会のシスター達に声をかけて出てきて良かったわ。きちんとご飯も食べさせて貰ってるはず……けれど、まさかもう、立ち退きなんて事になってたら、ああ、どうしよう……)

 姫君になってから一週間も経っていないが、彼女は既にホームシックだった。残してきた孤児院の事が気がかりで、城で出された豪華な料理もあまり口にしていなかった為か、容赦ない空腹が今になって襲ってくる。しかしこのコルセットをつけたまま食事をお腹に入れるのは、過酷な拷問にも思えてくる。そんなアリアが鏡台の前に置いてある手鏡に言った。

「あなたを競売になんてかけるんじゃなかったわ、やっぱり。……罰が当たったみたい」

 すると、手鏡がそれに反応して光り、アリエッタが映る。

『すぐにクリスタグレイン王に会えるって思っていたけれど、ご病気だったなんて………』

「今は大臣達皆でなんとか頑張ってるみたいね。だからいきなり隣の国から『おまえのところのお姫様をよこせ』って言われても、断りきれなかったんじゃないかしら。そういう圧力って嫌よね。丸でこないだまでのうちの孤児院だわ………」

 大人たちを相手に孤児院を切り盛りしてきた経験が、こんな場面で役に立つ日が来るとは。アリアは再びため息をつき、再び苦しくなったコルセットに眉をしかめつつ、鏡を手にとって聞いてみる。

「……私のお父さんとお母さん、どんな人だったの?」

 鏡の少女が答えた。

『あなたのお父さんは、この国の王子だったわ。でも、ある日お城を飛び出したのよ』

「何で?」

 自分の身体が半分以上埋もれてしまいそうな、天蓋付の大きなベッドの上にひっくり返って、アリアは鏡のアリエッタに再び聞く。

『あなたが生まれるよりずっと前だけど、王族の一人娘の王女様が駆け落ちしたって大ニュースになったの。マクシムも、それを聞いて……自分も、こんな窮屈なお城は嫌だって。いつか外に出て、素敵な人と出会うんだって』

 わかるような気がする、と、アリアは、格式ばってばかりの従者や侍女、大臣達を思い出す。

『歌が好きだったの、マクシム。それで、お城に招き寄せた吟遊詩人や踊り子達と一緒に……』

 「アリア」という自分のシンプルな名前の由来を知って、彼女はじっと鏡を見て息をもらす。

『旅をしてる途中で、奥さんも出来たわ。それで、あなたが生まれたの。それなのに……』

 アリエッタが悲しげに首を振る。

「お父さん、生きてるの?」

『いいえ。亡くなったわ。馬車の事故で。あなたのお母さんと一緒に。この城下町に戻ってくる途中で……。そこに居合わせたのが、あの院長先生だったの。昔マクシムの教育係だったから、彼にだけは手紙を出してたみたい』

「………お母さんも?」

『ヘンリエッタよ。マクシムに……鏡の私にも、優しくしてくれたわ。家事は苦手だったけど、いつもとても明るくって……夫婦揃っていつもはしゃいでた。歌って、踊って……家事は得意じゃないけど、縫物は得意だったわ。踊り子たちの服を仕立てていたの』

 自分も縫物は得意である。孤児院ではカーテンから洋服まで夜遅くまで縫っていたものだった。自分は父親より母親に似ているのかもしれない、と、妙にアリアは安心する。だが、安心しつつもどこか晴れない胸の内を抱えながらアリアは聞いた。

「今まで、全然話してくれなかったけど、どうしてなの?」

 アリエッタが黙る。そして言った。

『何度も話そうって思ったの。けれど、皆、アリアを必要としてたわ。……だから私、皆からあなたを奪いたくなかった』

 アリアが、ふかふかとした、暖かいが、少しばかり広々として寂しいベッドに突っ伏して、ゆっくり目を閉じる。そして、言った。

「孤児院の方が、ここより好きよ。ホント、今すぐ帰りたいわ……」

 綺麗な服も、美味しい食事も出してあげられなかったが、それでもアリアは、孤児といえども皆が毎日笑顔でいることができた、自分が15年育ってきた孤児院が大好きだった。

「院長先生も、優しくしてくれたし。時々私のこと、『お姫様』って呼んでからかってきたの、本当だったのね」

 何だか悲しくなってきて、彼女は毛布に突っ伏した。するとそこに、ドアのノックの音が聞こえて、アリアはあわてて再び顔を上げる羽目になる。そして、動くと苦しいコルセットに思いっきり息を詰まらせながら、あわてて涙を拭い、立ち上がった。

「姫様、入ってもよろしいでしょうか?」

「えっと、いいけど……じゃなかった、どうぞ」

 いつもの様に、侍女達が入ってくる。だが、侍女が、何やら真っ白な衣装を手にしているのを見て、アリアは思わず後ずさった。

「それって……」

 晴れやかな顔で、侍女達が口を揃えて言った。

「ご成婚おめでとうございます、姫様」

「トーリス国からのお迎えが今晩、到着なさるそうです」

 開いている窓から身を投げるなら今しかないかしら、と、アリアはこの城に来てから初めて、姫君らしいことを考える。そして

「私、お姫様がこういう時に何て言うかくらいは知ってるわ。『よきにはからえ』よね」

 手のひらをひらひら振って侍女達を下がらせてから、そのままベッドに力なく座り込んだ。そして、窓の外を恨めしげに眺めて、ふと目を瞬かせた。

(……今の、何かしら?)

 月影に、ゆっくりと何か横切っていった気がして、アリアは思わず、部屋の中で婚礼衣装を広げて右往左往している侍女達を尻目に窓の外に目を凝らす。

「気のせいよね……」

 横切ったそれは、船の形に見えた。

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