地獄の皇帝
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──地獄の皇帝
「貴様は妙にベルフェゴールと仲が良かったようだな?」
「ああ。まるで彼女は私の母になろうとしていたかのように親切で、親しくしてくれたよ。──ある時点までは、ね」
「ほう」
「話を続けよう」
アレックスは話を続ける。
凪は黒魔術を急速に学び取っていた。
ベルフェゴールという偉大な師を得た凪は毎日のように地獄を訪れて黒魔術を学ぶ。ベルフェゴールは嫌な顔ひとつせず、親切に凪に教えを授けた。
「もうかなりのものですね。流石は私が見込んだだけはあります。あなたはもうすっかり一人前の黒魔術師ですよ」
凪の成長にベルフェゴールがそう褒めた。
「もっともっと学びたいですけど、その前に地獄を見て回りたいです」
「ええ、ええ。是非ともそうしましょう。窮屈な勉強ばかりでは退屈してしまいます。楽しいことも必要です」
凪が言うのにベルフェゴールが頷く。
そして彼らは地獄を見て回ることに。
「多くの聖典が地獄について記してきました。だが、多元宇宙に広がる地獄において共通の認識が可能な空間などほとんどありません」
ベルフェゴールはそう言いながら廃墟となった街並みが広がる地獄を歩き、凪はそれについていく。凪は興味深そうに地獄とそこにいる悪魔たちを見ていた。
「地獄というものは全ての多元宇宙の根底に存在するもの。神がいればその敵対者が存在して地獄がある。どのような異世界に向かおうとそこに地獄はあるのです」
「異世界?」
「ええ。あなたは地球という惑星が存在する世界に暮らしていますが、この広大な宇宙は宇宙そのもの分裂していて、様々なものを含んでいるのです。あなたがアニメや漫画で見た剣と魔法のファンタジーな世界だってありますよ」
「凄い。行ってみたいなあ」
「いつか案内してあげますよ」
異世界は夢のある場所だと凪は思っていた。自分が主役になれる世界であり、冒険に満ちた生活が待っている。地球とは、日本とは違う場所だと。
「さて、地獄においては階級が存在します」
ベルフェゴールは通りに止めてあったレトロな雰囲気の高級自動車に乗り込みながら凪にそう言う。古き良きフォード・モデルTに似た代物だ。
車体に貼られたステッカーには『ほぼ居眠り運転中』と書かれている。
「下はカースト外の下層民。上は地獄の皇帝として君臨する大悪魔。あなたにもそろそろ私以外の上級悪魔について教えてあげなければなりませんね」
「どんな人たちなんですか?」
「とても愉快な人たちです」
ベルフェゴールがハンドルを握り、車はエンジン音を響かせながら地獄を進む。
「前にも言ったように地獄には七つの大罪を司る七大君主が存在します」
「“傲慢”のルシファー。“嫉妬”のレヴィアタン。“強欲”のマモン。“暴食”のベルゼブブ。“肉欲”のアスモデウス。そして“憤怒”のサタン」
「そう、ちゃんと覚えていましたね。偉いですよ」
「彼らに会うのですか?」
「ええ。私の客人ということであなたを紹介しましょう。これから大きなパーティーがあり、そこに七大君主が揃います。あなたを紹介するにもは持ってこいの場となりますね。今日はまずパーティーに相応しい服を準備しましょう」
ベルフェゴールが運転する車はそこである商業施設の前で止まった。ガラス張りのエントランスがあり、そこに服を着たマネキンが並んでいる。
「ここは?」
「服屋ですよ。さあさあ、パーティーにはそれに相応しい格好で。私もあなたを他の君主たちに自慢したいですからね」
そう言ってベルフェゴールは凪を店の中に連れていく。
「これは、これは、ベルフェゴール陛下。ようこそいらっしゃいました」
店内に入ると整ったパンツスーツ姿の女性が歩み寄ってきた。正確には女性ではなく女性の姿をした悪魔であり、頭にはヤギのようなねじ曲がった角がある。この悪魔はサキュバスだ。
「この子のために正装を。大きな晩餐会に連れていくのでいいものを頼みますよ」
「畏まりました。こちらへどうぞ」
凪は店員に案内されて店の奥に進み、試着室に通された。
「これはどうでしょう?」
「ふむふむ。悪くはないですが、もっと華がほしいですね」
「では、こちらを」
「ほうほう。いい感じです。下はこれに会わせてください」
あれこれ服をとっかえひっかえされながら凪の晩餐会のための服が選ばれた。
最終的には子供服ながら立派なスーツ姿に。チャコールグレーのスリーピースで赤い蝶ネクタイをしたもの。高級そのもののスーツで、しわひとつない立派な装いだ。
「これ、似合ってますか? こういうのは初めて着るんですけど……」
これまで七五三は経験したこともなく、小学校の入学式だろうと普通の服で過ごしてきた凪が心配する。
「心配せず。似合っていますよ。なかなかいい男です。では、行きましょう」
ベルフェゴールはそう言い、再び車に乗ると地獄の通りを駆け抜けた。その進路方向に巨大な建物が見えてくる。
「あれは?」
「マモンの城のひとつです。“強欲”を司るマモンはいくつも城を持っていて、どれもが地上に存在するどんな宮殿より豪華なのですよ。いつも彼女の城で晩餐会は開かれます。そして、今回は重要な客人がいます」
「それは誰?」
「サタン様自らがいらっしゃるのです」
マモンの巨大な城に迫りながら、ベルフェゴールは凪ににやりと笑ってそう言う。
「サタン様はいつもは地獄の最下層たるコキュートスに閉じ込められています。ですが、時折地獄の中を歩き回れるときが訪れるのです。それがまさに今回。サタン様をもてなすために地獄中が大忙し。怠惰なベルちゃんですら働いてしまいます」
「サタン……。地獄の皇帝……」
「あなたのことをきっとサタン様は気に入りますよ」
凪が呟くのにベルフェゴールはそう言った。
車はマモンの眷属たるゴブリンとルシファーの眷属であるグリフォンが守る門を潜り、城の中へと入る。
城のエントランスにベルフェゴールは車を止め、ゴブリンに駐車場に車を止めておくようにとカギを投げると、そのまま城の中に入った。
「サタン様はもう?」
「ええ。お着きです、ベルフェゴール陛下」
「では、行きましょう。案内を」
「畏まりました」
今回の晩餐会を担当しているゴブリンたちがベルフェゴールの問いに答え、ベルフェゴールたちを案内していく。
「こちらです、陛下」
「どうも。行っていいですよ」
そして、ベルフェゴールと凪は巨大な扉の前に立った。奥からは濃い硫黄の臭いがする。地獄ではありきたりの臭いが、この扉の奥ではさらに濃い。
ベルフェゴールはその扉をゆっくりと開いた。
「ベルフェゴール。貴様が一番に来るとはな。“怠惰”の大罪を司る貴様が一番に」
巨大なドラゴンがそこにはいた。
巨大だどこまでも巨大な赤い鱗のドラゴン。それが不愉快そうに黒い煙を漏らしながら、赤と黄色の爬虫類の目で凪たちを睨むように見つめてくる。
これがサタンだ。最強最悪の大悪魔にして地獄の皇帝その人。
凪は思わず息をのんだ。
「ふわあ。サタン様、再び自由になれたようで何よりです」
「ほざけ。おべっかを使いに来たわけではあるまい。怠惰であるはずの貴様が忙しくしているのは大抵ろくでもない理由からだ。だが、俺はそういう貴様が企てるような腹黒く、そして邪悪なことは嫌いではないぞ」
「おやおや。酷い評価です。私だっておべっかくらいは使いますよ。ともあれ、今回は確かにおべっかを使いに来たわけではありません。人を紹介に来ました」
「ほう。そのガキか?」
サタンがその長い首をゆっくりと下ろし、凪の前に顔面を近づけた。
「私が見つけた逸材です。彼がなんと正規の魔導書なしで地上に私を召喚しました」
「それは確かに面白い人材だな。まさか大悪魔の貴様をいかにもな素人が、か。だが、制約はあったのか?」
「何も。何もないのです。制約は存在しませんでした」
「ははっ。なんとも愉快だな。忌々しい神が見つけ損なった抜け穴のひとつか。前にこういうのがあったのは……ソロモンのときか?」
「ええ。あの魔術師ソロモン王のときと同じ、いや、それ以上かと」
凪もソロモン王のことは聞かされている。悪魔を自在に使役した偉大な魔術師だと。
「大したものだ。それで、その小僧を俺に献上しに来たのか?」
「残念ながら、いいえです。これはあくまで私のものですから。あげません」
「ふん。いちいち苛立たせる奴だ。では、俺に何を提案したい? ただのくだらぬ自慢か? マモンが財宝を見せびらかすような」
「提案はひとつ。サタン様とこの子の間で契約を結びたいのです」
ベルフェゴールはそうサタンに告げた。
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