彼は戻った
本日2回目更新です。
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──彼は戻った
イオリス帝国の帝都カイゼルブルクには偉大なる城タンネンベルク城の他にも重要な施設がいくつもある。
その中のひとつが帝国の誇る教育機関たるミネルヴァ魔術学園だ。
大陸最大の教育機関であり、生徒数、教師数ともに最大。その教育の質も大陸各国から留学生が訪れるほどで、また同時に研究機関としても秀でている。
そのミネルヴァ魔術学園にこの春に入学した生徒の名に彼の名があった。
アレックス・C・ファウストの名が。
彼は今、ちょうど寮の部屋にいた。
「──おい。起きろ、たわけ」
ハスキーな女性の声が聞こえる。威圧的にも聞こえる声だ。
「ん……? おや?」
「ようやく起きたか、この大馬鹿ものが」
アレックスが目を開くとその眼前に女性の顔があった。
燃えるような赤毛を伸ばし、気の強そうな鋭い目つき。そんな凛々しく、近寄りがたい顔立ちをした美しい女性だ。
背は長身で190センチ以上で、その長身の体は黒いローブが付くのが特徴的なミネルヴァ魔術学園の制服に覆われている。白いシャツに、赤く細いネクタイ、そして黒と赤のスカートだ。
が、その制服は胸元が大きく開け、スカート丈は酷く短く、明らかに校則に反して改造されたものだ。
アレックスはその女性の膝を枕にベッドに横になっていた。
「やあ、我が親愛なる友人サタン。おはよう!」
「何がおはよう、だ。ふざけよって。貴様、何をした?」
アレックスがサタンと呼んだ女性の膝に頭を乗せたままにっと笑うのに女性はアレックスを睨みつけてぐいと顔を寄せる。
「おやおや。君には分かってしまうか。流石は地獄の皇帝だ」
アレックスがそう言うと起き上がり、学生寮における自分の部屋を見渡した。
部屋はアレックスだけの個室でベッド、机、椅子、本棚、そして暖炉がある小ぢんまりとしたものである。本棚はまだすかすかで机の上には買ったばかりの教科書が放り出してあった。
「貴様が一度死んだことは分かっている。どこかでくたばった後に魔術を使ってここに戻ってきた。一体何をした?」
「未来を見てきた。人生を一度経験して、そして戻ってきたのさ。君は未来が気になるかね、サタン?」
「興味もない。だが、貴様はついに死ぬことすらなくなったというわけか」
「その通りだ。私は死を克服した。人にとって避けられないはずの死を征服した。いつ、どこで、どのように死のうとも私はこの時点に戻ってくる。私がそれを拒否するまでずっとね」
サタンが胡乱な目でアレックスを見てそう言うのにアレックスは大きく頷く。
「熱力学第二法則なんて忘れてしまいたまえ! エントロピー増大などクソッタレだ! 私を縛るものは何もなく、私こそが永遠である!」
「ふん。俺にとってはどうでもいい話だ。貴様が俺に約束したのは、ちんけな悪魔に関するおとぎ話で語られる定番の『魂を差し出す』などということではない。俺を楽しませるということだ」
「もちろんだ。これからも君を楽しませようじゃあないか」
そのサタンが淡々と告げた言葉にアレックスが両手を広げた。
「君は把握できているかどうかは分からないが、私は一度目の人生ではとても大きな戦争を引き起こした。その戦争は君を満足させ、私はそこで悪を成した。私は間違いなく邪悪な存在であったよ」
「戦争か。それには興味を惹かれるな。戦争ほど愚かしく、愉快なものもない」
「そうとも。私は前世からずっと悪を追求してきた。ずっと善良さの欠片もない悪を求めてきた。このアレックス・C・ファウストという人間として転生する前の人生においても。このアレックス・C・ファウストという人生においても」
アレックス・C・ファウストは転生者である。
地球の、日本という国で生まれ育ったとある男だ。そのときから既に彼は地獄との交わりを有していた。
「幼子のころから私は悪魔と戯れて育ち、悪を目指した。黒く、深い悪を!」
「そして、戦争を起こした」
「そう、戦争を知った。戦争とは悪と同じくどこまでも反逆的でパンクもの。私が目指すべき悪は戦争なのだと理解した。戦争は悪だ、悪だ、と人々が批判すればするほど私はそれに憑りつかれた」
サタンが少しばかり笑みを浮かべるのにアレックスはそう演説するように語った。
「さあ、鬨の声を上げ、戦争の犬を解き放て、だ。また愉快な戦争をしよう。そして、今回はできることならば──」
アレックスは部屋の窓から学園の様子を眺め、ひとり呟く。
「トロイア戦争のオデュッセウスのように、あるいはカンナエのハンニバルのごとく勝利したいものだ」
彼は前世で自分がいた世界のたとえでそう語る。
彼は先の人生では聖騎士ガブリエルに敗北した。だが、そのまま敗者に甘んじるつもりなどなかった。
「具体的な計画について教えろ。そして、貴様がどうしてくたばったのかもだ」
「オーケー。説明しよう。まずこのアレックス・C・ファウストという人間の一度目の人生で起きたことを説明していこう」
サタンが長い脚を組んで尋ねるのにアレックスが説明を始めた。
「一度目でも私は黒魔術を追及していた。この魔術のある世界に生まれて私が興味を引いたのは黒魔術だけだったからね。呪いの陰湿さに、死霊術の後ろ暗さに、悪魔の栄光と堕落に心ひかれた」
アレックスはそう歌うように述べた。
「悪魔たちに、黒の存在に、そのカッコよさに私は恋焦がれた。悪とはカッコいいものなのだ。自分勝手で、利己的で、他者に媚びることのないものだからね。私にとって悪とはまさに生き様にすべきものだった」
アレックスがそう語り始める。
「しかし、いくら悪を求めひとりで黒魔術をあれこれ弄んでもできることは限られている。たとえ君と契約を結んだ身であってもね。だから、私は同志となる仲間を増やすことにしたのだよ。ともに研鑽を行う黒魔術師の仲間を」
「集まったのか?」
「ああ。秘密結社を組織できるほどにね。私は『アカデミー』という秘密結社を組織した。様々な黒魔術師たちが参加し、世界を支配することを望んだ。そして、私は彼らを率いて世界に戦いを挑んだ!」
「そして負けたわけだ」
「実に残念なことにね。世界とは私が考えていた以上に強い存在であったよ。しかし、しかしだ。私はこうしてまた戻ってきた。血に飢えたチンギス・カンのように、あるいは誇大妄想のナポレオンのごとく再び世界に対する戦争を起こすために!」
サタンが呆れたように言い、アレックスがそう叫ぶ。
「そういうからには一度目の敗因は理解しているのだろうな? どうして負けたかを理解していなければまた同じことの繰り返しだぞ」
「ひとつは人材不足だ。我々は何人もの優秀な人材を獲得し損ねた。それから私自身の力不足もあっただろう。弱点については理解したつもりだ」
「それならば今度は人材を獲得するために努力することだ。俺は戦争は嫌いではないが、戦争に負けるのは好きではない。勝利し、敵を蹂躙する戦争こそが俺の望むものであり、貴様が俺に差し出すべきものだ」
アレックスの言葉にサタンが右手を差し出し、赤いマニュキュアが塗られた長い爪の並ぶ指を立てる。
「君を退屈させはしないよ、親愛なるサタン。ちゃんと約束しよう。私自身も退屈はしたくないものだからね」
「結構だ。さて、何から始める?」
「まずは学園に適応しなければ。これから新入生オリエンテーションやらがある。学園に正式に入学し、この学園の名誉ある生徒とやらとして暮らし始めなければならないのだよ。なぜならば──」
「この学園に引き抜くべき人材がいるからか?」
「そう、まさに。この学園にこそ引き抜くべき人材がいる。この学園の制覇こそが我らが覇道の第一歩なのだ!」
サタンが確認し、アレックスがサムズアップした。
「ははっ。いいだろう。俺のことは手配できているのだな?」
「問題ない。君のことはこの名前で入学手続きを済ませておいた。学生証はちゃんと身に着けておきたまえ」
アレックスはそういうと自分のものとは別の学生証をサタンに投げ渡す。
「サタナエル・A・ファウストか。貴様の親戚ということか?」
「その方が都合がよかったのでね。気に入らないかい?」
「別に。どうでもいい」
サタンは興味なさそうに学生証を振ると制服のポケットに収めた。
「で、この下らぬ魔術師ごっこの箱庭に何人の悪しきものたちがいる?」
「5名。獲得すべき人材は5名だ。一度目ではひとりしか得られなかった。今回は全て獲得する。そして、盤石な戦力基盤を構築するのだよ」
「どうして獲得し損ねたかは理解しているのだろうな?」
「ああ。単純だ。私が未来を知らなかったから。それだけだよ」
アレックスはサタンの問いに小さく肩をすくめて見せた。
「未来の見える貴様は今や万能を気取るというわけだな」
「まさか、まさか。万能だなんて退屈じゃあないか。それに言うだろう『何でもできるは何もできない』ってね。私は私なりの力で足掻き、他人を蹴落とし、勝利を手にする。人生とは常に泥臭くあれ、だ」
「貴様の人生観とやらに共感する日は永遠に訪れそうにない」
アレックスが持論を語ったがサタンはまるで興味がなさそうである。
「それでは新入生オリエンテーションがこれから大講義室で始まる。行こうではないか、サタナエル?」
「聞いておくが、学園内で殺し、犯すのは禁止か?」
「場合による。だが、禁止という名の節制はあまり悪ではない」
「なるほど。悪くない」
アレックスの冷たい言葉にサタンはにやりと笑った。
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