対話の重要性
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──対話の重要性
ジョシュアから密告を受けたというエミリーと話した日の午後。
アレックスはもはや隠れることもなく、ジョシュアに会いに大図書館の隠し部屋へと向かった。堂々と大図書館に入り、ジョシュアに会いに向かう。
「またお前か」
大図書館の隠し部屋では人間の研究者に身分を偽った堕天使たちがいて、アレックスに敵意ある視線を向けた。
「ジョシュア先生に会いに来たよ。彼に話がある。いるのだろう?」
「いるがお前に会うとは約束しない」
「君たちに用はないのだ。ジョシュア先生にしか興味はないのだよ」
「ふん」
堕天使たちはいらだった様子でアレックスを無視することに。
「ジョシュア先生! ジョシュア先生ー! いるのだろう! 出て来たまえ!」
アレックスはそんな彼らを無視し、ジョシュアを呼ぶ声を上げた。
「ああ。アレックス君ですか。まだ決断していませんよ」
ジョシュアは隠し部屋の奥から姿を見せ、何事もないかのような素振りをする。
「その割には私を裏切ることを決断するのは早かったようですな。第九使徒教会の聖騎士に私のことを密告したと聖騎士自身から聞かされましたよ?」
「それは誤解だ。私はそんなことはしていない。きっと聖騎士は探りを入れているのだろう。私のこともマークされていると見るべきだね」
「準備してあったかのように言い訳をしますね」
ジョシュアが告げる言葉をアレックスは鼻で笑った。
「私にとっても聖騎士は友人などではないのだ。リスクを冒して聖騎士に接触するなどありえない。そのことはその利発な頭脳であれば分かるのではないかな?」
「どうでしょうね。そういう考えに至ることを望んで敢えて聖騎士に接触したという可能性も」
「馬鹿馬鹿しいよ。そんな疑いを持つとは。そんな迂遠な計画など推理小説の中だけでしか成立しえない」
あくまで疑るアレックスにジョシュアは呆れたようにそう返す。
「そう言われると返す言葉ありませんね。ですが、そろそろ本心を明かしてほしい。我々の仲間になるつもりなのか、それとも断固として断るつもりなのか。あなたが断固として拒否するならば我々も引き下がることを考えましょう」
「考える、か。言い得て妙だな」
アレックスはジョシュアを諦めるとは決して言わなかった。
「では、条件を出そう。私が君たちの秘密結社とやらに加わるメリットを明白に示してほしい。私にどのような利益があるのを明示してほしいのだ」
「『アカデミー』に加わるメリットはいろいろだよ、ジョシュア先生。黒魔術師同士で議論が行えるし、当局からの保護だって約束しよう!」
「それは結構だ。議論ならばこの『神の叡智』でも行えるし、当局からの保護も必要を感じていない。それよりも私から利益として提示することについて君の能力を見せてはもらえないだろうか?」
ジョシュアは首を横に振ってアレックスにそう提案した。
「ふむ。何をしろと?」
「私にはほしいものがある。ほしいものが手に入るというのはまさに明白なメリットだ。もし、君たちが私のほしいものを手に入れてくれたら、私も君たちの仲間になることを考えよう」
ジョシュアの提案はそのようなものであった。
「おお。大いによろしいでしょう。何が欲しいのですかな?」
「私は魔導書に興味を持っている。世間に出回っている9割は詐欺の代物ではなく、本物の呪いを帯びた魔導書のことだよ。それを手に入れてもらえるだろうか」
「はははっ! それならば任せておきたまえ。我々は少ない数の魔導書を有している。きっとジョシュア先生も満足することだろう」
「いいや。私が求める魔導書を絶対に君たちは持っていないよ」
アレックスが哄笑するのにジョシュアは首を横に振った。
「ん? どうしてそう言い切れるのだろうか?」
「私は既にその魔導書が保管されている場所を知っているんだ。そして、その魔導書はこの世に1冊限り。だから、君たちがそれを持っていることはあり得ない」
「なるほど。その指定する魔導書を我々が手に入れれば仲間になることを考えてもいいと仰るわけだ。いいだろう、いいだろう。どのような魔導書かな?」
「非常に貴重な魔導書だ。この世界の秘密を解き明かす上においての資料的な価値もあるし、魔導書としての価値も大きい。しかし、そこに記されている内容は冒涜的であり、そうであるがゆえに厳重に保管されてきた」
アレックスの質問にジョシュアがゆっくりと語る。
「この世界には我々の知る理では説明できないことがある。未だ科学の理になく、しかし魔術の理になく、まして信仰の理になく、ただただその存在を説明することができないこの世界の暗がりが、確かに存在するんだ」
「興味深い。堕天使であるあなたがそこまで言うのだから確かなのでしょう」
「世界は創造主たる神とそれに敵対する悪魔というシンプルな構図ではないということだね。世の中はもっと複雑であり、深海の暗闇のように恐ろしい」
ジョシュアはそのようなまだ誰も解き明かしていない闇が存在することを少し嬉しそうに語った。
「そもそも私が堕天した理由が、この世界の本当の構図を知るためだった。私は神だけが絶対の存在ではないと知り、もっとこの謎多き世界を知り尽くしたくなった」
「それでこの『神の叡智』を?」
「ああ。知識欲こそが我々の最大の願望であり、唯一の目標なんだ。我々は悪魔たちのように神に報復したいなどと願っていないし、人間に対しても特別な感情はない。ただ、誰にも干渉されず、事実を知りたいだけだ」
アレックスが尋ねるのにジョシュアはそう答える。
「であるならば、そのお手伝いをしましょう。我々としてもそれには興味がある。この世界にどんな闇が潜んでいるのか。ぞくぞくしてくるよ。闇とは人間によって永遠に恐怖であり続けるのだから」
「では、詳細について話すとするかい?」
「ええ。聞きましょう」
アレックスはジョシュアの問いに頷く。
「私が求める魔導書が保管されているのは帝国議会図書館だ。その第66分館に保管されている。第66分館には魔導書や禁書などの危険な書物が多数保存されていてね。以前調べたらここに存在してたよ」
「帝国議会図書館とは」
今の帝国の政治はややこしい状態にあった。
皇帝は4世紀前の帝国を分裂させた宗教戦争の悲劇から中央集権を進めたがり、だが地方の大貴族は中央に支配されるのを嫌った。
皇帝はありとあらゆる手段を使って地方の大貴族を説得し、ときとして謀殺し、あらゆる手段で力を削いできた。新しい法律や政治体制の導入によって反乱を防ぎながら、じわじわと中央に権力を集中させたのだ。
帝国議会というのもその仕組みのひとつである。
帝国議会は一応帝国において責任ある立場の機関だが、現代の地球のように立法・行政・司法の三権分立がなされ、独立しているわけではない。
全ての権力の頂点に立つ皇帝は平気で立法にも、行政にも、また驚くことに司法にも介入し、自らに都合のいいようにする。
帝国議会は基本的に皇帝の決定を追認するだけのことが多く、皇帝の意に反した決議がなされることはまずない。特に戦争や外交においてはほぼ皇帝が決定権を握っていた。この点は帝政ドイツに似た政治環境だ。
帝国議会の役割とは地方の貴族を参加させ、自らに権力があるかのように錯覚させ、意味のない特権を与えて権力欲を満たすためというのが大きい。そもそも帝国議会の投票権はかなり限定されているのだから当然だろう。
そのような帝国議会に付属するのが帝国議会図書館であり、それは皇帝が直接所有するのには問題がある書物を帝国議会の名において収集するというものだった。
「それではそろそろ何という本を持ってくればいいのか教えていただけるかな?」
「私が求めるのは価値あるもの。それは──」
ジョシュアが告げる。
「魔導書『禁書死霊秘法』」
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