砲撃の魔女
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──砲撃の魔女
アドラーベルクから30キロ離れた地点。
空に向けて延びる円柱が2本存在した。
2メートルほどの円柱はうっすらと赤く輝いており、よくみればいくつもの複雑な魔法陣によって構成されている。そんな長い円柱が、その向きを今も戦闘が続くアドラーベルクの方に向けていた。
その2本の柱の間、その根本にひとりの女性がいた。
「──魔力の充填を開始。続いて魔力圧縮を開始し、砲身内に砲弾を形成──」
女性は20代後半といったところで若く、そして美しい長く伸ばした黒髪の持ち主だ。その細身の体に帝国陸軍の軍服を身に着け、その上から黒いローブを羽織り、手には指揮棒を握っていた。
指揮棒はアドラーベルクの方角に向けられている。
「──砲弾の生成を完了。装薬の装填開始──」
彼女が詠唱を行うとともに柱がより濃く赤に染まっていく。魔法陣が回転しながら、その赤さを増していく。
「砲撃準備完了だ!」
そして、彼女がそう宣言した。
「了解。グスタフから観測班へ。これより砲撃を開始する」
そこで現場にいた帝国陸軍の将校がそう告げる。正確には彼が持っていたスマートフォンサイズの黒い石板に向けて告げた。
ミネルゼーン政権軍も『ヘカテの子供たち』の所属であるゲオルグたちによって、通信ネットワークを構築していた。後方から前線にいる部隊まで簡単かつ即座に連絡可能な手段だ。
「砲撃を開始する!」
それから彼女がそう宣言し、赤く染まった円柱から膨大な魔力が放たれた。
轟音。鼓膜を突き破ろうとするような爆発音が響きわたる
その爆音と同時に砲弾のように形成されたそれは空に放たれ、弧を描くように飛翔すると30キロ離れたアドラーベルクに着弾したのだった。
この“砲撃”は繰り返され、最終的に10発の砲弾が発射された。
「観測班が現在状況を確認中!」
30キロ離れたアドラーベルクにいる観測班がこの砲撃の結果を測定。目標を破壊できたのか、また破壊できなかった場合はどれだけ逸れたのかを確認する。
「観測班より報告。目標は未だ落ちずとのことです」
「駄目か」
アドラーベルクにいる観測班が観測していたのは、他ならぬロート橋であり、この砲弾はロート橋に向けて叩き込まれたものだ。
「ツェッペリン卿! 次の砲撃の準備をお願いします!」
「了解。すぐにかかる」
将校にそう求められて、ツェッペリンと呼ばれた彼女は頷いた。
彼女はマリア・フォン・ツェッペリン。またの名を“砲撃の魔女”という。
「彼女の魔術砲撃はレベルが違いますな」
そう言うのはミネルゼーン政権軍にて魔術参謀を務めるルドルフ・フォン・ホルヴェーク陸軍中将で、彼は同伴しているある人物に向けてそう感想を述べた。
「無論だ。“砲撃の魔女”の名は伊達ではない。先帝陛下も南部動乱の際に彼女がいたならば戦争に圧勝していただろうといつも申されていた」
同伴している人物とはゲオルグだ。彼は軍服ではなく、スリーピースの黒いスーツ姿でこの戦場の遥か後方に立っていた。
「そうですな。相手の射程外から一方的に相手を殴る。そんなアウトレンジの攻撃があったならば南部動乱はバロール魔王国とアルカード吸血鬼君主国の大敗で終わったでしょう。今回もそうなるのでは?」
「南部動乱から魔術の質も向上した。反撃は覚悟しておくべきだろう。それに今は南部動乱の際よりも戦局が圧倒的に不利だ。彼女は戦術的に巻き返せても、戦略規模で戦場を有利にできるわけではない」
「簡単にはいかないというわけでか」
ゲオルグが語るのをホルヴェーク中将はいささか難し気に聞いていた。
「それでも戦術的勝利が必ずしも戦略的勝利に繋がらないわけではありません。現在、カイゼルブルク政権軍はアドラーベルクの奪取とそこにあるロート橋の奪取を目指しています。これを奪われると我々は防衛線をかなり後退させる羽目になる」
「だから、砲撃でロート橋を落とそうと司令部は考えたわけだ。最初から爆破の準備をしておけば、このようなことにはならなかっただろうに」
「それは無理な相談ですよ。ヴォルフバーデンの橋を砲撃した時点で、我々が反撃に使える橋はアドラーベルクとシュネーハイムのものだけになった。だから、アドラーベルクの橋を敵の攻撃があるかどうかも分からないのに爆破はできなかった」
ゲオルグが忌々し気に語り、ホルヴェーク中将が肩をすくめる。
ミネルゼーン政権軍はカイゼルブルク政権軍の運河渡河を阻止しつつも、将来の反撃のために橋を確保しておく必要性があった。
そのためカイゼルブルク政権軍に先の戦いで奪われたヴォルフバーデンの橋を、やはりマリアの砲撃で崩落させたが、自分たちの支配下にあったアドラーベルクの橋を事前に爆破するようなことはなかったのだ。
「しかし、ヴィトゲンシュタイン侯。あなたの帝国への貢献を我々は高く評価するつもりなのですが、そうするべきではないという人間もいるようです。今回の戦いには、あなたもご存じの通り──」
「第九使徒教会が既に関係している。だろう?」
「ええ。彼らは非常時と銘打っても黒魔術を使うことを容認しないでしょう」
ゲオルグが第九使徒教会の名を出した。
第九使徒教会は今はまだ参戦を表明していないが、いつまでも無関係を貫くつもりはないようである。この戦い──アドラーベルクの戦いに、ゲオルグは第九使徒教会が関係しているといった。
「第九使徒教会ではエレオノーラには勝てない。エレオノーラならばどのような聖騎士であろうと倒すだろう。そう、聖騎士たちが黒魔術に無知であるが故に」
「知らないということは最大の弱点だと。しかし、そこまで娘さんと高く評価しているのですね。聖騎士では勝てないというぐらいに」
「悪魔と魔術に愛された子だ。私でも正面切って戦えば勝てるかどうか分からない」
ホルヴェーク中将が言い、ゲオルグはそう言って黙り込んだ。
「いずれにせよ、今は使えるものは全て使いますが、第九使徒教会というカードを手に入れるために政府はどのカードを捨てるのか分かりません。十分に用心を。私としても黒魔術を知り、その上で対応すべきと考えています」
「ああ。それが利口な考えだ」
ホルヴェーク中将はそう言って制帽を被り直し、ゲオルグは砲撃を一時中断しているマリアの下に向かった。
「ツェッペリン卿。問題はないか?」
「ええ、ヴィトゲンシュタイン侯閣下」
ゲオルグが声をかけるのにマリアが頷く。
「君の魔術は実に強力だ。そして、魔術の多くがそうであるように、全く同じものは君個人にしか使えない。そうであるが故に私は君に期待している」
「とは言え、私の魔術は極限まで圧縮した不安定な魔力を砲弾にして射出し、着弾地点で魔力が物理衝撃を受けてることで一斉に圧縮が解除され、急激な膨張によってで周囲にものを破壊しつくす。それだけのことなのだがな」
「そのどれもに君の意志がかかわり、君個人のものとなっている。私でも同じことをやれと言われても無理だろう」
マリアの魔術はシンプルな魔術砲撃だ。
極度の圧縮によって不安定化した魔力を砲弾として、砲身である柱に注いだ魔力を装薬にして放ち、それが着弾してクレーターを穿つ。
この特殊な魔術砲撃は戦艦アイオアの主砲である口径40.6センチ砲の砲撃に匹敵する威力だ。つまり、アレックスが自慢げに言っていたように1個師団を吹き飛ばすような砲撃である。
「ふん。しかし、私のこれもまた黒魔術の応用だ。最近ではどうにも黒魔術というものは隠されるものではなくなっているかのように思えるが」
「秘匿は神秘性を生み、神秘性は魅力を生む。これまで我々には魅力が必要であった。帝国に黒魔術を売り込むために。だが、今必要なのは神秘ではない。これまでのことを帝国に後悔させない確かな結果だ」
「卑しい商人のような営業の時間は終わり、か」
この強力なマリアの魔術砲撃にも黒魔術が使われている。
それにこの長距離砲撃の着弾を観測するものとして下級悪魔の使い魔が使用されることもある。
それらを第九使徒教会に知られれば、不味いことになる。
「帝国には選んでもらおう。毒を以て毒を制すことを良しとするか」
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