1-10 王様と船長
「セリスレッドの王様と?」
「道楽好きですが、悪い王様ではありませんよ。かつては財務官だったこともあり、国の経営に長けていて、国民からもよく慕われています」
「よく知ってるのね」
そう言えば、自分の祖父でもあるクリスタグレイン王とも知り合いだったわ、と改めてその事を思い出しながら、アリアはこの船長を見上げる。
「冒険者は、物知りでなければなりません」
そして、呟いた。
「チャールズ・アダマント君、ですか」
その名前が、記憶の隅に微かに引っかかる。記憶力には自信があった彼だが、
(どうも、思い出せない……)
思わず、珍しく眉をしかめて考え込む。それを見て、アリアが聞いた。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ。では、行きましょうか」
音もなくエム・オール号が王宮の真上の空中で停止する。そして、そのままゆっくりと下降していった。
「どこから、中に入るの?」
「国王陛下の部屋は、見晴らしの良い最上階で、町が一度に見渡せるバルコニーのある部屋だそうです」
何故そんな事まで知っているのか不思議でたまらなかったが、今この場で聞くのも何となくためらわれて、アリアは頷いた。
「クリスタグレイン王と、個人的にも仲の良い方です。あなたがいれば、きっと信じてもらえる」
バルコニーの真横まで来て、彼はアリアの手を取った。
「さあ、行きましょう。気をつけて」
船の甲板から、二人はバルコニーに飛び移る。マエストーソが、鞘の口を鍵穴に当てる。
(氷の鍵?)
自在に水が湧き出る不思議な剣の鞘のその水を鍵穴に流し込み、魔法で凍らせて鍵を作っているらしい。
「内緒ですよ。これをスミスに見せたら『本物の盗賊になれますよ』って褒められてしまいまして」
「牧師がそういうの褒めちゃっていいのかしら………」
足音を忍ばせて、二人は部屋の奥の、豪華な寝台まで向かう。すると、そこには、一人の老人が豪快ないびきをかいて眠り込んでいた。
そっと、その近くまでやってきて、マエストーソが言う。
「起きてください、陛下」
ここまで単刀直入に事を運ぶとは思ってもみなかったアリアが、仰天してマエストーソを見る。うーん、と呑気に伸びをした王が、声をあげる。
「何、もう朝か? 予はまだ眠たくてたまらぬ……起こすのはもうちょっと後で良いぞ」
どうも早起きが苦手な王らしい。
「お命を狙われています、どうかお目覚め下さい」
そっとそんな王を、優しく揺り起こしてマエストーソが言った。
「後にせよと言うて……何だって?」
「セリスレッド王、いえ、エドモンド・セリスレッド陛下。クリスタグレインの姫がお見えになっています」
王が、寝台の上に身を乗り出して、目を瞬かせる。
「何、アレックスの奴の孫だと?」
一気に目が覚めたらしい、ほのかに月明かりだけが差し込んでいる、ほぼ真っ暗闇の部屋で、王ががばりと起き上がった。
「何者だ!?」
「お静かに。あなたの味方です。名前は、エスト・コルネリアと言います。おわかりですか?」
声を上げかけた王の口をさっと塞いで、マエストーソが言った。
「あなたの宰相が、トーリス国のあの呪術師と組んで、あなたを呪い殺そうと謀っています。宝物と引き換えに」
「な……」
「ぶしつけな訪問で、本当に申し訳ありませんが、多数の人の命がかかっています。罪のないサーカス団員達が、窃盗犯として、処刑されてしまうでしょう」
「サーカス団? 今日の昼に、予の目を大いに楽しませてくれたあの者達か。まだ褒美もやっていないのに処刑とは面妖な。それで、クリスタグレインの姫だと?」
慌てて、アリアが前に進み出る。
「あ、あの私です。私は、アリア・クリスタグレイン。えっと……お父さんは、王子だったとかで。もう亡くなりましたが」
甲板の上でマエストーソに教わった通りに、アリアは窓側でお辞儀をして言う。
「父親の名前は何と言う?」
セリスレッド王が、注意深くアリアに聞いた。
「マクシミリアンです。マクシミリアン・クリスタグレイン。これが、証拠です」
アリアが、首から父親の肖像画の入ったペンダントを外してみせる。
「明かりをつけてくれぬか」
「わかりました。アリア、お願いします。そこにランプがありますから」
言われた通りに、アリアがランプを持ってくる。ランプの明かりを点けて、その下でセリスレッド王は、そのペンダントを覗き込んだ。
「間違いない。マクセの奴だ」
「え、お父さんを、知っているんですか?」
王が、今度はランプの光をアリアに近づけた。
「お前さんの歳くらいだったあのやんちゃなチビ王子が、うちの城を訪問したことがあったのだぞ。アレックス、そう、アレキサンダー・クリスタグレイン王と一緒にだ。あの頃はアレックスの妻も健在だったが」
「おばあさまね……」
「美人だったぞ。予が言うのだから間違いない。それで、トーリス国の大罪人が、何故突然、予の寝室に現れた」
大罪人、と聞いて、驚いたのはむしろアリアの方だった。
「そんなことないわ。マエストーソは悪い人じゃないもの!」
思わず声を上げた彼女を、思わずマエストーソが見る。
「マエストーソ?」
その名前に反応して、王が再び、エスト・コルネリアと名乗った人物を見る。
「……」
沈黙した後に、マエストーソが言った。
「あなたの宰相が、トーリス国の呪術師と手を組みました。危険です」
「トーリス国の呪術師……パイロープ家の男か」
「ええ」
「色々と、噂だけは聞いておるがな」
「彼は、『5つの宝物』を集めています。私は、何としてでもそれを止めなければならない」
セリスレッド王が、ペンダントを丁重に、アリアの手に戻してくれた。
「噂は本当だったのか。エスト・コルネリアの」
「私はただの、冒険者です」
「あの宰相どもが何やら企んでいる、というのは納得出来んでもない。元々野心のある男だからな。それに、アレックスのところと同様、予にも後継ぎがいない」
そして、笑い出す。
「アレックスの孫で、マクセの子か。トーリス王め。相変わらず油断も隙もない。もしも予が30年若ければ、こういう可愛らしい姫を我が嫁に迎えておったに違いないからな。………もう何十年も昔にどっちの国の女がより美しいかで大喧嘩をしたのが懐かしいが、クリスタグレインの女は格別だった、ということだ」
アリアが、真っ赤になって王を見た。
「そう、あの日も、サーカスが来ていた。おぬしの父がお前の歳くらいの時だ。目をきらきら輝かせながら、予が余興にと呼びつけたサーカス団に、夢中になっておった。後に家出した、と聞かされた時はピンと来たぞ。きっとマクセの奴は、サーカス団にでも入って、世界のどこかで楽しくやっておるのだろう、とな」
当たらずとも遠からずな、セリスレッド王の言葉に、アリアは大きく頷いて、再び王を見た。
「予はサーカスが大好きでな。ふと、久し振りに見てみたくなったのだが……まさか、そんな事になってしまうとは」
「信じて下さるのですね」
「エスト・コルネリアよ。どうしてそれを知った?」
「サーカス団員の少年が、それを立ち聞きしてしまったそうです。彼は偶然、祭壇の部屋にいって『槍』を手に入れてしまいました」
「何だって?」
「今は、サーカス団の皆を救いに向かっています」
「うちの宝物を持って、か……」
王が何やら考え始める。
「あの、王様……」
おずおずと、緊張しながらアリアがそっと言った。
「何かね? クリスタグレインのアリア姫」
「あの、えっと……ちょっとの間だけでいいんです。『槍』を、貸して下さい」
今度は、マエストーソの方が驚く番だった。王も驚いて、アリアを見る。
「何でかね?」
「えっと、その……私達には、それがすごく必要なんです。そうでしょ?」
マエストーソが、頷いた。
「私も、死んだお父さんの夢だったって言うし、それよりも、おじいさんに『楽園』を見せてあげたいし。それに、マエストーソだって、私の事を助けてくれたから、お礼をしないと」
あの時もしも、この不思議な船長が来ていなかったら、自分は今頃、行きたくもない、しかもどうも話を聞いていると、曰くありげなものを感じないでもない、トーリス国とやらに嫁入りする羽目になっていたはずである。
「あと、チャーリーのサーカス団の皆も、助けてあげて欲しいんです。無実の罪を着せられて処刑されちゃうなんて……」
セリスレッド王が笑う。
「宝物はな、持ち主を選ぶらしい」
「え?」
「この王宮に置いておいても、まあ、役には立つまい。予はあまり、興味がないからな。心優しいクリスタグレインの姫よ。『槍』は、お前さんに貸してやろう」
「本当ですか!?」
「予がもっと若くて、そして王様でなかったら、きっと予本人が、あの『槍』を手に『楽園』探しをしていたのだろうがな。だがまあ、今の予は、この国があれば十分だ。冒険は、若い者に任せる」
王がアリアの手を取って、言った。
「その方が、どうも面白い事になりそうだからな。予は、面白いことが大好きな性質でな。わかるだろう? エスト・コルネリア船長」
マエストーソが、微笑む。
「あなたのお話はよく、母から聞かされましたよ。きらきら輝く王宮に、華やかなサーカス、大きなお髭の王様に部屋一杯のお菓子とおもちゃを貰った、と」
「そうだったな。予も、あの小さなレディは、よく覚えているぞ。美人の顔は忘れないものだ」
不思議そうな顔をしているアリアを見て、そして、その隣の船長を見て、セリスレッド王が愉快そうに笑う。
「男たるもの、少しは謎があったほうが魅力的、と言うではないか」
「そうなの?」
思わず聞き返すアリアに、
「今度久し振りに、アレックス、お前の祖父に手紙を書くとするか」
彼はそう言ってから、今度はマエストーソに言った。
「『槍』を渡せ、という交渉が来るかもしれぬ、トーリス国から」
「クリスタグレインの姫を人質に取った大悪人がやって来て、王宮から盗み出していった、とでも答えておいて下さい」
「本当に良いのか」
「変わりません。あの国から追っ手が来る事は」
「そうだろうがな……」
「それと、宰相にお気をつけて。彼らからは、何も受け取ってはなりません。特に、赤い宝石は決して近づけないように」
アリアとセリスレッドの王が、目を丸くする。
「それが呪術、とやらか」
「ええ。決して、侮らないで下さい。命に関わります。もしも、あなたがお持ちの宝石の中に赤い石がありましたら、出来るだけ早く処分してください」
片目だけの、真摯な視線を受けて、セリスレッド王はマエストーソに言った。
「信じよう」
そこに、外から足音が近づいてくる。
「では、行きましょう、アリア」
「そうね。見つかっちゃったら大変だもの」
王が笑う。
「気をつけて行くのだぞ、姫よ。きっと色々と、波乱万丈な旅路になるだろうがな」
「本当にありがとうございます、王様。おじいさまにも、私からよろしくって伝えてください」
本当は明日の朝に早速手紙を書いて、色々と聞いてみよう、と思っていつつも、アリアは再びお辞儀をする。
「サーカス団の事はまかせておくと良い。また明日も、十二分に楽しませてもらう予定だった事だ。処刑されてしまってはかなわぬ」
いたずらっぽく王が笑い、彼女達二人を促した。二人が、窓の外の飛行船の甲板に飛び移る。王が最後に、マエストーソに言った。
「お前さんの母親のあの、類まれなき金色の美しい髪にかけて、予は、秘密を漏らさぬ男だ」
マエストーソが、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「母の自慢の髪でしたよ。エドモンド王、あなたにも、幸運がありますように。お元気で」