アリス・ハントという少女
本日5回目の更新です。
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──アリス・ハントという少女
アレックスたちは新入生合宿は終えて学園生活を始めた。
同じ学年で、同じクラスと言えど授業制度は大学に近いために学友たちといつも同じ授業を受けるわけではない。
ただ、必修科目だけは決まった学友たちと一緒に受けることになる。
「やあ、エレオノーラ。学園はどうだい?」
「問題ないよ、アレックス。すべて順調です。そっちは?」
「まあまあかね」
アレックスとエレオノーラも受ける授業は普段は異なっているが、必須科目であるいくつかの授業については同じだ。
今日は丁度、必須科目の古代言語学の授業でアレックスはエレオノーラと席を並べて授業を受けることになっていた。
「さて、授業を始めよう。席についてください」
古代言語学の担当はアレックスたちの学年の副主任でもあるジョシュアで、彼はあまり教えることには興味がなさそうにやる気なく授業をやっていた。
「知っているかい、エレオノーラ。噂によればジョシュア先生は帝国でも有名な古代言語学の研究者だそうだ。これは私が手に入れた彼の書いた研究をまとめた著作。既に読んでみたが興味深いものだった」
「ふむふむ。『言語と思想の歴史──言語はいかにして世界を定義したか──』と。へえ。この授業よりは面白そう。この授業は教科書を読んでるだけだから」
「思うに彼は無知なるものを相手にするのは趣味じゃないんだろう。自分と同等の人間と話すのではなければ時間の無駄、かね」
「まあ。どうして教師になったのやら」
後ろの方の席でアレックスとエレオノーラがそうこそこそと話すのにジョシュアがわざとらしく咳ばらいをして注意を惹く。
エレオノーラはすぐに口を押えてそそくさと教科書の方を向き、アレックスはジョシュアに頭を下げて見せた。
「そうだな。うん。誰かにこの文章を訳してもらおう。さて……」
自分の授業の欠点を指摘されたせいか、いつもと違うことをジョシュアは始め、そして教壇から生徒たちを見渡す。
「では、そこの君。君の名前は?」
「あ……。その、アリス・ハントですが……」
「では、ハント君。この文を現代の言葉に翻訳してくるかい?」
当てられたのはアレックスとエレオノーラではなく、アリスだ。前にアレックスと会話したことがある黒髪の暗い印象を受ける少女である。
「えっと。何語がいいのでしょうか……?」
「このような学術的な場の場合、使用される言語は現代中央語とされる。君たちが将来書くことになる卒業論文もそれで記すことになる。これから常識となるので覚えておくといいだろう」
「は、はい。すみません」
そこでくすくすと周囲が笑うのが聞こえた。
この大陸にはいくつもの言語が存在する。
その中で現代中央語は多国間の外交会議や国際的な学術の場で使用される一種の覇権言語だ。イオリス帝国でも公用語のひとつになっている。
そして、それを知らなかったアリスは黒板の前に立ってジョシュアが示した古代言語で記された文章の現代語による翻訳を記していく。
「で、できました……」
「うん。合っているよ。よくできたね。席に戻っていいよ」
アリスがやったことは特に授業には結びつかなかった。ジョシュアも思い付きでやってみただけで、どう繋げていいのか分からなかったようだ。
「あのアリスって子、玩具屋の娘なんだって」
「へえ。玩具屋がなんでここに?」
「さあ? 新しい玩具でも作るんじゃない?」
またどこからともなくひそひそと話声が聞こえるが、ジョシュアはもう面倒になったのか注意もせずに授業を進める。
そして時刻を知らせる学園の時計台の鐘が響いてきた。
「はい。では、これで終わりです。えっと。今日やったところはテストに出ますので、ちゃんと教科書を読み直しておいてください。以上」
誰よりも授業が終わるのを待っていたかのようにジョシュアはすぐに教材を纏めると教室から出ていった。
「エレオノーラ。君は次の授業は?」
「私は精神学を。前にあなたから魔術と意志の話を聞いてから興味があったので。アレックスは?」
「私は物理学だ。何でも過去問を覚えておけば簡単に単位が取れると噂だったのでね」
「まあ。不真面目ね」
「効率重視と言ってほしい。よければ次の授業が終わったら、お昼を一緒にしないかな? サタナエルは今日は休みでね」
「ぜひ。食堂で待ってる」
「ありがとう!」
今日はサタナエルはいろいろと都合があって自由行動している。そもそもの話だが、地獄の皇帝であるサタンがこのように椅子に座って、子供と一緒に大人しく授業を受けるのが普通のはずがない。
「私の方もそろそろ動き出したいところだが。さて、どうしたものかね」
エレオノーラと分かれたアレックスはそう呟きながら学園の廊下を進む。
ミネルヴァ魔術学園に入学した新入生たちは既にしっかりと分断されていた。
貴族と平民。社会的なグループと個人的なグループ。その中の小さな派閥。
アレックスがそう言っていたように3人いれば派閥ができるのはその通りであった。
そして、どの派閥にも所属できなかった人間がどうなるのかと言えば──。
「おやまあ」
廊下の前方にアリスがいるのにアレックスが気づいた。
「なあ、玩具屋さん。面白い玩具持ってねえの?」
「私たちも退屈しててさ。何か出してよ」
アリスは数名の生徒に暇つぶしに絡まれており、困った笑みを浮かべている。
「その、玩具はないです……。お、お買い求めならば郵便販売もしておりますが……」
「今いるんだよ。すぐに、な?」
「それはちょっと……」
「これがあるじゃん」
大柄な男子生徒がアリスのカバンに入っていた人形を取り上げた。高級な人形にあるような陶器でなく布製だが、しっかりとした造りで可愛らしい女の子のものだ。
「あ! それは……」
「なんだか子供っぽいな。どうしてこんなものを持ち歩いてるんだよ?」
アリスが取り返そうとするが、男子生徒はそれを友人にボールのようにパスした。そうやってからかうようにアリスから人形を取り上げている。
「やあやあ、諸君! よくない遊びをしているようだね?」
「あいつは……!」
そこでアレックスがそのいさかいの中に現れるのにアリスをからかっていた生徒たちが明らかに動揺した。
「お、おい。あいつは例の暴力女の……」
「え、ええ。関わり合いにならない方がいいよ。行こう」
どうやらアレックスのことはサタナエルという問題児の相方ということで知られているようだ。今日、サタナエルがいないのも彼女が彼女の『本能から来る欲求』を満たすためなのだから。
「ほらよ、色男!」
アリスをいじめていた生徒たちは人形をアレックスに向けて放り投げるとさっさと走り去っていった。
「結構。問題解決だね。さあ、どうぞ。アリス君?」
アレックスが受け取った人形をアリスに差し出す。
「……別に助けてくれなんて頼んでないんですけど……」
「おやおや。自分でどうにかするつもりだったのかな? それは失礼を」
アリスはそう言いながら人形を受け取り、ジト目でアレックスを見た。
「いえ……。そういうわけでは……。けど、お礼は言いませんよ」
アリスはアレックスから人形を受け取るとそそくさと立ち去った。
「ふむ。気難しい女性だ。だが、簡単に懐いてもらっては面白くない」
アレックスはそう言うと廊下を物理学の教室に向けて歩いていく。
「アレックス。暇そうだな」
「サタナエル。君は充実しているようだが、やりすぎは困るよ?」
不意に廊下の角から現れたサタナエルの拳からは血が滴り落ちていた。彼女の血ではないのは言うまでもない。
「ふん。俺は俺の法にしか従わないと言っただろう。それには貴様のいうことも含まれているということを忘れるな。貴様は俺の主人ではない」
「もちろんだ。これから進展がありそうだが、見に行くかい?」
「そっちの好きにしておけ。今は興味がない」
サタナエルはアレックスにそう言うと手を振ってまた姿を消した。
「やれやれ。私の周りの女性は個性派揃いだ」
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