冷血女公
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──冷血女公
アルカード吸血鬼君主国の第二王女カミラ・オブ・コールドブラッドは学生寮に部屋を持っていたが、彼女の立場上そこにいない時間は多かった。
「今日は大使館のパーティーだったか……」
「はい、殿下。駐留大使のキップリング卿が是非と」
カミラは普通のものより高級な造りの馬車で帝都の通りを移動していた。その馬車は使われている木材から構造に至るまで贅が凝らされたものだ。
そこに赤いイブニングドレス姿のカミラと同じ吸血鬼でタキシードの男性が座っていた。タキシードの男性は留学中のカミラを世話しているスタッフのひとりだ。
少なくとも表向きは。
「我々の任務との関係は?」
「キップリング卿はオーウェル機関の情報収集管理担当官です。パーティーには彼の資産が出席します」
「顔合わせか? この手のものはその情報を知る人間が少なければ少ないほどいいと思っていたのだがな」
「ただの顔合わせではありません。キップリング卿は資産のうち数名が寝返ったとみています。帝国の秘密警察である内務省国家保衛局の防諜作戦に摘発され、二重スパイになるように強要されているだろう、と」
「なるほど。楽しい、楽しい二重スパイ狩りか」
男が言うのにカミラがうんざりしたようにそう言う。
「で、私の役割は?」
「キップリング卿の資産とふたりきりになる時間を作りますので、ひとりずつ調べていただきます」
「その後は?」
「キップリング卿か、またはもっと上の人間が処理を決定します。殺処分かもしれませんし、さらに寝返らせて三重スパイに仕立てる可能性も」
「そうか」
そして馬車は帝都にある駐帝国アルカード吸血鬼君主国大使館に向かった。
アルカード吸血鬼君主国は長年人類国家と敵対関係にあった。互いに互いを異教徒と罵り、幾度なく戦争を引き起こしてきた歴史がある。
それが3年前にアルカード吸血鬼君主国とイオリス帝国の両者の歩み寄りで友好条約が締結されるに至り、人類国家として初めてアルカード吸血鬼君主国の大使館が帝都に設置された。
しかし、それは表面上の関係に過ぎない。
アルカード吸血鬼君主国でも、そしてイオリス帝国においても条約に対する賛成派と反対派が存在し、物事を複雑にしていた。
「ようこそ、殿下。歓迎いたします」
「ああ。キップリング卿、ご苦労」
大使館はちょっとした貴族の屋敷ほどはあり、その玄関でこの大使館に駐留しているアイザック・キップリング卿自身がカミラを出迎えた。
「ご機嫌麗しゅう、殿下」
「お会いできて光栄です、カミラ殿下」
大使館の中では華やかなドレスを纏った女性たちと立派なタキシード姿の紳士たちがおり、アルカード吸血鬼君主国第二王女であるカミラに次々に挨拶する。
カミラはそれらに笑いかけながらキップリング卿を従えて大使館における彼の執務室へと向かっていった。
執務室の扉は屈強な軍服の人狼たちによって守られている。
「状況はある程度説明を受けているが、詳細を聞きたい」
「ええ。ご説明しましょう。まずはこれを」
カミラがソファーに腰掛けて説明を求めるのにキップリング卿がファイルを手渡す。
「そもそものところ、二重スパイ疑惑が浮かび上がったのはオーウェル機関の分析官の分析結果です。複数の資産の情報を統合した際にどうしても辻褄が合わない部位が存在する、と」
「現在のカプリヴィ内閣の人事案における予想の失敗か。宰相のカプリヴィ候は内務大臣として陸軍の戦友であったヴァルダーゼー伯を入閣させると見ていた。が、実際には一時は政敵でもあったラスカー男爵を据えた」
「ええ。その件で表面化しました。帝国は我々の資産を転ばせ、意図的に偽情報を流しているということが」
「このことを知っているのは?」
「オーウェル機関のごく一部の人間だけです。機関長のメアリー殿下を含め、数名」
「姉上は当然ご存じか」
オーウェル機関はアルカード吸血鬼君主国の情報機関だ。対外諜報作戦から防諜作戦まで情報戦の全てを担当している。
そのトップは長年カミラの姉でありアルカード吸血鬼君主国第一王女のメアリー・オブ・ホワイトハーヴェストであった。
「二重スパイの容疑がかけられているのは5名。全員が二重スパイである可能性もありますし、ひとりだけかもしれません。しかし、全員がこのパーティーの招待に応じました」
「随分と図々しい二重スパイもいたものだな。いつ調べる?」
「我々が警戒すべきは帝国内務省国家保衛局と、そしてオーウェル機関にとっての政敵である鉄血旅団です」
「国家保衛局は分かるが、鉄血旅団もか? あれは兄上の軍隊ごっこではないか」
帝国との友好条約の締結は先述したようにアルカード吸血鬼君主国においても政治的内紛を引き起こした。
友好条約に猛反発し、人類国家との対決を訴える政治勢力の誕生だ。
その急先鋒がカミラの兄であり、アルカード吸血鬼君主国第一王子エドワード・オブ・スティールブラッドの組織した鉄血旅団である。
この準軍事組織は人類国家との対決と人類の絶滅を掲げており、アルカード吸血鬼君主国内では過激な吸血鬼たちや人狼の青年将校たちの間で支持を集めていた。
「その軍隊ごっこが勢いづくのは誰も望んでいません。ですが、もし人類が我々を罠に嵌めようとしたなどという情報が彼らの手に渡れば、格好のプロパガンダの材料にされてしまうでしょう」
「エドワード兄上は人類はペテン師だと宣伝すると同時に、煩わしいメアリー姉上をペテンにかかった間抜けとして宣伝するわけだ」
「そういうことです。これは内密に片づけなければならない問題となります」
「理解した。同盟国であるバロール魔王国が内戦状態では我々はとてもではないが人類を相手に戦争などできない。今は形だけでも友好を取り繕って、偽りであろうともそれを示しておく必要がある」
キップリング卿の言葉にカミラが頷く。
「では、まずは普通にパーティーをお楽しみください。中には国家保衛局の息のかかった人間や鉄血旅団のシンパがいますのでまずは普通に」
「それからは?」
「我々の方でひとりずつこの部屋に通します。殿下も一緒に」
「分かった。気取られぬように進めよう」
「ええ。お願いいたします」
カミラが了解し、キップリング卿と彼女は再びパーティーの会場に戻る。
パーティーは立食形式で様々な料理が提供されていた。人間の好む甘いお菓子から吸血鬼の好む血の味がする料理まで様々だ。
まずカミラは二重スパイの容疑者との接触を避け、パーティーにいる客人たちと軽く会話をしていく。
「殿下。お会い出来て光栄です」
「ああ。私もだ、カウフマン殿。あなたの会社との交易で我が国は豊かになっていると聞く。これからも交易を通じて両国の良好な関係を築いていきたい。協力してもらえるだろうか?」
「もちろんです。我々としてもアルカード吸血鬼君主国の市場は魅力的ですから」
友好条約の締結と国交の正常化はビジネスの機会も多く生んだ。アルカード吸血鬼君主国の市場を求めて帝国の商社がいくつも進出している。
そのような商社を利用した情報作戦も展開中だ。
二重スパイの容疑がある人間のうち1名もその手の商社関係である。
「さて、どうなるものか」
華やかなパーティーには裏切り者と秘密警察と有害な愛国者が紛れ込んでいる。
留学という名目でミネルヴァ魔術学園に通い、帝国を訪れていたカミラの暮らす世界はこのような世界であった。
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