ラボラット
本日4回目の更新です。
……………………
──ラボラット
アレックスとサタナエルの下に脅迫状が届いたのは翌日のことであった。
既に合宿開始から3日が過ぎ、全4日日程の合宿はほぼ終わろうしていたころだ。
「ややっ。みたまえ、サタナエル。古典的な脅迫状だよ」
「で、中身は?」
脅迫状は合宿所のアレックスの部屋のドアに挟まれていた。
出所を特定されないように自動執筆魔術で記され、合宿所に備え付けの便箋に入れられた脅迫状をさぞ愉快そうにアレックスが掲げ、サタナエルがそう尋ねる。
「平民生徒のひとりを預かっているから私に来いと言っているよ。なんともまあ無計画の極みみたいな代物だね。私とこの生徒は上げるとすれば同じクラスというぐらいしか接点がないのに」
「それでも行くんだろう? 俺も暴れ足りない。最近はお上品に過ごしすぎている。ちっとは暴れさせろ」
「まあまあ。今回は実験を行わなければいけないのだよ。協力してほしい」
「ふん? それには興味があるが、一匹、二匹は殺してもいいだろう?」
「君の忍耐力のなさには感服させられるよ。いいだろう。君にも玩具を与えよう」
サタナエルが要求するのにアレックスが渋々というようにうなずいた。
「さて。では、早速だが間抜けな彼らのご招待に招かれるとしよう」
アレックスがそう言って合宿所の部屋を出たときだ。
「アレックス。あの、何かトラブル、かな?」
エレオノーラが部屋の前で待っていた。
「エレオノーラ! どうしてそう思ったんだい?」
「昨日貴族の子たちともめてたでしょう? その生徒たちがここに来てたから何か君にちょっかいを出したんじゃないかなって思って。私でよければ力になるよ?」
「気持ちは嬉しい。とても嬉しい。だが、これは私が招いたトラブルだ。私が責任を取らなければならない。すまないね」
「分かった。けど、気が変わったらいつでも言って。手を貸すから」
「ああ」
エレオノーラはそう言って少し心配そうな視線を向けたのちに立ち去る。
「ほうほう。あの女、貴様に好意を寄せているようだ。遊んでやったらどうだ?」
「いずれはね。けど、私は正直好き勝手に生きた無謀な人生の、その一番最後まで私に付き合ってくれた彼女に不快な思いをさせたくはないんだ」
「随分と義理堅いな。貞節というやつか。下らん価値観だ」
「自分でもそう思うよ」
慎むという行為は悪とは真逆であるとアレックスも認めた。
「さて、行こうか。彼らは我々を待ちわびていることだろうからね」
アレックスはそう言うとサタナエルを連れて指定された合宿所裏の森へと向かう。
うっすらと雪がまだ残るドラケン山の森の中アレックスたちはに入り、それからやや森に踏み入った場所へと入った。
「来たか。ビビってこないかと思ったぜ」
そこではアレックスとサタナエルにボコボコにされた貴族の生徒を始めとして、10名前後の貴族の生徒たちがいた。全員が魔術師として杖を持って待ち構えている。
「不幸な生徒を解放してもらえるかな、ならず者諸君。私が君たちが望んだようにここに来たのだ。貴族は約束ぐらいは守るものだろう?」
「ふざけやがって。ボコボコしてやるよ。覚悟しやがれ!」
アレックスの言葉に貴族の生徒たちは完全に頭に血が上った状態でアレックスとサタナエルに向けて襲いかかり、攻撃の刃が振り下ろされる。
「敵を焼け!」
短い魔術の詠唱とともに出現した火属性のそれが主力で、それらは容赦なくアレックスとサタナエルに向けて叩き込まれた。
火炎弾がグレネードランチャーの砲弾ように飛翔と爆発を繰り返し、砂ぼこりで見えない。ただ、激しい殺戮の嵐だけが吹き荒れている。
「やったか!?」
それら全ての攻撃がアレックスとサタナエルに直撃した思われたのちのこと。
「この程度か。失望させられるな」
アレックスは平然と土煙が立ち上る中で肩をすくめていた。
「さて、サタナエル。これを見て私のやることを評価してほしい。これが私が生み出した私の新しい力だ」
にやりと笑ったアレックスがそう言うと杖を構える。
「バビロンよ、来たれ」
アレックスがそう唱える。
彼の一歩手前の地面に魔法陣が広がった。それからすぐにその魔法陣のふちを何かの巨大な爪が掴んだと思うと魔法陣から火山の噴火のように黒い煙が放出される。
その黒煙の中にで獰猛な獣の雄たけびとともに現れた存在。煙に浮かぶそのシルエットはドラゴンのように見えた。
4本の太く、鋭い爪の並ぶ手足。大きく広げられた翼。そして爬虫類の瞳をし、血を帯びた牙が剥き出しになった恐ろしい怪物だ。
「ほう」
サタナエルがそれを見て感心したように短くそう呟く。
さらに煙が晴れて見えたのは異形の怪物。ゾンビのように腐敗した肉を纏わせ、口からは黒煙を吐く巨大なドラゴン。その臭いは濃い悪魔の臭いが濃く、煮えたぎる硫黄の臭いがしている。
それは同じ悪魔すらも恐れさせる恐怖を象徴する臭い。
その怪物が低く唸り声を上げると貴族の生徒たちの前に立ちふさがった。
「な、なんだこの化け物は!?」
「ど、ど、どうなっているんだ!?」
起きていることがまるで理解できず、生徒たちの一部は腰を抜かして倒れ込んだ。
「これは俺の眷属、だったものか?」
「いかにも。君の眷属にして“憤怒”の大罪に属する悪魔ドラゴンだ」
サタンは自身が竜であるだけでなく、その眷属にも竜を擁していた。
「それにしてはいささか不細工になっているようだがな。おぞましさについては申し分ないものの、魂のレベルで変質している。どういうことだ?」
「確かにこの悪魔は元は君の眷属であったものたちだ。しかし、一度目の人生の戦いのとき聖騎士にやられてね。殺されても悪魔ならば地獄に戻って元通りというわけだが、私がちょいとばかり手を加えた」
「複数の悪魔の死体を使って新しいひとつの悪魔を作った、というわけか。なるほどな。貴様がそれなりの黒魔術師とは言えどそこまで高度な魔術が使えるとは正直驚いた」
「この悪魔はもはやその体の中に地獄を抱えている。コンパクトな地獄を。もはや死んでも地獄に戻ることはなく、消滅することもなく、永遠に地上で暴虐の限りを尽くす。望むと望むまいと」
バビロンと呼ばれた悪魔はゆっくりとその長い首をもたげ、戦意を喪失し、今や恐怖しかない貴族の生徒たちを爬虫類の瞳で見下ろす。
「私が生み出した人工悪魔とでもいうべき存在だ。常に私に付き従い、私に忠実である使い魔。ソロモン王が支配した72柱の悪魔には及ばないが、私の悪魔もなかなかに強力な存在であるのだよ」
うちに邪悪なるものの住まいたる地獄を抱えたそれからは、どこまでも不気味で悪しき空気を漂わせていた。その空気をゆらりと揺るがしながらバビロンが前進してくる。
「く、黒魔術だ! これは悪魔だ! 黒魔術で召喚された悪魔だ!」
「こいつは黒魔術師だったのか!?」
「クソ! 異端者め!」
ひとりが叫び、他の恐怖に陥った生徒たちも叫ぶ。
「そうとも。私は異端の黒魔術師だ。死者を弄び、呪い呪われ、悪魔と戯れる。イオリス帝国を始めとする人類国家が黒魔術を厳しく禁止しているのを分かっている上で私はこの黒魔術を行使している。なぜならば──」
アレックスが不敵に笑う。
「私は悪だからだ」
そのアレックスの宣言とともにバビロンが再び雄たけびを響かせ、口の中に高温の炎をうごめかせ始めた。膨大な熱量の青い炎がぐるぐると渦巻き、さらにはその目が赤く輝いてくる。
「あ、ああ! 火炎放射が来るぞ! 防御しろ!」
生徒たちが叫び、防御結界を展開したところにバビロンが火炎放射を放った。
「うわああ──……っ」
青い炎が地上を舐めるように覆いつくし、悲鳴が響く。炎は生徒たち展開した防御結界を易々と溶かし、生徒たちの肉を焼き、骨までも焼き尽くした。
一度目の火炎放射が終わったときそこに残っていたのは辛うじて直撃を避けた1名の生徒だけであった。そのひとりは失禁し、意識を失いかけている。
「おやおや。燃え残りがいるようだね。なんともまあ哀れなことか。仲間とともに死ねていればもっと楽だったろうに」
「全くだな。俺は少しばかり悲鳴を聞き足りないと思っていてな。遊ばせてもらうぞ。しっかり耐えろよ?」
アレックスが肩をすくめる中、サタナエルが拳を鳴らしながら前に出た。
貴族の子弟からなる生徒たちの一団が“行方不明”として届けられたのは翌日のことであった。彼らが見つかることは永遠になかった。
……………………