新入生合宿
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──新入生合宿
新入生合宿は予定通り帝国北部に低く聳えるドラケン山の合宿所で開かれた。
「いやあ。山登りというのが存外疲れるものだね」
「これぐらいでへばるのか? 貧弱すぎるぞ、貴様」
息を大きく吐いてアレックスがようやくという具合に合宿所の前に立つのにサタナエルは汗ひとつかかずに呆れたようにアレックスを見た。
「肉体労働は私の専門ではないんだよ。こういうことは人にやらせておく」
アレックスはそう言い訳し、ミネルヴァ魔術学園が有する合宿所を見上げた。
目的地の合宿所はお洒落なコテージという具合であり、流石は大陸最大の教育機関が有する施設だと思えるものだ。
「すみません。A組はどっちになるでしょうか?」
「はい! A組はですね。向こうの建物になります」
そして、その合宿所の敷地の中では迷った生徒たちが道案内を求めており、ひとりの女子生徒がそれに応じていた。
それは美しい金髪をした長身の少女だ。
その背丈は男子であるアレックスと同じくらいであり、ほっそりとしたスレンダーな体型だった。だが、特筆すべきはその金髪だ。
多くの金髪と呼ばれるものが実際にはくすみやむらを伴っているのに対して、少女の金髪は本当に黄金のように光り輝いていた。
「やあやあ、フロイライン! C組はどこだろうか?」
「ああ。C組ですか? C組でしたら向こうのあの赤い屋根の建物です。私もC組ですから一緒に行きましょう!」
「それは助かる」
アレックスが尋ねるとその女子生徒が微笑んで応じる。
「自己紹介がまだだったね。私はアレックス・C・ファウストだ。君は?」
「エレオノーラ・ツー・ヴィトゲンシュタインです、アレックス君」
「すると君の家はヴィトゲンシュタイン侯爵家かな?」
アレックスがエレオノーラと名乗った少女にそう尋ねた。
「ええ。ご存じなのですか?」
「多少なりと魔術に携わっている人間でヴィトゲンシュタイン侯爵家を知らないのはモグリだよ。有名な魔術師の家系だ。優れた魔術師を輩出し、帝国に貢献してきた名門。そう記憶しているよ」
「それは光栄ですね。お父様たちも喜ばれます」
アレックスの言葉にエレオノーラは嬉しそうに微笑む。
「アレックス君のことも噂に聞きましたよ。入学試験では一番の成績だったと」
「おや。そうだったのかね? まだ聞いていなかったよ」
「こういうときに貴族というのは情報が入ってくるものなんです」
エレオノーラはそう語る。
「しかし、私としては魔術というものに成績など付けるものではないと思っているのだがね。魔術とは剣術のように優劣があるものでも、まして数値化できるものでもないと思っているからね」
「どうしてですか?」
「魔術が未だに科学者の扱うものになっていないことが理由のひとつだ。科学と魔術の違いについてご存じかな?」
「ふむ。説明を聞かせもらっても?」
「もちろんだ。語らせてもらおう。両者の間にある決定的な違いは再現性の可否だ」
興味を示すエレオノーラにアレックスが説明を始めた。
「科学というのは自然界において誰にでも起こりえる現象の解明をしていると言っていい。科学者たちはひとりだけが実験に成功するのではなく、同じ手法を試みた全員が成功することを追及しているのだよ」
科学者が解き明かした自然の理。それは誰であろうと再現でき、同じ数字で、同じ結果が出なければならない。
「科学はそうすることで人類全てに恵みをもたらしてきた。病気の治療においても工業生産における進歩においても。それは科学が全ての人に等しく扱えるものであるからこそ、我々は最大の恩恵を受けてきた」
「魔術は異なると?」
「そう、違う。魔術の世界においては天才にしかできないことが存在する。私が考えるに魔術とは宗教や思想、あるいは哲学に近いのではないかと思うのだよ」
「宗教、思想、哲学。数値にはできない学問ということですか?」
「というより、何を選ぶのかという点だね。宗教、思想、哲学に正解はないと言っていい。私は自由を愛する。学問においても全ての人間にその門戸が開かれるべきであると考える。だが、そのような自由な思想を否定する思想もある」
自由は必ずしも正解ではないとアレックスは言った。
「自由は無秩序に繋がると考えるものはいるし、無責任な自由は犯罪だと考えるものもいる。彼らが間違っているかと言えばそうではない。彼らは単に私とは意見が異なるというだけ。言うならば単なる好みの違いだ」
「魔術も好みの違いの世界というわけですか?」
「『意志の力、意志の勝利』という本を読んだことは、エレオノーラ君?」
「いえ。どんな本です?」
「魔術における意志というものの重要さを研究した本だよ。君も知っていると思うが我々の行使する魔術は自然に存在する妖精の力を借りたものだ。そして妖精たちはその力を借りるものの意志の強さに応じて力を貸す」
この世界においては自然の妖精から力を借りるものを魔術と称する。
これには別に聖騎士などの聖職者が行使する神術というものもあり、それは文字通り神や天使から力を借りるものだ。
「このように我々魔術師は炎を生み出すことができる」
パチンとアレックスが指を鳴らすとその指の先に赤い炎が灯った。
「しかし、炎を生じさせるまでの過程は人それぞれだ。私は『山頂の寒さをしのぐための炎を』と求めて炎を生み出した。だが、これが『肉を焼くための炎を』でも起こせるし、『異端者を焼くための炎を』でも炎は生じる」
「ふむ。なるほどですね。異なる過程にもかかわらず結果は出る。そうであるが故に方法を同じようにしても同じ結果は出ない。故に同じ手法で同じ結果という再現性が存在する科学とは異なる、と」
「その通りだ、エレオノーラ君! そうであるが故に優劣は決められない。この世界には正解はない。あるのは個人の意志のみ。結局私の成績というものも採点した教師の好みに合っただけなのだろう」
エレオノーラがアレックスの話をそう結論して、アレックスは満足そうにうなずく。
「それだと学園で魔術を教えるというのは無理なように思えますね」
「そんなことはないとも。事実、宗教、思想、哲学も他者に教育することは可能だろう。魔術が個人の意志によって動作するものならば、その意志の持ち方を、その考え方を教えるということはできる」
「真っ白な紙に自由に絵を描くことはできる。しかし、絵の描き方を習えばもっと望む絵が描ける。そういうことですね」
「君は理解が早い。実に素晴らしい」
アレックスはエレオノーラが分かりやすく表現するのに感心した。
「では、合宿はここで行われます」
「ここまでの仲になったんだ。敬語はやめにしないかい? 私も敬意を払われるような人間ではないことだし」
「そうね。じゃあ、合宿頑張りましょう、アレックス」
「ああ、エレオノーラ」
エレオノーラは手を振って別れ、アレックスとサタナエルはそれを見送った。
「あの娘からはどうにも俺の同類の臭いがする。どういうことだ?」
「ヴィトゲンシュタイン侯爵家というのは地獄の国王の一柱たるマモンとつながりがある。かの“強欲”を司る大悪魔の眷属にして彼女の宝物庫からあるものを代々譲り受けているのだよ」
「マモン? あいつはなかなか自分の宝を手放さないものだがな」
「もちろん、ただで譲ったわけではない。君の配下たる地獄の国王はちゃんと対価を受け取っている。そう、あのエレオノーラからね」
「あの女も手に入れ損ねたのか?」
「いいや。逆だ。彼女だけが唯一手に入った。名門ヴィトゲンシュタイン侯爵家をお取り潰しから救った彼女だけがね」
アレックスとサタナエルはそう言って合宿所に入っていくエレオノーラの背中をじっと見つめた。
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