密約
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──密約
英雄都市アドラーベルクはついに征服者に屈した。
「勝利だ!」
黒色同盟軍は激戦の末にアドラーベルクの制圧を宣言。早速工兵たちが崩落した橋の修理を始めたのだった。
アドラーベルク喪失をミネルゼーン政権軍は重く受け止め、勝利のためにさらなる努力を強いられることになった。
そのような状況下で、アレックスたちはある人物から驚きの情報を得ていた。
「つまり、ヴィトゲンシュタイン侯はどちらの帝国にも従わない、と?」
アレックスはそう繰り返した。
「ああ。『ヘカテの子供』は生きのこりのための組織であって、内戦のどちらかに明確に加担することによって、生き残れなくなるような間抜けなことはしない。ヴィトゲンシュタイン侯はそういっていた」
「ってことは、コウモリするための組織ってわけですか? 日和見、な?」
「ああ。まさにその通りだ。日和見する際に生命の保証が得られるようにするため。もし、我々がそちらに寝返るという言ったら、受けれるか、受け入れないか。どっちなのかを考えてみるといい」
「それは受け入れますよねー」
マリアの言葉にアリスが頷く。
「なるほど、なるほど。では、ヴィトゲンシュタイン侯には早速寝返ってもらいたい。が、どうすれば寝返る条件が達成されるのかね?」
「アドラーベルクの陥落。つまり、既に条件は達成されている。これからお前たちに『ヘカテの子供』が接触してくるだろう。そう、寝返るために、だ」
「いい知らせだ。しかし、すぐに寝返られるより、暫くは内通してもらった方が都合がいい。ミネルゼーン政権軍内の情報を我々の側に渡してくれれば、非常に助かる」
「了解した。伝えておこう」
アレックスの求めにマリアはそう請け負った。
「思ったより早い裏切りでしたな」
「自分たちの身を守るにはこれぐらいの手のひらの回転が必要だろう、トランシルヴァニア候。いつまでものろのろしていたら、あっという間に戦争の渦に巻き込まれて、おしまいになってしまうというものだよ」
アレックスはさらにトランシルヴァニア候にそう言った。
この時、既にミネルゼーン政権軍に衝撃が加わりつつあった。
「講和すべきであると考える」
そう訴えるのは皇室の一員であるひとりの公爵だ。彼はアドラーベルクの陥落後に開かれた軍議の場にてそう発言した。
「このまま帝国の人間同士で殺し会うほど馬鹿げたこともない。そして、残念ながら勝利の女神は我々に微笑んでいない。ここはこれ以上の犠牲を出し、帝国が疲弊しきってしまう前に講和すべきだ」
アドラーベルクの陥落は講和派を生み出した。これまでは威勢のいいことを言っていた将軍たちも、もはや勝利が危うくなったことは認めざるを得ず、このまま戦うことに意味を見出せない人間が一斉に増えたのである。
「しかし、敵はバロール魔王国やアルカード吸血鬼君主と手を結んでいるのだぞ。人類の敵だ。講和など行うべきではない」
「我々にもじきに他の人類の国家との同盟がなる、そうなれば勝利は近い!」
戦況を過度に悲観して後ろ向きになった講和派に対して、現状をあまりにも楽観視して戦闘継続を訴える主戦派も、また勢いを増した。
「勝利などもはや幻想だ!」
「なんだと! この敗北主義者め!」
ミネルゼーン政権軍は講和派と主戦派の争いによって、一時的に機能不全に陥っていた。そして、その様子は『ヘカテの子供たち』を通じて、アレックスたちに情報が伝えられていたのであった。
アレックスたちはミネルゼーン政権軍が分裂することを望んでいた。そして、そのために行動を起こすつもりであった。
「ツェッペリン卿。ひとつ持ち掛けたい密約がある」
「それは?」
「我々は必ず『ヘカテの子供たち』を受け入れるし、彼らを免責する。しかし、その前にやってほしいことがあるのだ」
アレックスはマリアに『ヘカテの子供たち』に求めることを告げた。
「なるほど。お前もたいがいあくどいものだな」
「黒魔術師とはそういうものだろう?」
マリアが呆れるのにアレックスはそう言う。
アレックスが依頼したことはすぐになされた。
それは講和派の代表格を務める皇族の暗殺である。
「敵対者は暗殺という手段に出た! これは我々の意見を封殺せんとするものだ!」
講和派はそう訴える。
もはや講和派と主戦派の亀裂は明確になり、ミネルゼーン政権は分裂した。
ミネルゼーン政権内での武力衝突が発生したのは、暗殺から3日後のことで、ミネルゼーン政権軍はかつての同志たちが殺し合いを始めた。
「我々はルートヴィヒ殿下の下に付く。それが正しい唯一の選択だ」
ミネルゼーン政権軍の講和派は黒色同盟側に寝返り、カイゼルブルク政権のルートヴィヒの下に集った。カイゼルブルク政権はこれを受けて自分たちこそが正当な帝国の政権であると主張。
「戦力のバランスが崩れた。このままでは我々は負ける!」
「我々も諸外国からの支援を受けなければ……」
主戦派は自軍の3分の1近い戦力が敵に寝返った状態で対処を迫られた。
あらゆることへの譲歩が行われ、ブレンターノ大臣があちこちを駆けずり回り、そしてようやく多くの人類国家との連合軍が結成されたのだった。
しかし、これで終わりではなかった。
カイゼルブルク政権はイオリス魔術帝国を名乗り、これまでの帝国の後継者であることを示しつつも、他の人類国家と同盟したミネルゼーン政権との間のつながりを完全に否定した。
ミネルゼーン政権ももはやミネルゼーン政権などと名乗らず、神聖イオリス帝国を名乗り、同様にイオリス魔術帝国を否定。
こうしてふたつの陣営は激しい殺し合いの準備を完了したのだった。
「エレオノーラ」
「アレックス。どうしたの?」
イオリス魔術帝国に分裂したミネルゼーン政権の軍が合流したとき、アレックスはエレオノーラの下を訪れていた。
「『ヘカテの子供たち』が我々に合流した。君の父上もこちらに来ている」
「……そう。ねえ、父に会った方がいいと思う?」
「それは君の自由だ。私は無理強いはしないし、理解者ぶって君を誘導したりはしない。ただ、君がどのような選択をしようとも、それを支持するだけだ」
「ありがとう、アレックス。父に会ってみるよ」
「一緒に行こうか?」
「大丈夫。自分の家族だから」
アレックスの言葉にエレオノーラはそう微笑むとゲオルグの下に向かった。
ゲオルグは他の黒魔術師たちと一緒におり、エレオノーラがやってくるのを見ると、それらの黒魔術師を下がらせた。
「エレオノーラ。お前が謀反を起こしたと聞いたとき、私がどれだけ悩んだかを想像してみるがいい。お前はもう少し、お前を思う親のことも考えるべきだったな」
「お父様ならば正しい選択をすると信じてたから。事実、こうして正しい側にいるから。お父様ならば生き残れるとも」
「ふん。言ってくれる。お前だってこれがどれだけの綱渡りだった分からんわけではないだろう。ミネルゼーン政権に忠誠を示しながら、カイゼルブルク政権に内通するというこのと難しさが。しかし、だ」
ゲオルグが続ける。
「またお前に会えてよかった」
「ええ。お父様、私もです」
そして、ふたりは家族の再会を喜んだ。
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