1-11 宰相の赤い石
勝手に縦横無尽に暴れ回る、自分の『兄貴』にもやっと慣れてきたチャーリーが、闇の向こうに向かって叫ぶ。
「団長!!」
「チャーリーか?」
返事が返ってきた方向に向かって、彼は再び声をあげた。
「全員、テントの中に逃げるんだ!」
団員たちを連行しようとしていた兵士達が手にしていた縄が、あっという間に、槍で叩き切られる。
チャーリーの声が聞こえたのか、皆が一斉にテントの中へと逃げ込んでくる。
「なかなか良い判断ですね、チャーリー君。この暗闇では、むやみに逃げようとしても無理でしょうし」
隣で、巨大な棒の先に軽々と王宮の兵士をぶらさげたスミスが、丸でそれこそ大道芸人の様に兵士を放り投げて、笑う。
(後でこのスミスって人、間違いなくうちの団長にスカウトされるな……)
頭の隅でそんな事を考えながら、彼は頷いて見せる。
「魔法とか、使えます?」
そんな事を聞いてきたスミスに、チャーリーは頷いた。
「ちょっとだけなら……でも、両手が空いてないと駄目だから、今は無理なんだ」
「それは残念ですね。見てみたかったのに」
「明日になったら公演があるんだ……って、それどころじゃない、全員逃げ込んだみたいだ」
二人が、テントの入り口に立ちふさがった。
「マエストーソは遅いですね。いつもなら、決して王宮などに長居をする人ではないのに」
「え?」
「『槍』は手に入ったのに、どうしてまた王宮に向かったのでしょうかね。まあ、後でゆっくり聞いてみますか」
チャーリーも、ふとあの眼帯の船長を思い浮かべて首を傾げる。
「マエストーソさんか」
そして、ふと、あの城の中で聞いた会話を思い出す。
「もしかして……エスト・コルネリアっていうのは、あの人?」
「そう呼ばれている事もありますよ。自分でも時々、そう名乗ったりもします。むしろ、マエストーソ、という本名をあまり人に漏らしたがらないようですから」
「そうなんだ……」
じりじりと、二人を遠巻きに兵士達が囲んでいく。
「あなたに本名を明かした、という事は、あなたを信用した証拠ですよ、チャーリー君」
「あんな事をしたのに?」
アリアに槍を突きつけて羽交い絞めにしてしまった事を思い出し、心底申し訳なくなって、彼は息を吐く。
そして、しばらく黙って前方を見た後に、
「俺も、『チャーリー』だけでいいや」
と、呟くように言った。
「ああ、僕も『スミス』だけでいいですよ。お互い、覚えやすい庶民的な名前で大助かりですよね」
思わずチャーリーが、前を見たまま吹き出した。
「あんまり好きな名前じゃなかったけれど、そういわれると、悪くないかもしれないな」
そこに、馬のひづめの音がする。
『新手か!?』
槍のハールーンが声をあげたその時、
「陛下からの伝令である。皆のもの、今すぐここから引き上げよ!!」
馬に乗った、伝令らしき男が大声を張り上げた。
「何だって?」
スミスとチャーリーが顔を見合わせる。
「サーカス団の諸君には、すまない事をした。また明日も陛下のお目を楽しませてくれたまえ。このお詫びも兼ねて、報酬は倍額だそうだ」
テントから顔をのぞかせたサーカス団員達が、わけのわからない、といった顔を見合わせて目をぱちくりさせている。
「マエストーソが、説得したんでしょう」
「え? セリスレッドの王様を?」
「僕も、詳しいことは知りませんが……」
ある程度の事は、予想がつかないでもなかった。
(ただの冒険者ではない、という事だけは明白ですがね)
本人はひた隠しにしていても、立ち振る舞いやら何やらで、一般市民とも、その辺りにいる冒険者とも違う何かがにじみ出ている、友人だが謎の多い船長を思い、
(まあ、本人がいつか、話してくれる日もあるでしょう)
彼はのんびりと、杖のオラトールに言った。
「お疲れ様でした、オラトール。また頼みますよ」
太い杖が巨大な溜息をついて答える。
『スミスよ。お前とつきあっていると、我は疲れてたまらぬ』
思わずチャーリーはそんな愚痴を吐き出した杖を覗き込む。
「面白い棒だな……」
「そうでしょう。一応僕の『用心棒』ですからね」
不服げに、
『チャーリーとやら。我は棒ではない、「杖」だ。楽園への宝物の一つでもある。こやつの言葉にあまり惑わされるでない』
杖の表面が何度も点滅する。
「楽園への宝物、か。そういや何かそういう話を、どっかで聞いたことがあるような気がするな」
思わず笑いながら、チャーリーが言ったその時、
「スミス! 間に合った?」
彼らの真上から、声が降ってきた。
「ええ、上々ですよ。怪我人もいませんしね」
上空を見上げると、何時の間にかそこには、先程の飛行船が浮かんでいた。サーカス団員達が驚いて、テントから飛び出してくる。そして、上空の船から垂らされた縄梯子につかまって、マエストーソが降りてきた。
「アリアが説得してくれたんです。お陰で随分と助かりました」
「『槍』の貸し出し許可をもらえたの。ここの皆も助けてくれるって約束してくれたし」
そんな彼女が、興味深げにテントの方に目をやっている。
「こんなに近くで見たの、はじめてだわ……」
チャーリーが言った。
「とにかく、助けてくれてありがとう。本当に、お姫様だったんだな」
アリアが真っ赤になって笑う。
「ちょっとしかお城にいなかったから、お姫様ってほどでもないわ。全部マエストーソのおかげよ」
そう言った二人が後ろを振り返ってみると、意外にもマエストーソも、サーカスのテントの方に好奇心を隠しきれない視線を注いでいた。
「おや、船長。あなたはサーカスが好きなんですか?」
スミスがにこにこ聞くと、
「見たことがないので、気になってしまって。母が大好きでしたよ。この国で昔見せてもらったとか」
ちょっと笑いながら、船長が答える。
「お母さん、ね」
金色の髪の、美しい人だったらしい。
(私のおじいさんも、ここのセリスレッド王も、マエストーソのお母さんの小さい頃のことを知ってたわ)
もしかして、どこかの国の本物のお姫様みたいな人なのかもしれない。とうとう抑えきれなくなって、アリアは聞いた。
「マエストーソのお母さんって……どんな人なの?」
すると、船長は微笑みながら答えた。
「今あなたが使っている船室が、母の昔の部屋ですよ」
「え、そうなの!?」
だから初めてこの船に来た日から、部屋に女性用の服などが揃っていたわけね、と思わず納得しながら、彼女はふと、目の前に立っているチャーリーが手にしていた槍を見る。まだ赤く、きらきらと輝いているそれを見て、
「綺麗……」
ふと呟いた。すると突然、
『おい、相棒。おめえ、主君とかそういうのはいねえのかよ』
槍の中から声がした。
「いや、そんな、だから俺は普通にサーカス団員なんだって」
驚いてアリアが槍を凝視すると、そこにはちょうど目の前のチャーリーと同じくらいの歳の少年が、チャーリーに毒ついているのが見えた。
『そんなよくわかんねえモンより、もっと大切なのがあるだろうが、馬鹿野郎!』
思わずむっとしつつ、チャーリーが言い返す。
「何なんだよ、ハールーン」
『兄貴、と呼べって言ってるだろうが。で、大切なもんっていうのは決まってるだろ。この姫さんだ』
アリアとチャーリー、そして、その後ろのスミスが目を丸くする。
『命の恩人には、忠義を尽くさないと男じゃねえ』
「……って、それってまさか」
その次の瞬間、槍の柄が一層きらきらと輝きだし、ずん、と重力をかけられたかのように重くなる。その重さに腕が耐えかねて、思わずチャーリーが地面に片膝をついた、その次の瞬間、
『この不甲斐ねえ相棒を、おいらと共々、どうかよろしくお願いしますぜ。船長殿に姫さん。それにスミスの兄貴』
チャーリーが片膝をついたままの体勢になり、同時にハールーンが言った。
『このチャーリーの命、どうぞ、いか様にでも使ってやって下せえ。』
「な、な、何ですって!?」
自分の前で、丸で忠誠を誓うポーズそのままに、片膝をついているチャーリーを見て、驚愕のあまり、目を見開いたアリアの声が、夜の広間に響き渡る。自分の人生航路の指針が大幅にずれてしまった瞬間を本能的に察知し、言葉も出てこなくなったチャーリーが、そんな彼女を、やっとの事で見上げる。
(こうなった以上、後に引けないじゃないか)
今のはこの『槍』が勝手に言い出したことなんだ、と今更言ったところで、あまり格好の良いものではない。少年として、それくらいのプライドは持ち合わせていた彼が、溜息を口の中だけで噛み砕いて、そこはかとない諦念と共に、言うべき言葉を探す。
『ここにはオラトールの兄貴もいらっしゃる。それにスミスの兄貴も、そこの船長殿も、なかなかの御仁だ。ちょうどいいってもんだろ、相棒?』
どうせ逆らっても無駄な気がしてきて、彼は言った。
「ただ、明日からでいいかな」
『何だって?』
「今までお世話になってきたから、サーカス団の皆に色々お礼を言わないと。……男として、そのくらいは」
最後に付け加えた一言が効いたのだろう。唖然としてこの光景を眺めているサーカス団の皆の方を見てから、ハールーンが槍の中で頷いて言った。
『まあいいぜ。そのくらいは当然だ』
マエストーソが聞く。
「私達の旅に、同行してくださるのですね?」
「ああ。明日からでいいのなら……」
すると、この謎多き船長が、どこか嬉しげに言った。
「構いませんよ。ついでですから、サーカスも見ていきましょう」
「うちのサーカスを?」
思わず目を丸くしたチャーリーに、少し照れ臭げに彼が微笑んだ。
「一度も見たことがなかったんですよ。いつか見てみたいと思っていたところでしたから」
そんな照れ臭い表情が少し意外で、目を丸くしたチャーリーが笑う。
「皆に頼んで、一番良い席を用意しておくよ」
「陛下。隣の国からの貢物が届いております」
次の日の朝、自分の宰相が何かを手にやって来た。
「して、それはどんなものか?」
朝も早くから、宝石箱から赤い宝石のついたものを選り分けていたセリスレッド王が、振り返らずに聞く。
「非常に希少な、赤く輝く珍しい石にてございます」
王が、彼の後ろで頭を垂れている宰相を見る。そして、ふと、手に持っていた小さな赤い石のはめこまれていたピンをそっと、宰相の幅広帽子のひだに、気付かれないように落としてから、答えた。
「予は少々忙しい。その辺りに置いておけ」
宰相がその言葉に従って、金の布の包みを机の上に置いてから、部屋を出ていく。
「さて、あの男の忠告が正しいかどうか……」
その包みを手に、部屋のバルコニーに出て、王はさっとその袋を真下に投げ捨てる。バルコニーの真下は、噴水になっていた。ばしゃん、という水音が響く。部屋にとって返して王は、宝石箱から取り出した、赤い石の装飾品を、惜しげもなく下へと投げ捨てていく。
(まあ、これで良い。もしも何事もないようであれば、後で拾いに行けば良いからな)
そう思って、バルコニーから取って返そうとしたその瞬間、廊下の方から、聞き覚えのある声の悲鳴が上がった。廊下に出てみると、先程の宰相が倒れている。
「これは……」
慌てて城の兵士や従者達が駆け寄ってきた。
「ど、どうやら発作を起こされたようです、陛下」
「先程まで、あんなにお元気だったのに。ご病気一つなさらなかった閣下が、何故……」
慌てふためきながら、宰相の小姓の少年が、医師を呼びに行く。
「そうか。部屋でゆっくりと休ませてやれ。最近『何かと』忙しかったようだからな」
謀りごとというものは忙しいものだ、と心の中だけで付け加えつつ、王は床に倒れている宰相を見る。そして、床に視線を落とす。そこには、黒ずんで割れた石のついたピンが落ちていた。それを足で踏み潰してから、セリスレッド王は、従者達に運ばれていった自分の宰相を見送り、近くにいた侍女に聞いた。
「サーカスの準備は出来ておるな?」