耐性
……………………
──耐性
アレックスがそれに襲われたのはアリスの部屋を訪れた翌日の夜のことだ。
「おや?」
夜中に学園の中庭を散歩をしていたアレックスの前に小さな影が広がった。
それは人形だ。布製の人形が5体ほどアレックスの前方に不意に現れた。
その人形の手にはナイフが握られている。
「おやおや。随分と短絡的な手段に出たものだね」
呆れたようにアレックスが言う中、人形たちはアレックスに迫る。ナイフの刃が月光の光に輝き、人形たちは作られた笑みを浮かべたままじわじわとアレックスに歩み寄る。
そして一斉に人形がアレックスをめがけて飛び上がった。
「バビロンよ、来たれ」
人形たちが飛び掛かろうとした瞬間、アレックスは後方に下がり、同時に人工悪魔バビロンを召喚。現れた腐敗したドラゴンが炎を浴びせ、人形たちを一瞬で焼き払う。
「まだまだ来るぞ、バビロン」
さらに背後から人形が出現し、同様に襲い掛かってくる。
バビロンが尻尾を薙ぎ払うように振り回し、人形がたちが蜘蛛の子を散らしたように散らばるが、そこに草木の影から新手が出現。
「やれやれ。まさに物量戦だな」
四方八方にナイフを持った人形が現れてはアレックスに迫ってくる。
「全て焼き尽くせ」
アレックスがバビロンに命じ、バビロンは恐ろしい速度で人形たちに反撃を行う。炎が振りまかれて人形たちを焼き払い、炎の合間を縫って襲い掛かろうとする人形たちを鋭い爪の並ぶ腕が捻り潰した。
人形たちは次々に襲い掛かってくるが、その数は確実に減少していた。
「短絡的なようで回りくどいやり方だ。しかし、あいにくのところ私は呪いには耐性があってね。昔から呪術と戯れていた人間というものには効きが薄いのだよ。だから、いくら下級悪魔をけしかけようと──」
人形たちに宿った下級悪魔が込められた呪いを放つ。黒いガスのようなものが立ち込め、ガスとは違って指向性を有してアレックスに向かう。
だが、それはその禍々しさは裏腹にアレックスに接触しても何の効果も及ぼせなかった。そう、呪いはアレックスに何の影響もなかったのだ。
「意味はない」
かくして、全ての人形がバビロンの手によって破壊されつくされた。
「ふん。夜中にパーティーか? そういうことなら俺も誘え、アレックス」
そこでサタナエルが不意に姿を見せてアレックスの隣に立つ。
「彼女がこういう手に打って出ることは考えていたが、君がいると下級悪魔が君を恐れて寄ってこなくなってしまうだろう?」
「なら、直接根暗女のところに殴り込めばいいだろう。指と歯を2、3本失えば多少は礼儀をわきまえるに違いない」
「また君はそういうことを言うのだから困る。言っただろう。恐怖で得られるのは奴隷だけだ。戦友を得るのに恐怖は使えない」
サタナエルが拳を鳴らしてにやりと笑うのにアレックスがそう言う。
「その惰弱なやり方で結果が出るならば文句は言わないが、結果が出せないならば俺が俺らしい交渉方法と見せてやる。俺が痺れを切らす前に決着をつけることだな」
「そうしよう。それにどうやら彼女もまだまだ諦めていないようだ」
アレックスがサタナエルにそう返したとき周囲に黒い結界が広がった。
「認識阻害結界か。何をするつもりやら」
「デカいのが来るんだよ、サタナエル!」
地響きが聞こえると同時に中庭に巨大な人型が姿を見せる。
学園の地面にあった土や岩でできていると思しき人型は拳を振り上げると、それをアレックスに向けて振り下ろした。猛烈な打撃がアレックスに襲い掛かろうとし、すぐさまバビロンがそれを迎撃する。
炎が人型の表面を焼き、表面が高熱でガラス化。それでも人型は止まらない。
「中級悪魔を宿したゴーレムと言ったところか。なるほどな。貴様があの根暗を手に入れたがっていた理由がようやく分かった。これがあれの仕業ならば俺もあの根暗に価値があると認めてやろう」
「ああ。まさに。これだから手に入れたいのだよ」
「では、まずはあれをぶち壊すか」
サタナエルがゆらりとバビロンの前に出ると拳を握り締めた。
そこに人型がガラス化した拳を叩きつけようとするが──。
「ぬるいわ」
人型の拳はサタナエルの拳によって粉砕された。ガラス化していたそれが砕け散り、周囲にガラスの結晶をまき散らしながら人型の姿勢がよろける。
「さあ、どこまで耐えられる?」
サタナエルは姿勢を崩した人型に向けて肉薄し、次は蹴りを放った。人型が地面に倒れ込み、ぼろぼろと人型を構成している土と岩が崩れ落ちていく。
「これでトドメだ」
崩壊寸前の人型に向けてサタナエルの拳が叩き込まれる。
その打撃は人型の物理的構造の崩壊だけでなく、それに宿った中級悪魔の霊的崩壊も引き起こした。それによって生じた爆発が周囲に衝撃波を生じさせて、ついに人型は完全に崩壊した。
「脆いものだな。殺し甲斐がない」
サタナエルは拳を軽く振るとそう吐き捨てた。
「だが、強力ではあるし、コストパフォーマンスにも優れる。何より下級悪魔、中級悪魔を自在に操れる能力は高く評価できるものだ。気まぐれにして邪悪な悪魔を隷属させているのだからね」
「その悪魔ども長である俺としては不愉快な話だがな」
「君は低位の悪魔たちがどうなろうと気にも留めないだろう?」
「ふん」
アレックスの言葉にサタナエルは不快そうに鼻を鳴らすのみ。
「それよりここまでいいようにされて本当に相手に手出ししないつもりか? 交渉を行う前に相手に舐められるぞ。舐められればもちろん交渉は失敗する」
「だが、こちらが寛容であるということも示せる。考えてみたまえ。私たちは彼女が黒魔術師だという証拠を握っている。それに対して彼女がとった行動は私を殺害しようとするものだった」
「つまり、相手にはこれしか手段がなく、これに失敗すれば行き詰る、と」
「まさに。彼女は自ら交渉における自分の有するカードを見せてしまった。大きな失敗だし、私たちはいくらでもそれにつけ入れる。しかし、それを敢えて許すこともカードのひとつだと私は思うのだよ」
確かにアリスはアレックスに黒魔術を使っていたという事実を掴まれたが、取った行動は実に短絡的なアレックスの殺害というものであった。
それはアリスに他にとりえる手段がなかったと白状するようなものであり、彼女の交渉のカードを表に晒すに等しい行為である。
「武力行使というのはシンプルだがシンプルすぎていささか知性に欠ける。人とは手練手管の限りを尽くして交渉を優位に進めるものだし、それこそが交渉というゲームの醍醐味だとは思わないかね?」
「弱者の戦略だな。弱者はそうしなければ生き残れない。力なきものの足掻きというのは実に哀れなものだ。だが、そのような弱者のあさましい策略は俺も嫌いではないぞ?」
「君とようやく合意が得られたようで何よりだ」
アレックスはサタナエルの言葉に頷く。
「私は弱者だ。決して強者ではない。強者であるならば仲間など必要ないし、そもそも考えることすら必要ない。力に知性が伴う必要などないのだから。そう、私は私という肉の体に限界に囚われた哀れな囚人であり、弱きものである」
そう認めながらアレックスは周囲に展開されていた認識阻害の結界が解除されていくのを認識ににやりと笑う。
「さて、認識阻害が解けた今、この被害に気づいて職員がやってきてしまう。ここに残ると犯人にされてしまうな」
「犯人にされるもクソも、実際に半分は俺たちの仕業だぞ」
「とにかく面倒だから逃げるのだよ!」
そしてアレックスとサタナエルは脱兎にごとく中庭から逃げ去った。
……………………