悪魔たちの宴
……………………
──悪魔たちの宴
「ああ。そう言えば貴様を地獄に呼んだのはベルフェゴールの奴だったな」
アレックスの話を聞いて思い出したようにサタナエルが言う。
「ああ。彼女に案内されて地獄を巡ったよ。地獄は私にとって素晴らしい場所だった」
アレックスはそのときのことを思い出すように目を細めた。
「話はまだ続くんだろ。続きを話せ」
「私はベルフェゴールに連れられて彼女の城を訪れた。彼女は私を歓迎してくれ、私は彼女から与えられるものを楽しんだ」
アレックス──凪はベルフェゴールに地獄を案内してもらい、まずは彼女の王国を見て回ることにしたのだった。
「さあ、今日もパーティーですよ、凪さん。この地獄ではいつもパーティーが行われているのです。パーティーは楽しいですからね」
凪の最初の歓迎からその次の訪問でもベルフェゴールの城では盛大なパーティーが開かれていた。
テーブルには食べきれないほどのごちそうが並び、悪魔たちは愉快な音楽を奏で、踊りを踊り、興奮して喧嘩を起こし、アルコールやドラッグを楽しんでいる。
「悪魔たちもパーティーが好き?」
「ええ。悪魔たちは楽しいことが好きなんです。悪魔は自分の欲求にとても素直なのですよ。楽しいことや嬉しいこと、そして気分がよくなることはいくらでもやっていいと、悪魔たちはそう考えています」
「いいですね。やっぱり僕は悪魔たちが好きです!」
「それは何より。さあ、ごちそうをどうぞ」
「はい」
凪はこれほど美味しいごちそうを食べたことがなかった。もっとも記憶に新しい美味しいものは母が休みの日に一度作ってくれたオムライスだ。それだけである。
巨大な豚の丸焼きも、香ばしい揚げ物も、熱々のパエリアなどの米料理も、甘いデザートも何でも食べ放題。凪はお腹がいっぱいになるまでベルフェゴールの宴で出された料理を味わった。
「凪さん。地獄にはいろいろなものがあります」
ベルフェゴールはワインのグラスを揺らしながらごちそうを頬張る凪に告げる。
「まず知っておくべきは地獄の支配者たちでしょう。地獄には七大君主というものが存在します。私も“怠惰”のベルフェゴールとしてその一角にいますが、他の君主たちをご存じですか?」
「いいえ。どのような悪魔たちなのですか?」
「“傲慢”のルシファー。“嫉妬”のレヴィアタン。“強欲”のマモン。“暴食”のベルゼブブ。“肉欲”のアスモデウス。そして“憤怒”のサタン」
ベルフェゴールが恐ろしい地獄に君臨する七柱の君主たちについて述べた。
「彼らもいずれ紹介しましょう。私よりも恐ろしく、邪悪な存在ですが、邪悪なものを好むあなたならばきっと気に入りますよ」
「楽しみです」
「彼らはそれぞれ大罪を司っています。例えば私は“怠惰”の大罪を。私は怠け者のベルちゃんとして、そして癒し系アイドルのベルちゃんとして有名です。私の歌を聞くとどんな働き者でもさぼってしますのですよ」
「アイドル?」
「そう、アイドルです。私はアイドルというものが気に入っているのですよ」
アイドルは偶像であるがゆえにとベルフェゴール。
「そんな怠惰なベルちゃんがどうしてあなたをここまで歓迎しているか。その理由が分かりますか?」
「えっと……?」
「あなたには才能があるからです。地獄の悪魔たちを従えるような、今は秘められた才能が。その才能を芽吹かせたいと私は思っています。あなたの存在はきっと私にとって良いものになるでしょうから」
本来ならば“怠惰”の大罪であるベルフェゴールが率先して動くことはない。彼女はその司っている大罪に相応しい怠惰な悪魔なのだ。
そのベルフェゴールが最初に動いたというのは大きな理由があるはず。彼女は怠惰であると同時に恐ろしく計算高いことでも知られているのだ。
「どんな才能があるんです?」
「悪魔を恐れず、地獄を恐れない。それはあなたの中に、その魂に刻み込まれた才能が影響しているのです。あなたはいずれ大きな存在となることは間違いありません。そのためにはまずこれを差し上げておきましょう」
ベルフェゴールはそう言って一冊の本をどこからともなく取り出した。
「本物の魔導書ですよ。あなたは魔術について学ぶべきです。それも悪魔たちの力を借りる黒魔術を覚えるべきです」
「黒魔術……!」
ベルフェゴールの言葉に凪は期待したような視線を向ける。
「知りたい! 黒魔術を使えるようになりたいです! だって、それって凄く悪いことなんですよね!?」
「そう、とても悪いことですよ。あなたは悪いことが好きみたいですから、黒魔術のことも好きになれますよ。それにあなたには才能があるので大成するでしょう」
「楽しみです!」
ベルフェゴールは優し気にそう言い、凪は受け取った魔導書を眺める。
「後で読み方を教えてあげますね。今日はパーティーを楽しんでいくといいですよ。他にやりたいことがあればそれでも構いませんが」
「黒魔術を覚えたら地獄を歩いて回りたい。地獄にいる悪魔たちをもっと知りたい!」
「ふむふむ。その勤勉さはいささかベルちゃんとは相性が合いませんが、まあいいでしょう。では、先に黒魔術について学びますか。魔導書の読み方というものについてレクチャーして差し上げますよ」
「やった!」
そして、凪は黒魔術についてベルフェゴールから学び始めた。
「そもそも魔術というのは何なのか?」
ベルフェゴールがマホガニーに似た木材を金箔で飾り、凝った細工を施したテーブルに凪をとともに向かい合って語る。
「魔術とは一種の自己表現であり、願望の達成であり、そして現実改変。魔術は人間の欲望を叶えるために、人間の欲望を力とする超常の力です。その欲望が強ければ強いほどその力は増すのですよ」
「魔術ならばどんな願いも叶う? それだと悪魔は……」
「悪魔もまた魔術師です。ただし、我々悪魔には悪魔の欲望があり、その欲望の中には人間の願いを叶えるということも含まれているのですよ」
「ふむふむ」
ベルフェゴールが魔術について教えるのに凪が魔導書を見ながら頷く。
「そして黒魔術ではその人間の願いを叶えるのは、その悪魔なのです。黒魔術が何かといえば上手く悪魔を使うための手段とでもいうべきでしょう」
「僕がベルフェゴールを召喚したみたいに?」
「そうです、そうです。あれもまさしく黒魔術でした。あなたには才能がありますよ。他の黒魔術だってすぐに覚えられるでしょう。将来の成長が楽しみですね」
凪が首を傾げるのにベルフェゴールが笑顔で拍手を送る。
「魔術とは意志の力、欲望の力です。そこに法則性はなく、そこに定量化されたものは存在しない。人間の数だけ魔術は存在します。だって、人の欲望とその欲望を達成する手段は千差万別ですからね」
ここで凪は魔術が科学と呼ばれない所以を聞いた。
「その欲望を悪魔に説明するための手段もいろいろです。私のような上級悪魔ならばともかく下級悪魔になると人の言葉が通じません。そんな彼らにどうやって自分の欲望を伝えるのか。分かりますか?」
「絵に描いてみる、とか?」
「惜しいですね。重要なのは記号です。記号によって自分の欲望を簡易化し、悪魔に伝える。記号とは絵のようなものですが、ただの絵より意味があります」
ベルフェゴールはそう説明を続ける。
「日本語の漢字の一部が絵から生まれたことは知っていますか?」
「聞いたことはあります。しょーけーもじ、だったかな……?」
「そうそう。象形文字です。あのような絵でありながら名前を示すもの。それが黒魔術における記号と同じなのですよ」
象形文字。絵から生じた文字であり、古代エジプトにおけるヒエログリフや日本語の太陽の形から『日』の漢字が生まれたようなものを指す。
「言葉の分からない悪魔に欲望を伝えるためには、記号を使うのです。絵のように分かりやすい記号でシンプルに願いを伝える」
ベルフェゴールがそう言って魔導書を指さす。
「魔導書も記号のひとつです。魔導書は悪いものを連想させます。邪悪な知識や知るべきではない物事について人々は想像し、悪魔もまたそのような想像を抱くのですよ」
「なるほど……」
「他にも生き血や動物の死体、逆さ十字に縁起の悪い数字など。これらは記号として悪魔に自分の悪しき欲望を伝えるためのものとなります。魔導書にはこの手の記号について詳しく書かれていますよ」
ベルフェゴールはこのように黒魔術について凪に伝えていった。
そして、凪は急速にそれを学んでいった。
……………………