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1-17 ピアノの音色

 4人で市場を歩く。マエストーソの隣にアリアやチャーリーがいると、彼の顔半分を隠している重々しいフードもそんなに目立たない。

「橋の上にもお店があるわ」

「すげえな!落ちたりしないのかなあれ」

「あの綺麗な置物は何?」

「あれは大陸渡りのものです。向こうの大陸では玄関前に置いて魔除けにするんですよ」

「船長って何でも知ってそうだよな。あの部屋の本を全部読んだら俺も覚えられるのかな」

「本は好きですか?」

「持ってたことがないからなあ。読めそうなやつ教えてくれると嬉しい」

「任せてください」

 見たことがない魚や、色とりどりの絨毯に目を奪われている二人を見つめて、マエストーソが微笑みながら呟く。

「羨ましいものです」

 スミスが笑っていってやった。

「本当に。僕もティーンエイジャーだった頃は清く正しい聖職者を目指していたので、こうして市場を歩くことなんてなかったですしねえ」

「今は清く正しい聖職者ではないのか、とオラトールなら問い返しそうですね」

 マエストーソも笑う。

「そうそう、大きな溜息をつきながら言うんですよね」

 盗賊から巻き上げた武器を鍛冶屋に売り払い、皆で揃って大通りを歩いていくと、どこからともなく美しいメロディーが聞こえてくる。

「聞いたことがない音がするわ」

 マエストーソが足を止めて、音の聞こえてきた方に視線を投げる。

「………ピアノ、というのですよ。この町にもあるとは」

「確か、教会のオルガンに似たやつでしたっけ」

「ええ。懐かしいものです」

 どうやら酒場の奥に置かれているらしい。

「弾けるんですか?」

「少しですが」

 アリアが目を輝かせる。

「店の人に頼んだら借りれるかもしれませんね。聞かせてあげますよ。ああ、でも、少しだけ、練習させてもらっていいですか。その間に……」

 マエストーソが指差した先に、ジェラートの屋台が通って行く。先程売り払った武器で得たばかりの代金が入った袋を渡して、この船長が微笑んだ。

「ほら、おごりです。私は何味でもいいですが、紅茶味があれば是非」

「任せて!買ってくるわ!」

 アリアとチャーリーが駆け出していった。


 酒場の店長にスミスがピアノの利用を頼んでくれている間、ポーン、とピアノの鍵盤を人差し指で叩く。

 この鍵盤に触れるのは何年ぶりだろうか。

 ピアノの上に乱雑に積まれた楽譜を手にとって、弾けそうな曲を探し、譜面台の上に乗せる。そして、ゆっくりと、感覚を思い出すように指を屈伸させる。

(何年ぶりだろう)

 外は暑い夏の日差しなのに、ふと、しんしんと雪の降りつもる微かな音が聞こえてくるような気がする。

 窓の外の雪の降り積もる静かな音、暖炉で薪がはぜる音を伴奏に、穏やかな冬の長い日々、父親が買ってくれた小さなピアノを毎日弾いていたことを思い出す。ふと、マエストーソは手を止めた。

「どうかしたのですか」

「……父や母が、言っていました。僕に、いつか、いっぱい友達が出来るように、と」

 いつもの『私』ではなく『僕』である。今の彼は、かつてピアノを習っていた頃の少年そのものなのかもしれない。

「………幸せというのが、時々、ふと恐ろしくなります」

 人差し指を鍵盤の上に置いたまま、もう片方の手で、眼帯に触れる。鱗と角で覆われた、既にとっくに見慣れてしまったこの禍々しさも秘めた眼帯が、今日はあらためて、とても彼には不釣り合いなものに見えて、スミスはそんな彼の背中をそっとさすってやりながら言った。

「僕らの知らない事情が、あなたにはあるのでしょう」

 この船長の事情をいつか知る日が必ず来るだろう、とスミスは半ば確信していた。それはマエストーソも同じらしい。

「………まだ、話せないことを、詫びましょう。それでも、行かねば。けれど」

 迷い、というものとは無縁に見えたこの年若く静かな船長が、目を閉じて息を吐く。

「『扇』はどこの国でもない場所の、どこの国の者でもない者が持ちます。そして『剣』………トーリス国に、戻らないと『剣』は手に入らない。それが一番危険な旅になるでしょう」

 スミスがいつものように笑いかける。

「チャーリーはあのままあの国にいたらきっと助からなかった。アリアもトーリスに嫁ぐことになっていた。それが幸せになるか、ならないかは……なんとなくですが、あなたは僕よりよく知っている気がします」

 半年以上寝食を共にしているうちに、雪解け水のように時折話すようになった思い出話によると、この船長の生まれはトーリス国らしい。

「僕だってそうです。そりゃまあ怪力無双には多少自信がありますが、暗殺者とやらの矢で遠くからハリネズミにされたら、ちょっとばかりしんどいですし。あなたがいたから助かった命ですよ、皆」

 ひょい、とピアノの横の椅子に腰掛けて、

「さてと、うちの可愛いおチビさん達がそろそろ戻ってきますよ。ああ、それと、ピアノくらいなら『持ち帰れる』ので、買いたくなったら言ってくださいね」

 ぽんぽん、と背中を叩いてやった。

「本格的に検討しますよ」

 マエストーソがいつもの微笑みを取り戻しながら、楽譜を譜面台に置き直す。少しばかりぎこちないが美しいメロディが、指先から流れでる。

(そう、無事に、この旅が終わったら)

 今はまず『扇』を手に入れることだけを考えよう。ぎこちないメロディーが、少しずつ鍵盤の上で滑らかになっていく。

 自分の指はまだ、こんなメロディーを生み出せたのか、と心の中で少しばかり驚きながら、マエストーソは紅茶味のジェラートが届くまでずっと、酒場のピアノを弾き始めた。

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