『ヘカテの子供たち』
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──『ヘカテの子供たち』
ツヴァイヘンダー作戦は9割が成功。
そう、同盟最高統帥会議は判断した。
逆にミネルゼーン政権軍は帝都奪還を企図して集結させていた戦力を撃破され、撤退を開始。一時運河に沿ったアドラーベルク=シュネーハイム線まで撤退した。
しかしながら勝算が全くなくなったかと言えば、そうでもなかった。
「ヴィトゲンシュタイン侯閣下。こちらへどうぞ」
ヴィトゲンシュタイン侯ゲオルグは侍従武官に案内されて、ミネルゼーンにある皇室資産であるオストブルク宮殿の中を進んでいた。
ミネルゼーン政権は内外に自分たちの正統性を主張するうえで、あることを成さなければならなかった。
すなわち自分たちの側の皇帝を擁立することだ。
カイゼルブルク政権はルートヴィヒを皇帝とした。それと同じようにミネルゼーン政権も皇帝と皇太子が死亡した後に、自分たちの皇帝を擁立する必要があったのだ。
その皇帝がゲオルグを待っていた。
ゲオルグが近衛兵に守られている扉を潜り、その部屋の主を前に跪く。
「ヴィ、ヴィトゲンシュタイン侯。よ、よく来てくれた」
ところどころ噛みながらそう言葉にするのはまだ幼い少年だ。短い黒髪に子供用のスーツを纏い、何とか背を伸ばしてる緊張した少年。
彼こそがミネルゼーン政権の皇帝マクシミリアンである。
ロングボウ作戦による帝都陥落前の皇位継承権3位の人物だった彼が、謀反を起こしたルートヴィヒの戴冠を認めないミネルゼーン政権によって皇帝に擁立された。
しかし、マクシミリアンはまだ9歳である。
「はっ。陛下、お呼びと聞き参上しました」
「う、うむ。その……」
ゲオルグが言うのに少年が戸惑い、そこで控えていた枢密院議長が耳打ちした。
「そ、そう、貴公の忠誠について尋ねたい。貴公は私にちゅ、忠誠を誓うか?」
「はい、陛下。私はイオリス帝国皇帝たる陛下に変わらぬ忠誠を」
「よ、よろしい」
マクシミリアンが発言しければならなかったのはここまでだったようで、後は引き継ぐというように枢密院議長が前に出た。
「ヴィトゲンシュタイン侯ゲオルグ。貴公のこれまでの帝国への貢献を鑑み、貴公の娘が反乱に加わったことで貴公を罰することはないと陛下は仰せだ」
「ありがたく存じます」
「これからも帝国のために励んでほしい」
「もちろんです」
このマクシミリアンと枢密院議長との会話ののちにゲオルグが訪れたのは、ミネルゼーンにある使われていなかった城だ。
「ヴィトゲンシュタイン侯閣下! 既に指定されたメンバーは集まっています」
「ご苦労。皆を会議室に集めてくれ」
「はっ!」
帝国陸軍の軍服を纏った青年が頷いて駆け足でゲオルグに先行し、ゲオルグは城にある会議室に入った。
「諸君。よく集まってくれた」
ゲオルグが見渡すのは10名から15名程度の男女だ。高級そうな衣服に身を包んだ人間もいれば、そうではない人間もおり、共通性が掴めない。
「我々『ヘカテの子供たち』の帝国への貢献は早速認められた。帝国陸軍の将軍たちは、我々が提供した悪魔に満足している。既に戦闘にも投じられており、作戦は失敗したが、損害は低く抑えられたそうだ」
ゲオルグがそう淡々と語る。
「我々はこのまま帝国に貢献し続けなければならない。安易に自分たちの存在を、黒魔術師を認めるからと言って忠誠を違えてはならない」
そう、この会議室に集まったのは黒魔術師たちだ。
ゲオルグがこれまで帝国のために黒魔術を提供していたように、彼らはヴィトゲンシュタイン侯爵家のために黒魔術を研究した成果を提供していた。
そして、この黒魔術師の公にされることがない密かな集まりにして学術組織こそ『ヘカテの子供たち』という秘密結社である。
敵が黒魔術を使う以上、友軍にも黒魔術を知るものが必要。そう考えたミネルゼーン政権上層部は『ヘカテの子供たち』を容認し、そのトップにゲオルグを据えたのだった。
「しかし、閣下。第九使徒教会の方は我々を認めるのでしょうか? このままならば第九使徒教会が本格的に参戦してくる可能性も」
列席者のひとりであり、『ヘカテの子供たち』のメンバーのひとりがそう尋ねる。
「第九使徒教会は我々を認めないだろう。さらに言えば帝国ですらも公の場で我々のことを認めることはない。我々の存在は秘匿され、隠蔽され、改竄される。我々の功績もまた讃えられることはない」
ゲオルグはあっさりとそう認めた。
「だが、そうでなければならないのだ。我々は黒魔術を使い、悪魔と踊ることそのものを、決して目的にしてはならない。これらは帝国が存続するための手段に過ぎなければならないのである」
そのうえでゲオルグはそう説明する。
「謀反を起こし、カイゼルブルク政権などという逆賊を組織したものたちにとっては、黒魔術を使うことそのものが目的だ。堕落している。実に堕落しきっている。悪魔と躍るようなことがあってはならないというのに」
ゲオルグは心底失望した様子でそう語ったのだった。
「では、そろそろ本題に入ろう。皇帝陛下と陸軍はこれまでの戦いで、非常に有力であった魔剣バルムンクの増産及び改良を求めている。さらにはそれらを使用して戦う悪魔も提供してほしいとのことだ」
「バルムンクの改良と増産ですか? あれは太古の時代に作られた金属由来の性質を持ったものですが、どのようにして?」
「改良と増産だ。バルムンクそのものを量産せよとは言われていない。我々の技術で破邪の効果を有する、バルムンク以上の魔剣を作ればいい。バルムンクを構築したものも黒魔術なのだからな」
構成員のひとりが思わず尋ね、ゲオルグはそう返した。
「となると、残りはバルムンクを使用する悪魔ですね。それなりに高位の悪魔を使って、バルムンクの破邪を影響をうけないようにしなければ」
「ああ。それは我々が研究することになるものだろう」
魔剣バルムンクの破邪の力は召喚されている悪魔にも影響を及ぼしてしまうことが確認されている。
悪魔そのものが破邪で消滅するか。悪魔を縛り付けている制約が破邪で破壊され、悪魔が好きかってに動き始めるか。いずれにせよそのままでは悪魔はバルムンクを使えない。
「中級悪魔程度で、人型を利用するという従来の方法ならば……」
「もっと器になる人型を強化する必要があるかもしれない。外部から魔術的な影響を排除する素材をしようして」
ざわざわと『ヘカテの子供たち』の構成員たちが議論を始めた。
彼らは既に帝国陸軍に幾種かの悪魔を提供している。それがアレックスたちが交戦した悪魔に他ならない。
「では、研究を始めよう、諸君」
「はい、閣下」
こうして『ヘカテの子供たち』は正しい側の帝国の勝利のために黒魔術を通じて貢献していくことになる。
ゲオルグは『ヘカテの子供たち』の構成員たちに命令を下し終えると、城にある彼の私室へと向かった。
「やあ、ゲオルグ。これはまた大変なことになっているね」
「マモン。わざわざ地獄から我々を嘲笑いに来たのか?」
いつの間に私室の中にいた“強欲”の大罪を司るマモンがにやにやとチェシャ猫のように笑っているのにゲオルグがマモンを少しばかり睨んだ。
「そう邪見にすることはないだろう。君はボクの眷属なんだし、さ?」
「ああ。私の娘もそうだったが、今は反旗を翻している。魔剣ダインスレイフもエレオノーラの手にある。お前はその上で我々に何を提供するというのだ?」
「悪魔に求めてばかりは駄目だよ、ゲオルグ。我々はともに利益を享受する立場にあるんだ。君だけボクを使って美味しい汁を吸おうというのは、間違っているよ」
「私は美味しい汁を吸うどころか、忌まわしい毒を飲まされている!」
マモンがのらりくらりと批判を躱そうとしているのにゲオルグがそう叫んだ。
「じゃあ、君の娘を殺してこようか? それによって君の帝国へ忠誠は確かなものになるのだろう? それに君が娘を生贄に捧げるのはこれが初めてじゃない」
「私はそのようなことを望まない」
「そうかい。じゃあ、ボクに何を望む?」
ゲオルグのはっきりとした答えを前にマモンがそう尋ねた。
「勝利だ。勝利を求めよう。カイゼルブルク政権でも、ミネルゼーン政権でも、人類国家でも、『ヘカテの子供たち』でもなく、私の勝利だ。そのためにならば、これからお前に大勢の生贄を捧げてやろうではないか」
「ほう」
ゲオルグの言葉にマモンが興味深そうに頷く。
「オーケー。君のやりたいことが分かってきたよ。では、期待しているといいよ!」
マモンはそう言って現れたときと同じように唐突に姿を消した。
「ふん。悪魔とは決して踊るな、か」
ゲオルグはそう呟いて椅子に腰かけた。
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