1-13 船倉の光る石
「船室の掃除をしなければなりませんね」
マエストーソが、3人に言った。彼は本来ならば船の操縦室だった場所で寝泊りし、それ以外の部屋はアリアの部屋と、スミスの部屋を含めて4つだった。
「昔の私の部屋を使うと良いでしょう。着れそうな服がまだ少し、残っていたかもしれません。それでよければ、自由に使ってくださって結構ですよ」
掃除道具を手に、彼が微笑む。
「色々と片付けるものがありますから、今日は客室の方で泊まってくだされば結構ですよ」
「あ、はい」
自分よりかなり身長の高い、年齢不詳なマエストーソを見て、一体いつから、この船長はこの船に乗って旅をしていたのだろう、と不思議に思い、ふと首を傾げるが、
「私の部屋の隣なのね」
アリアが楽しげに言うのを聞いて、彼の思考回路が切り替わる。
「隣?」
『抜け駆けはゆるさねえからな、相棒』
すかさずハールーンが釘を刺す。
「大丈夫ですよ。後ろが僕の部屋ですから」
スミスがいたずらっぽく笑う。
「さて、では僕は、夕食の準備をしてきますね」
「私も手伝うわ」
「ああ、俺はじゃあ、掃除を手伝う」
チャーリーに箒を渡して、スミスが言った。
「ああ、それと明日でいいのですが、マストのロープを点検する作業を手伝ってもらえると嬉しいのですが。やっぱり身の軽い人がいると、便利ですしね」
そういった件に関しては何よりも得意なチャーリーが、笑顔で答える。
「もちろん、手伝います」
「敬語じゃなくっても良いんですよ、チャーリー。まあ、マエストーソのそれは、生まれついてのクセだそうですが」
敬語で話す冒険者、というのも珍しい、と思いつつ、
「礼儀正しいんだな」
そっと呟いた彼に、
「僕より数億倍、紳士的ですからね。アリアあたりはそりゃあもうきっと、メロメロですよ」
スミスが笑ってみせる。
「……え、何だって?」
一瞬その言葉を理解するのに手間取った後、慌てながら驚くチャーリーに、
「いいえ、ちょっと誇張を混ぜてみただけです。ああ、青春ですねえ」
前後の文脈がかみ合わない会話と共に、のんびり笑って見せてから、
「さて、今日は夕食に何を作りましょうかね……」
スミスは、アリアを連れて歩き去っていってしまった。その様子を唖然と見送るチャーリーの横で、槍の中からおなじみのハールーンが呟くのが聞こえる。
『姫さん、か』
「どうかしたのか」
槍の柄に細く映っている、自分と同い年くらいの少年の顔が曇っている。
『何でもねえ。で……あの姫さんが、「鏡」を持ってるんだよな?』
「鏡?」
『……そうか。おめえ達は知らないんだったな。まあいいさ』
「何がだよ」
ハールーンが、呟く。
『いつか教えてやるよ、相棒。それよりも、うちの姫さんに忠義立てすんのを忘れんじゃねえぞ。その為にも、その生っちょろい体をどうにかしやがれ』
「何だって?」
『洒落にならねえ冒険が待ち受けてやがるかもしれないからな』
もう十分、洒落にならない冒険は経験してきたような気のするチャーリーが、深々と溜息を吐き出した。
『ハールーンが?』
久方ぶりに姿を現したアリエッタが、どこか嬉しそうに笑う。
「スミスの『杖』の名前はオラトールっていうの。マエストーソは、『剣』の鞘を持ってるの」
そして、アリアが聞いた。
「最近、呼んでも出てきてくれなかったけれど……心配したのよ」
アリエッタが鏡の中で、少し目を伏せる。
『ごめんなさい』
「槍のハールーンの事、知ってるのね」
『ええ、まあ、そうよ』
「………友達なの?」
自分でも知らぬ間に、どこか意味深なイントネーションになってしまったアリアの問いかけに、アリエッタが、思わず何度も何度も目を瞬かせながら答える。
『友達って、その……まあ、そうね。でも……』
「でも?」
複雑そうな表情を隠しきれずに、アリエッタが言った。
『もしも皆に何か聞かれたら、私は元気にしてるから大丈夫って答えるだけにしておいて欲しいの』
「……え?」
『お願い。理由はいつか話すわ』
それだけ言うと、ふっと鏡の表面からアリエッタの姿が消える。
「アリエッタ?」
呼びかけても返事がない。
「……いつも肝心なことは喋ってくれないんだから、もう」
何だか微妙な気分に、そしてどこか心配になって、アリアは溜息を吐き出した。するとそこに、窓からアルテが舞い込んでくる。
「あら、おかえり。おじいさんからのお手紙はある?」
もちろんだ、と言わんばかりに誇らしげな鳴き声をあげて、アルテが窓辺に座り込む。するとその背中に、手紙がくくり付けられているのが見えた。
「クリスタグレインから、大分遠ざかって来たのね……」
鳩のアルテが、手紙をくわえたまま、船から城まで戻ることの出来ない距離になった証拠でもある。思わずしみじみしながら、彼女は手紙を手に取った。
「こっちのロープを交換すればいいんですか?」
スミスに対する敬語は通常語に改まったものの、マエストーソに対する敬語はどうも治らない。そんなチャーリーが、新しいロープを肩にかけて、船のマストの上から声を投げる。
「助かります。さすがですね、チャーリー」
「いやもう、毎日これが仕事だったんで……。このあたりは足場が悪いから、後で板も張り替えたほうがいいかな……」
「そうですね。出来ればお願いします」
そんな様子を厨房の窓から眺めながら、スミスがにこにこと笑い、呟く。
「さすがは我が船長、あれほどまでに腕のいいクルーを見つけてくるなんて」
元サーカス団員なだけあって、ロープの使いかたや工具の使い方にも意外に長けていて、更に、高いところも危険なところの作業も、難なくこなしてくれる。
(あそこの足場は僕やマエストーソじゃあ体重がありすぎて危険なんですよね)
昔は船長自らがマストに登っていたという。
「エスト・コルネリア……ですか」
アリアの話によると、彼の母親は王族達の間でもちょっとした有名人だったらしい。フライパンの上に、新鮮な卵を割って、彼はのんびりと一人ごちる。
「ま、それよりも……後で、チャーリーに大工道具を持っていってあげなければね」
そこに、手紙を手にしたアリアがやってくる。
「おや、アルテ君が戻ってきたんですね」
「スミス宛のもあるの」
「え、僕宛にですか?」
驚いて目を丸くしながら、スミスは手紙を受け取った。
「お城のドアの請求書でしょうかね。後でゆっくり読んでおきますよ」
以前、何の気もなしに、「はずみ」で破壊してしまったクリスタグレイン城のドアのことを思い出しながら、手紙を胸ポケットにしまってのんびり微笑むと、
「そろそろ、外の二人を呼んできてくれます?」
彼は言う。軽くうなずいて、厨房から出て行こうとしたアリアの目に、大きな『杖』のオラトールが目に止まる。
「オラトール……さん?」
どうみても巨大な棒にしか見えない『彼』に、ふと声をかけてみた。すると、しばし間のあった後に、
『姫か』
低く、静かな声が帰ってくる。自分達より随分年上な男の、少し荘厳さを纏った声音。
「アリア、でいいです」
そんな『杖』から感じ取れる不思議なムードに気おされて、つい敬語で答えてしまったアリアに、オラトールが聞く。
『あの「鏡」を持っているそうだな』
「え、はい、えっと……」
再び、間があった後に彼が、ゆっくりと、どこかためらうかのように聞いた。
『ではアリア、彼女はどうしている』
「彼女? ……もしかして、アリエッタのことですか? えっと、それが……あ、でも、元気です。ハールーンの事も知ってるみたいなんです。元気にしてるから大丈夫って伝えて欲しいって」
自分の『杖』とアリアが話しているのを、不思議そうに見るスミスをよそに、
『そうか。……元気にしておるのなら良い』
「『杖』と、『槍』と、『鏡』……皆さんどうも、お知り合いみたいですね」
「そうなのよ。だから、気になって」
「気になる?」
「アリエッタ、最近何だか元気なくって、あまり出てきてくれないのよ」
「そうなんですか……」
アリアとスミスが、顔を見合わせる。
「知り合いが来たっていうのに、変じゃない?」
「そうですね」
「今度、ゆっくり話を聞いてみるわ。何だか心配なのよ」
かれこれ15年もの付き合いになる、鏡の中の少女を思い浮かべて、ちょっと首を振ってから、
「とにかく、マエストーソ達を呼んでくるわ」
アリアは厨房を後にした。
「もうお昼の時間ですか」
やってきたアリアに、マエストーソが微笑む。
「そうなの。それと、おじいさまからお手紙よ」
アリアが、マエストーソ宛の手紙を手渡す。
「おじいさま?」
ひょいっと身軽に、ロープを伝って船の甲板に飛び下りたチャーリーが首を傾げる。
「アレキサンダー・クリスタグレイン国王ですよ」
「何だって!? って、ああ、そうか、そういえば、お姫さまなんだよな……」
どう見たって、町にいそうな普通の女の子にしか見えないが、
(そういや俺のサーカス団にも、普通の女の子ってあまりいなかったしな。もしかしたら案外、お姫様というのは実際こんな感じなのかも……)
心の隅でちょっと失礼な事を考える。そして今度は、マエストーソの方をちらりと見て考えた。
(エスト・コルネリア……。聞いたことがあるはずなんだけど、思い出せないんだよな)
見た目は確かに、物騒きわまりなさげな眼帯をつけているせいでおっかなく見える。だが、
(こっちの方が、よく見ると何て言うか王子様とかそんな感じなんだよな)
正直そんな事を考えつつ、彼はふう、と一息ついた。ところがその次の瞬間、空気をつんざくような轟音が響き渡り、3人はあわてて甲板にしゃがみこんだ。
「な、何だよ、これ。何かあったのか?」
「来ましたね。今度はどこの国でしょうか」
「来たって、まさか……」
「追っ手です。ああ、そういえば言い忘れていましたがチャーリー、私とスミスは一応、クリスタグレイン王国の姫を誘拐し、各国から伝説の宝物を略奪した極悪非道の大盗賊ということになっています」
チャーリーの頭の中が、これ以上ないくらいに真っ白になる。
「というわけで、あなたも今後は我らが極悪非道なるキャプテンと一蓮托生というわけです。良かったじゃないですか。ティーンエイジで悪の道、男たるもの生き様はこう、急転直下でかっこよくあるべきですよねえ」
後ろからやってきたスミスが、のほほんと笑う。
「きゅ、急転直下ってなんだよそれ………」
「スミスって、本当に牧師だったの?」
そんな台詞を聞いて、もうこの、どうやら大砲らしいこの轟音にも慣れているのか、当のクリスタグレイン王国のお姫様が、普段と変わらない様子でそんな悪徳牧師に聞く。
「ええ、清廉潔白な牧師で、この船の腕利き料理人ですよ。極悪非道の悪党の片腕はちょっとした副業です」
「……」
混乱する彼に、マエストーソが優しく微笑んでくれた。
「大丈夫です。私とスミスは面が割れていますが、あなたはまだですから」
その大丈夫、という根拠が一体どこにあるのか問い正したい気分で、彼は思わず頭を抱え込む。
「アリアがいる限り、本気で船めがけて撃ってくるなんてことはありません」
「そ、それって……」
「ただし、相手が国家でない場合は話が別です」
砲弾が、船の舳先ぎりぎりを掠め飛ぶ。
「え?」
「本物の盗賊達が、私達の宝物と、誘拐された姫君を狙い始めたようですね……」
マエストーソが、手にしていた手紙を丁寧に折りたたみながら、船の上空を見やる。
「今回の相手は、かなり厄介なようです。やはり、あなたが仲間になってくれていて良かった」
「は、はあ……って、まさか」
思わずぎょっとするチャーリーに、船長が微笑んだ。
「では、アリアを頼みましたよ」
ほぼ同時に、上空からパラシュートが降ってくる。
「え、あれってもしかして……」
がん、とパラシュートから飛び降りた人間達の手には、おっかない半月刀がぎらついている。
「厨房の野菜倉庫の床が、船倉に逃げ込める入り口ですよ」
「や、野菜倉庫!?」
「買いたてのキャベツ、踏み潰さないで下さいね」
スミスが大らかに笑い、厨房のドアに立てかけてあった巨大な『杖』を手に取る。次の瞬間、そんなスミスに襲い掛かってきた賊の一人が、彼の振り回した杖の直撃にあって、一気に弧を描いて吹っ飛んだ。
「アリア、チャーリー、頭を下げて下さい!」
マエストーソの声が響く。慌てて二人が頭を下げて、甲板に伏せたその真上を、真っ青な水が通り過ぎていく。一瞬にして、腰から下が凍りづけになった賊達を見て、チャーリーが言った。
「……急いで、邪魔にならないうちに、野菜倉庫へ行こう」
「……そうね」
スミスに吹っ飛ばされて気絶した男が、どすんと落ちてくるのを慌てて避けながら、二人は厨房へと飛び込んだ。そして、野菜倉庫のドアを開けて中に入り、外を確認してからさっとドアを閉める。
「船倉ってことは、船の底なんだよな」
「私、まだ見たことないわ」
薄暗い中で、二人が顔を見合わせながら、床のドアを持ち上げる。
「飛行船の動力の部分なのかな」
「この船は魔法の船だから、動力も何もないっていってたけど」
「魔法の船だって!?」
思わずチャーリーが目を見開く。
「そういや昔、親父が何か言ってたっけな」
床下へ続く扉を開けて、二人は中へ入っていく。
「チャーリーのお父さんが?」
チャーリーが、槍を手にしたまま笑う。
「俺の親父も冒険者なんだ」
「え、マエストーソと一緒なのね」
「あれほどまでに、何て言うか……スマートじゃないし、冒険家っていうよりはむしろ、探検家なんだけどさ、今も……多分、世界のどっかを旅してるんじゃないかな」
その微妙なニュアンスを聞き逃さなかったハールーンが、彼の手元から聞く。
『何だ、相棒。おめえの親父さんは生きてんのか』
すると、チャーリーが少し黙った後に答える。
「……それがわからないんだよな。もう10年も帰ってきてない。だから俺、サーカス団に入って、世界を回りながら探す事にしたんだ。お袋も死んだし、身内もないし、お金もなかったし」
驚いたアリアが、声を落とす。
「そうなの。ごめんなさい……」
「いや、いいって。能天気な親父だから、多分その辺りで適当に生きてるさ。この船に乗ってりゃ、いつかは会えるかもしれないし」
上の騒ぎが微かに聞こえてくる船倉で、アリアが言った。
「会えるといいわね。お父さんと」
「……そうだな」
二人が、ふと前を見る。そして、首を傾げた。
「あれは?」
見ると、何かきらきらと光る物体が、船の底に置いてある。
「何かしら」
「さあ……」
たかでさえ謎の多い船だ、とチャーリーは目を細めて答える。
(そもそも、あの船長からして謎だらけだもんな)
そんなことを考えながら、
「宝物か何かじゃないのかな」
そっと彼は、その光る物体に、恐る恐る近づいていく。そして、目を丸くした。
「石が、宙に浮いてる」
「石?」
「光る石だ。ほら」
透明な丸いガラスケースの中に、光る石が音もなく浮かんでいる。
「触らない方がいいのかもしれない」
「そうね……。でも、すごく綺麗」
少し青みを帯びた石が、宙に浮かんだまま淡く光り続けているその不思議な光景に、二人が息を呑む。
「もしかしてこれも、『楽園の宝物』か何かなのかしら」
アリアが思わずそう呟くと、ハールーンが答える。
『いや、宝物は五つだけのはずですぜ。姫さん』
「そうなの……」
ふと、アリアが聞いた。
「ねえ、ハールーン。私は良く知らないのだけれど、アリエッタとは知り合いなんでしょ?」
『な、いや、実は……』
手にしていたハールーンの柄が、一瞬だけ熱くなったように感じて、驚いてチャーリーが、『兄貴』を見る。
『勘弁してくだせえ、姫さん。その件については、その、何て言えばいいのか……そう。オラトールの兄貴にでも聞いて下さいや』
「話しにくい雰囲気だったから、詳しく聞きそびれちゃったのよ。それに、最近アリエッタも元気なくって。それに、ずっと思ってた事があるんだけど、聞いていい?」
『何ですかい?』
「アリエッタも、オラトールも、あなたも、もしかして、本当は人間だったんでしょ?」
ハールーンが、しばしの沈黙の後に笑う。
『ま、いつかは気付くと思っていやしたよ、姫さん』
そして、すまなさそうに言った。
『今はまだ話せませんや』
チャーリーが聞いた。
「今は?」
『まあ、機会がありゃあ、おめえにも話すことになるだろうよ、相棒』
そして、
『「鏡」の……いや、「鏡」のあの方は、お元気ですかい?』
少し、珍しく遠慮がちに聞く。
「元気にしてるから心配しないでって」
『そいつは良かった。おい、相棒』
「何だよ」
『上が静かになったようだぜ』
「ああ、本当だ」
アリアとチャーリーが顔を見合わせて、そして呟いた。
「極悪非道の大盗賊って、もしかしなくても本当なのかな」
「二人とも、有名人みたいだし……。マエストーソは悪い人じゃないわ。スミスは……まあ、あれでも、優しい人だし。上がって大丈夫かしら」
そこに、当のスミスの声が聞こえる。
「アリア、チャーリー、昼食の時間ですよ!」
二人が、同時に肩の力を落とし、船倉から外に出ると、全身氷だらけになって、縛り上げられている大の男達が、びくびく震えながらマエストーソに頭を下げているところだった。
「わかっていただければ結構ですよ。命も金品も巻き上げるような真似はしませんから、速やかにお帰りくださいね」
にこやかに微笑むマエストーソが、上から降りてきた敵方の船へ、彼らを優しく送り返している。その珍妙な光景に、もう言葉も出てこなくなった二人が、
「そ、そうだ。昼食なんだっけ」
「そうね。食べましょ……」
くるり、と同時に振り返って、大きく溜息をつくと、厨房のテーブルに力なく座り込んだ。