『神の叡智』
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──『神の叡智』
「『神の叡智』?」
エレオノーラとカミラが持ち帰った情報をアレックスたちが聞く。
「そう、『神の叡智』のメンバーじゃないと隠し部屋には入れないんだって」
「ふうむ」
エレオノーラが言い、アレックスは考え込んだ。
「恐らくは魔術に長けた集団だろう。私の魅了が抵抗されたからな。あれは事前に魅了などの精神操作に対する対抗手段を植え込んであったと見るべきだ」
「確かに吸血鬼の王族が使用する魅了に抵抗できるというのはただものではない。やはり私が見た通り、ジョシュア先生には引き入れる価値があるというわけだ!」
カミラが推測するのにアレックスがそういう。
魅了などの精神操作に抵抗するには、精神操作が実行された後では遅い。精神操作が一度実行されれば、自らの意志は失われ、意志の力である魔術は自分の思うように発動できなくなるからだ。
抵抗するには事前に攻撃を想定しておくしかない。
だが、これが難しいのは魔術というものがふたつとして同じものがないという点である。精神操作と一言で言っても、その種類は多種多様であり、それでいてその全てに備えなければならない。
魔術を発動させる人間の意志というものが未だに謎が多いものであると同様に、人間の精神も分からないことだらけである。そのような世界の魔術に応戦できるというのは、それだけで恐ろしく高位の魔術師だと言えた。
「私も興味が湧いた。調べるのを暫く手伝ってやる」
「それは助かるよ、カミラ殿下。しかし、これはもう大図書館に乗り込む以外に方法はなさそうに思えてきたよ」
大図書館のスタッフには全員に精神操作に対する抵抗が仕込まれていると思われる。偶然選んだひとりだけに対策が施されているとは思えないからだ。
「よく分からないんだけど、精神操作に対する抵抗でどうやるんだろう? 精神操作って事実上防御不可能だと思うんだけど」
「方法の中でもっともポピュラーなのは精神操作に対する抵抗を意識して行うのではなく、根本的な解決方法を取る」
「根本的な解決?」
「相手に精神操作される前に先に精神操作を仕掛けておくというわけだよ。それによって上書を阻止すれば後発の精神操作は事実上抵抗される」
「あー! なるほど!」
精神操作は相手がまともな精神状態ならば問題なく効果を発揮する。しかし、その相手の精神状況が既におかしかったら?
精神操作に対する対抗手段はそれを打ち消すというものはなく、先に精神操作をかけておくことで後から掛けられる精神操作を不発させること。
「しかし、相当強力な精神操作をかけておかなければ私のような吸血鬼の魅了には逆らえないはずだ。いくら一般的に精神に乱れがあれば精神操作が効きにくくなるとしても、私の魅了は狂人にだって通じる」
「そして、精神操作の魔術というのはあまり一般的ではない。相手の精神をどうこうする魔術というのは道義的に受け入れられにくいからだ。そりゃ、諜報の世界であったりすれば話は別だがね」
「ああ。公に精神操作を研究している魔術師は少ない。大抵は密かに研究されており、そうであるがゆえに研究の進みは遅い」
研究とは大勢の人間が競い合って行う方が発展しやすい。極秘プロジェクトというのは最初から目指すものが決まっているか、あるいは予算が莫大か、そういうものでない限り効率がいいとは言えない。
「魔術は特に意志が云々という話だから、数名の意志だけでは有用な思考が生み出せないというものある。魔術の研究には多くのサンプルが必要だ。極秘プロジェクトではそれが難しくなる」
「千差万別の大勢の意志の中からもっとも有用なものを抽出し、その考え方を広める。魔術は定量化できないけど、方向性をおおよそ定めることはできる。そうだよね?」
「その通りだ、エレオノーラ。魔術の研究はどこまでも広くやるか、あるいはどこまでも長くやるかだ」
「そういえばトランシルヴァニア候は長くやれば芸術のように洗練されると言っていたよ。これは長くやる方?」
「そう、ひとつの思想を極めるという意味では長くやるというのは十分に選択肢に入る。思想とはそう簡単に陳腐化しない。我々の現代の思想の根底にはこれまで先人たちが古代より紡いできた思想がある」
「ただ、それが可能なのは古き血統のような長命の存在であり、普通の人間である私たちには難しい、と。しかし、このことを考えれば公にしていない精神操作の魔術を高度に高めた存在は……」
「古き血統のように生きている」
我が意を得たりとばかりにアレックスがエレオノーラにそういう。
「ジョシュア先生が古き血統ってことですか? 人間の古き血統なんて聞いたことないですよ」
「いないわけではないがね。もっとも古き血統となった時点で既にそれが人間でないとすればそれまでだが」
古き血統はあらゆる種族に存在する。
ただそれが人間となると人間の古き血統というより、人間ではない化け物になってしまうだけだ。
「それにジョシュア先生は古き血統ではないよ。彼はその手の類ではない。だが、彼が長い間魔術に研鑽を重ねてきたのは間違いないだろう。彼個人にせよ、何かしらの秘密結社にせよ」
「集団というわけか。知識を継承する集団がひとつの生命のように振る舞うことはある。そしてそれが『神の叡智』とやらだと」
「そう、カミラ殿下。その可能性はあるし、そうであるならばなおさら彼を引き入れたい。彼は我々より秘密結社に詳しいのかもしれないからね」
カミラが予想したことにアレックスが頷く。
「はへー。秘密結社ですか。……秘密結社ってそんなに普通にあるものなんです?」
「我々が思っているよりありふれたものなのだろう。我々も堂々と秘密結社と名乗るとしようではないか!」
「堂々と名乗ったら秘密結社じゃないでしょうが」
アレックスのこと場にアリスがため息。
「でも、何の秘密結社なんだろう? どういう集まり?」
「それはこれから調べるしかないね。いよいよ例の隠し部屋に踏み込むべき時が来たのかもしれない。大図書館のスタッフも支配下にあるようでは、外からいくら眺めても今以上の情報は手に入らないだろう」
「了解。荒事になるなら任せて」
この中でもっとも戦闘力があるのはエレオノーラだ。アレックスはバビロンがなければただのモヤシである。
「待ってくださいよ。踏み込んで大ごとになるぐらいなら人形に偵察させてからにしません? どうせばれるなら事前に準備してからばれた方がよくないです?」
「そういう考えもあるが、いささかまどろっこしい! 我らが友人がそういうのは気に入らないという顔をしているのでね」
「え? 誰が──」
そこでバンと扉の開かれる音がした。
「まだジョシュアを捕まえていないのか?」
「やあ、サタナエル。これから踏み込むつもりだよ」
不機嫌そうな顔をして現れたのはサタナエルである。彼女はまだ全然物事が進んでいないことに酷くいらだっていた。
「ならば手を貸してやる。どこに踏み込む?」
「大図書館」
「ああ。あの陰気な建物か。派手にやるぞ」
サタナエルはにやりとそう笑った。
「あー。こうなるんですねー」
「いいではないか。面倒が少なくて、な」
アリスが途方に暮れた表情でそういい、カミラは肩をすくめた。
「じゃあ、行こう!」
「ああ。いざ大図書館へ!」
エレオノーラの言葉にアレックスが号令をかけた。
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