1-15 手紙と扇
「チャーリー、起きて!」
ドアのノックの音と、アリアの声と、アルテの鳴き声が同時に響く。
「どうかしたのか?」
中途半端に二度寝してしまったせいで、妙にぼんやりしている頭を抱えながら、チャーリーがドアから顔を出す。
「サーカス団の人からお手紙よ」
「え?」
アルテが、彼の頭の上にひらり、と舞い降りて、誇らしげに二枚の封筒を渡す。
「あれ? こっちは……」
見ると、もう一枚の封筒は、封蝋で印が押されている。
「それと、私のおじいさまから」
「な、何だって!?」
仰天して、チャーリーが慌てて頭を振った。
「何で、アリアのおじいさんって確か、クリスタグレイン国王……」
妙に丁寧な仕草で、それでも慌てて封を開け、彼はアリアの祖父から届いた手紙を読み始める。
「……マクシミリアン・クリスタグレイン王子について? ああ、へえ……俺と同じで、旅芸人一座に潜り込んだんだ」
「お父さんがどうかしたの?」
「生前の消息を知っている人がいるようだったら、教えて欲しいって。さすがに俺じゃわかんないけど、サーカス団に手紙書いてみるよ。団長あたりなら何か伝手があるかもしれないしな」
「本当?」
「ま、助けられた上に、居候の身分だからさ」
頭の上のアルテを両手で降ろしてやりながら、
「他にも手紙があるんだな」
鳩ほどの大きさのアルテの背中に、皮製の小さなカバンがくくりつけられている。
「こっちはマエストーソ宛ね。持っていかないと」
二人が揃って歩き出すと、いつものように、朝食の香ばしい匂いが漂ってくる。
「大分離れてきたんだな」
「そうね。アルテが行って戻ってくるのに2日以上かかるもの」
いつものように、厨房の窓から、スミスがフライパンを片手に鼻歌を歌っているのが聞こえる。
「おはよう」
声をかけながら厨房のドアを開けると、ティーカップを片手に本を読んでいたマエストーソが微笑む。
「おはようございます、二人とも」
「おはよう、マエストーソ。おじいさまからお手紙が来てるわ」
「次なる宝物のありかがわかったんですかね」
振り返ってのんびりと笑うスミスに、手紙を開いたマエストーソが答える。
「おや、本当にそうみたいですね。次は、『扇』です」
「本当?」
思わずアリアとチャーリーが声を上げて、その手紙を覗き込む。
「ええ、長らく行方不明になっていたんですよ、『扇』は。とある島にあるみたいですが………」
「島?」
「どこの国にも属さない島です。要するに、アウトローには生きて行きやすい場所ですね。いわゆる親分の様な存在もいるみたいです」
「ほほう、それはまた、スリル満点な旅になりそうですねえ、マエストーソ」
焼き上げたパンケーキに自家製のシロップをかけながら、厨房の奥のスミスが呑気な声を上げる。
「ええ。無法地帯へ踏み入るのは久々です。準備を整えておきましょう。それに、あの地は私は詳しくないので、まずは地形と気候、そして島の情報を詳しく調べておかないといけません」
「そうですねえ。保存食も作っておきましょうか。船で入り込めない場所もあるかもしれないですし」
さも当たり前のように、そんな物騒な場所にいく段取りを考えはじめている船長を見て、チャーリーが聞く。
「地形と気候?」
「飛行船ですから、どこに行くにも、これが一番重要なんです」
「ああ、そっか……。でも、この船って一応、魔法で飛ぶんじゃなかったっけ」
「浮力は魔法ですけれど、風に乗って方向を決めるのは人力なんです。ただ、このあたりは季節風が大陸沿いに循環していますから、風に乗ってしまえばあとは自由に風が船を運んでくれます」
「へえ……。俺もちょっとは勉強しておこうかな。そういえばハールーンに『鍛えておけ』って言われたばかりだし」
「付き合いますよ、チャーリー。僕でよければですが」
スミスが笑う。
「いや、それは……」
命がいくつあっても足りなさそうだ、というより早く、
「久しぶりに、体を動かせそうですねえ」
ばきばきと、実に楽しそうに彼が指を鳴らしているのを見て、チャーリーは一切の抵抗を諦めることにした。
「『扇』ね……」
部屋に戻って、ぼんやりと呟いて、アリアは鏡を見る。
「『剣』とか『槍』とかに比べると、どうもイメージがわかないんだけど……」
すると、ふっと鏡に浮かび上がったアリエッタが、楽しそうに笑う。
『月の絵が描かれてるの』
「お月様? どうして?」
『今にきっと、わかるわ。そういえば、「扇」を手に入れたら、宝物は何個目なの?』
アリエッタの問いに、アリアが答える。
「あなたを合わせて……『槍』と、『杖』と、そういえば、マエストーソも『剣』を持ってるのよ。魔法の鞘だけだけど」
『……魔法の鞘?』
「剣はまだ取りにいかないみたいって、前にそういえば言っていたような気がするけど……どうしてなのかしら」
鏡の中のアリエッタと、鏡を覗き込むアリアの二人が、同時に眉を寄せる。
『その鞘って、どんなの?』
そっとアリエッタが聞く。驚いてアリアが逆に問い返す。
「知ってるんじゃなかったの? ハールーンとも、オラトールとも知り合いだったんでしょ? じゃあ、マエストーソの『剣』も……」
『え、まあ、そうよ。そうなのだけど……。ねえ、魔法って、どんな感じのかしら』
「鞘から、真っ青な水が湧き出るのよ。マエストーソは魔法が使えるみたいだから、それを一気に凍らせたりとか出来るみたいで」
すると、
『……真っ青な、水ですって!?』
アリエッタの顔に、今までに見たことがない程の、激しい驚愕の色が浮かぶ。
「え、それがどうかしたの?」
驚愕の表情を浮かべた顔を、ゆっくりと両手の中に埋めたアリエッタが、しばらく黙ってから答えた。
『………きっと、あなたには教えるわ。その時が、もうすぐ来ると思うの』
アリアが、不満そうに呟く。
「最近、何も話してくれないのね」
『ごめんなさい……』
ふと、不安になったアリアが、再びそっと聞いた。
「ねえ、一つだけ教えて欲しいの。……本当のことって、良いこと?」
アリエッタが、微笑む。
『ええ。「楽園」は確かにあるのよ。願いだって、叶うわ。大丈夫』
「良かった。おじいさまや、死んだお父さんや、『槍』を貸してくれたあのセリスレッドの王様達ががっかりしたら、困るもの。それに、マエストーソも」
謎めいているが、非常に優しくて親切にしてくれる、ここの船長ががっかりする姿は、あまり見たくなかった。ほっと息を吐くアリアを見て、
『私、私の持ち主があなたで、本当に良かったわ』
アリエッタが笑う。
「お父さんのこと、好きだったんでしょ?」
アリアも笑う。虚を突かれて、鏡の向こうで真っ赤になった彼女が、しどろもどろになる。
『え、えっとそれは……そうね。もちろん、前の持ち主だったし、もちろん、嫌いじゃなかったわ。すごく、明るくってハンサムで……。でも』
「でも?」
アリエッタが、目を細めて言った。
『あなたのお母さんも、素敵な人だったもの。それに、私には……どんなに新しい恋をしても、どうしても忘れられない人がいるの』