悪魔が悪魔たる由縁
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──悪魔が悪魔たる由縁
凪との契約を提案するベルフェゴール。
「俺にその小僧を庇護しろ、ということか、ベルフェゴール?」
サタンが黒煙を吐きながらベルフェゴールにそう尋ねた。
「その通りです。彼にサタン様の庇護を。彼は地獄に関心を示しています。しかし、ただの人間にとっては地獄は危険な場所。下手をすると貴重な人材がどこかの悪魔のデザートになってしまいます」
「それで俺にこの小僧と契約しろというわけか。くだらん」
ベルフェゴールの提案にサタンが首を横に振る。
「なぜ俺が素質があるとはいえ、ただの小僧が地獄をうろつくためだけにお名前を貸してやらねばならんというのだ。貴様のものであるならば、貴様が名前を貸してやればいいだろうが」
「いえいえ。私だって一方的に利益を得たいわけではありません。この話はサタン様にとってもメリットのあるお話なのです」
「それはなんだ? 言ってみろ、ベルフェゴール」
サタンがベルフェゴールに尋ねる。
「この少年はあなたであろうと地上に呼び出せるでしょう。神と天界が課したあらゆる制約を無視して。あなたが契約なさればそれはもう確実です」
「ほお。面白い話になったな。俺が自由に地上を歩き回れる、ということか?」
「その通りです」
目を細め、顎をさするサタンに向けてベルフェゴールがにやりと笑った。
「なるほどな。そういうことであれば、契約してやろう。俺の庇護をこの小僧に与えてやる。この小僧がどこにいようとこの小僧は地獄の皇帝たる俺の名において守られる。それでいいのだな?」
「ありがたく思います、サタン様」
ベルフェゴールはサタンが述べた言葉に頭を下げた。
「さて、小僧。貴様の名前は? 言え」
「九十九凪」
「凪、か。俺の加護が得られる人間など滅多にいない。俺の名を騙る悪魔どもは大勢いて、それが契約することはあるが、俺は浅ましい人間などとは契約しないのだ。だが、今回は例外だ。貴様と契約してやる」
「分かった」
サタンが低い声で告げるのに凪は特に恐れることもなく頷く。
「大した度胸だ。俺を目の前にしても怯えて取り乱すこともないとはな」
凪の様子を見てサタンがくつくつと笑う。
「それでは晩餐会の席でお待ちしております、サタン様」
「ああ。行け」
サタンが言い放ち、ベルフェゴールたちが退席する。
「あれがサタン……」
「どうでした? さほど驚いてはいないようでしたが」
「ちょっとびっくりしました。けど、怖くはないです。僕は彼となんの契約を?」
凪が疑問に思っていたことを尋ねる。
「あなたはサタン様のために力を振るい、サタン様もあなたのために力を振るう。サタン様は古典的な悪魔の契約を嫌っていますから」
「古典的な悪魔の契約というと魂をと……」
「願いを叶えたら魂を貰う。古典的な悪魔の契約ですが、サタン様は人間の魂などに何の価値も見出しません。あの方は手に入れたければ力尽くでそれを手に入れるのですから。だから、あなたがあの方に提供するのもは別のものです」
「となると、何を彼に与えれば彼は満足するんですか?」
契約は契約者と悪魔が相互に与え合うことで成立する。もっとも悪魔の契約というものは天秤が釣り合う公平なものではない。
「面白くて、楽しめること。サタン様を楽しませればそれでいいのですよ」
ベルフェゴールは何ということでもないというようにそう言う。
「それはそれで難しそうです」
「やり方を教えておいてあげますよ。コツが分かれば簡単なことです」
そこでベルフェゴールが足を止める。
「他の七大君主たちに自慢するのもいいですが、そろそろあなたの願いをかなえてあげないといけないですね。私はあなたは自分ために利用したばかりですし、ね」
凪に向けてベルフェゴールがそう言い、首を少し傾げる。
「何を望みますか、凪さん?」
「いろいろあってどれから叶えてもらうべきか……」
「急がずともいつでもいいですよ。気が向いたときに言ってください」
凪は何を叶えてもらうのかを考えていた。
「今日はパーティーを楽しんでいってください」
全てが順調に進んでいるかのように思えた。
凪は母が留守の間にちょっとした冒険をし、黒魔術を得て、地獄の皇帝であるサタンと契約を果たした。地獄を巡るという楽しい冒険はこれからも続くと、そんな風に思っていたのである。
だが、凪の考えは甘かった。
相手は悪魔なのだ。しかも、恐ろしい地獄を統べる七大君主なのである。
願いは歪められ、堕落を誘う罠となる。
凪が地獄からまた日常に戻ったある日のことだ。
「ただいま、凪。遅くなってごめんね」
「お帰り、お母さん」
凪の母は相変わらず仕事が忙しく、帰ってきたのは22時過ぎだった。凪は宿題をしていたものの食事はまだだ。
「凪。今日は食べに行きましょう。ファミレスだけどたまにはいいでしょう?」
「うん。食べに行こう」
帰ってきた母はいつもとは少し違った雰囲気だった。いつもはピリピリとして声もかけにくいような雰囲気だったのに、今日は遅くなったとは言えど凪のことを気にかけてくれている。
「実はね。これからもう少し早く帰れるようになるかもしれないの」
「本当?」
「本当。新しい人が入って、余裕が生まれたから。それに母さんもキャリアが積み重なって平ではなくなったし。責任は増えるけどその分お給料も上がるから、これからはもっといい暮らしができるから」
「これからはもっと一緒にいられる?」
「ええ」
自動車でファミレスに向かいながら凪の母がそう微笑む。
「よかった。嬉し──」
激しい衝撃が突然ふたりを襲い、金属の割れる音や悲鳴が響く。
凪はそこで一度意識を失いかけたが、彼は潰れた車の中に血まみれの母がいるのを見た。そして、車を覗き込んでいる何かに気づいた。
「これで面白く、楽しくなりましたね?」
その何かが発した声は凪の知っている声のような気がしたが、凪はそこでついに意識を失った。その声の正体を知ることもできず。
そして、彼が目覚めたとき、白い照明が眼に入った。
「あ……」
目は覚めたが、体は動かない。というよりも、体の感触がない。
「ふわあ。凪さん、この度はお悔やみ申し上げます」
そこで現れたのはベルフェゴールだ。彼女は何ということもないというように姿を見せ、ベッドに横たわっている凪を見下ろしてきた。
「何が……」
「事故ですよ。交通事故です。日本ではさほど珍しいことでもないでしょう」
「お母さん……」
「残念です。亡くなられました」
ベルフェゴールは悲しいというように目を押さえてそう言う。
「さて、こんな時に申し訳ないのですが、願いを叶えておきませんか? 正直、あなたはそう長くは持たないだろうと担当の医師は判断しているようなので」
「死ぬの……」
「ええ。死にます。その前に願いをどうぞ?」
ベルフェゴールはそう言って凪に顔を近づける。
「次に生まれたら……主役になりたい……」
「ほう? 主役に?」
「うん……。誰にも無視されないし、誰よりも弱くもない……。そして、必ず物語のハッピーエンドを迎える……。そんな物語の主役に……なりたい……」
「面白いですね。あなたはやはり素晴らしい。では、その願いを聞き届けましょう」
凪の願いにベルフェゴールは満面の笑みを浮かべ、凪の意識は再び途絶えた。
今は暗闇が支配している。
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