1-18 家族のような
扉を開けると、美しいメロディが流れる。
「………素敵ね」
頼もしい冒険者の指、貴族のご子息の様に楽器を奏でる指、魔法の使い方を教えてくれた指、どれもが丸で違っているのに、どれもが全て、彼そのものな気がする。
マエストーソ・カーネリアン。一体何者なのだろう。
祖父はこの船長のことを知っていたらしい。お尋ね者だから、という理由ではない、他の理由で。
厳つい眼帯には何の理由があるのだろう。外せない、ということはただの飾りではないらしい。剣の鞘だけを持っている、魔法に長けた、お尋ね者の男。
そんな男の、白と黒の鍵盤の上を美しい音を奏でながら渡っていく指先を、アリアは思わずじっと見つめる。
白だけでもなく、黒だけでもない、けれど間違いなく心の優しい船長。
「アイスがなかったら、ずっと聞いていたかったけれど」
「ありがとう」
甘いものが好きらしく、スミスがクッキーなどを焼き上げると、自分やチャーリーと同じ様な表情を時折見せることもある、一回り年上の男。
「溶けてしまう前に、食べないと」
「食べたらもう一曲弾いてくれる?ゆっくり聞いてみたいの」
アイスクリームを頬張りながら真顔で言うアリア。
「いいですよ。やっぱりピアノの購入もいつか検討しておくべきですね。久しぶりですが、やはり楽しくて………」
あの船に乗りながらこのピアノを毎日聴きつつ世界を旅する。贅沢すぎる日々だ。
「マエストーソのピアノ、毎日聴けたらいいのに………」
「光栄です。もしもピアノを買ったら、アリアも習いますか?」
「ホント?私に弾けるのかしら。それに、レッスン代って一回いくらくらい? タダで教えて貰うのはちょっと悪いし………」
この少女のこういうところが何だかとても好ましい。
マエストーソが微笑みながら、真面目くさった顔で答える。
「手作りおやつで手を打ちますよ」
「あら話が早いわ。スミスに習おうって思ってたのよね、お菓子作り」
マエストーソが聞いた。
「旅は楽しいですか?」
「もちろんよ!」
クリスタグレインの城から彼女を『誘拐』したのが、もう随分昔の様に感じる。宝物だけを持ち帰るつもりで訪れたあの城には、宝物以上のものがあったのだ。
ふと手を伸ばし、そんなアリアの髪に手の甲で触れてから、目を丸くして顔を真っ赤にするのを横目に、彼はピアノの譜面台に再度、五線譜を置き直して、先程のそれよりも少しだけ美しいメロディをゆっくりと奏で始めた。
「ミシン?」
「欲しかったのよ。私、裁縫は得意なんだけど、うちの孤児院は裕福じゃなかったから、服とか全部縫い直したり仕立て直したりしてて………」
道具屋の前でアリアが足を止める。
「高くて手が出せなかったのよね」
マエストーソが腕組みをして呟く。
「裁縫道具はあるはずですが、年代物ですしね」
「お部屋にあったわ。ちょっと借りたりしてるのよ。スカートの袖とか。革が縫えたらいいんだけど」
「私のこれもだいぶ傷んできましたし」
腰から下げている鞘を収めた革のベルトも、長年きちんと手入れされてきたらしいが、よく見るとところどころが痛んでいる。
「カーテンやテーブルクロスを買い換えようって思っていたんですよ。私もスミスも料理はできますが、裁縫は不得意でして。そういえば槍や杖を持ち歩くケースが欲しいってあの二人が言ってましたね」
前方であれこれ見ては楽しげに話し合っているスミスとチャーリーに視線を投げる。
「任せて。全部やるわ。自慢じゃないけどそういう頑丈なやつ作るのすごく得意よ。きちんと作らないと、子どもたちってそういうの何でもすぐ壊しちゃうもの」
アリアが自信ありげに胸を張って笑う。長い間孤児院を切り盛りしてきた彼女が、今日はとても頼もしく、輝かしく見える。
「さあ、選んでください、院長先生。布や革も調達しましょう」
「本当に?すごいわ、夢だったのよ!今は夏だからいいけど、寒くなってきたら温かいベッドカバーとかそういうのも作れるわ」
必要な布や針などを指折り数えていたアリアが、ふと真顔になって呟いた。
「でも、私が普通のお姫様だったら、ミシンひとつでこんなに喜んだりしないわよね。自分が本当にお姫様なのか、時々本当にわからなくなるわ」
マエストーソが笑いを零す。
「ミシンを使っているあなたはきっと、世界中どこの姫君にも劣らないのでしょうね」
その真っ青な瞳に浮かぶ優しい光が、何故かとても眩しい。
「え、あ、その、縫ってるだけよ?ミシン、どれにしようかしら。手回し式で、太い針に交換できるやつがいいんだけど」
先程冷たいジェラートを食べたばかりなのに、直視されると耳まで熱く熱くなりそうで、あわててアリアは視線をミシンへ投げる。そして、言った。
「私、誕生日以外にこうやって何かを買ってもらうの初めてだわ。慣れてないのよね」
「誕生日はいつです?」
「院長先生が言ってたわ。春生まれだって。だから、庭に花が咲いたら皆で誕生日会みたいなことしてたの。懐かしいわ」
「来年の春が待ち遠しいですね」
マエストーソが笑う。
「船の皆で、祝いましょう」
「ホント?約束よ!」
「……はい。必ず」
そんな会話を耳にしたチャーリーが振り返る。
そして、ふと、そんな約束をアリアと交わす船長の横顔を見て、差し挟もうとした口をつぐむ。
(………そういえば、宝物はあと2つだ。『扇』と『剣』だっけな)
その2つが見つかった後、自分はどうするのだろう。この船長は無事に楽園を見つけ出して、そこで願いを叶えることが出来るのだろうか。
そうなった場合、来年の春、自分は一体どこでどうしているのだろう。
「どうかしましたか、チャーリー」
スミスに呼びかけられてはっと我に返る。
「いや、なんでもない」
耳の奥に、先程聴いた美しいメロディがまだ残っている感じがする。美しく、寂しく、それでもどこか明るい音だ。
アリアとマエストーソが楽しげに話してるのを見て、
「なんか、ああいうの、すごくいいなって思ってさ」
スミスがそんなチャーリーの頭をぽんぽんと撫でる。
「おや、青春のヤケ酒の用意がご入用ですかね?」
チャーリーが吹き出す。
「いや、もしも俺に家族とか兄弟がいたら、こんな感じだったのかなってさ」
スミスが笑って言った。
「奇遇ですね。僕も最近よくそう思うんですよ」