オーケストラ
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──オーケストラ
イオリス帝国第二皇子ルートヴィヒは私兵を有していた。
それがオーケストラと呼ばれるものだ。
「やあ、アイヒホルン中佐」
「クライスト少将閣下。今日は天気がいいですな」
帝国陸軍のカーキ色の軍服を身に着けたふたりの男が公園のベンチに座る。
ひとりは帝都の駐屯地を有するノルトラント近衛擲弾兵師団の情報参謀であるミヒャエル・アイヒホルン中佐。もうひとりは陸軍省に設置されている陸軍参謀本部勤務のギュンター・クライスト少将。
ふたりの将校はベンチに座り、新聞を広げた。
「我らが弟君は有力な後援者を手に入れたようです、閣下」
「ほう。それは喜ばしいが、どのようなものたちが後援を?」
「こちらにその詳細について記してあります」
アイヒホルン中佐は新聞に封筒を挟むと、新聞をクライスト少将を交換した。
「弟君は自らの政治的地位を脅かさない人間を選んでおります。つまりはこの祖国の外部の人間にを後援者に選んだのです」
「ふむ。正直、私はこの国の問題はこの国で解決すべきであると考えている。下手に海外に頼れば利用されてしまうだろう。国家というものには友人と呼べる存在は事実上存在しないのだから」
「ご安心を。先に恩を売ったのは我々の側です」
クライスト少将が唸るのにアイヒホルン中佐が続ける。
「それはつい最近隣国で起きていた不幸な内戦が終結したことと関係が?」
「ええ。まさにその内戦があのようなことになったのは、後援者ともなった帝国の人間のおかげなのです。正しい考えを持った帝国の人間であり、この国に利益をもたらすだろう存在」
「我々にとっての利益は皇帝をかつてのように強力な指導者にすることだ」
アイヒホルン中佐とクライスト少将は国家保衛局による盗聴を避けるために小声でそうやり取りする。
「そうなるでしょう。我々の周りは腐臭を放つ同盟国が帝国を生きたまま貪っており、我々は前々から行動すべきだったのです」
「それを海外の力を借りて成し遂げる、か。悪くはない」
帝国はその歴史的経緯から同じ人類国家との間に問題を抱えていた。帝国にはこれらの問題で帝国を批判しながらも、安全保障などの面では帝国に依存している国々に嫌悪感をもっている人間も少なくない。
第二皇子たるルートヴィヒに仕えるオーケストラにもそのような考え方は広まっていた。同じ人類国家の周辺国こそが帝国を崩壊させようとしているのだと。
「我々の目的はシンプルだ。帝国をあるべきものの手に。それは帝国議会などというくだらないことをやっているものでは決してない」
「我々の理念はずっと変わっていません。帝国に栄光あれ」
そして、アイヒホルン中佐とクライスト少将は分かれた。
彼らの話していた内容から分かるように彼らはオーケストラの一員だ。
ルートヴィヒを支持する一派。
そのイデオロギーは複雑で、近年の政治的汚職から、帝国議会に見切りをつけて皇帝による親政を求めている。皇帝がかつての偉大なる皇帝たちと同じように、帝国を指導するのである。
彼らにとって自分たちと答えを異にするものたちは全て帝国の敵となる。それはたとえ皇帝であろうとそうである。
国家という飴にたかり、群れを成すアリ──それが信頼に値する皇帝によからぬことを吹き込む奸臣たち。邪悪な売国奴であるそれらを打倒することこそ、愛国者たる自分たちの役割だと思っていた。
皇帝や皇太子も彼らの理想である偉大なるカリスマを有し、帝国を導く歴史に名を連ねるようなものであなければ不要。無能なおべっか使いは排除すべしというのが彼らの言い分である。
だから、彼らは帝国議会を使った政治工作を行う皇帝や、純粋なお人よりである皇太子に価値を見出さず、ルートヴィヒを皇帝に据えようとしているのだ。
オーケストラは密かに動き出しており、来るべきクーデターの日に備えていた。
そんな中でルートヴィヒはある人物に声をかけられていた
「ルートヴィヒ!」
「兄上。どうなさいましたか?」
ルートヴィヒを見つけ手を振ってくる、まるで大型犬のように愛嬌のある男に、ルートヴィヒは事務的な笑みを浮かべて尋ねる。
これら皇太子オットーだ。
「学園の方はどうだい?」
「ええ。まあ、そこそこには順調ですよ」
オットーが尋ねてくるのにルートヴィヒはそう答える。
どうして俺でなくて、この間抜けそうな男が皇太子なのだろうかとオットーを見るたびにルートヴィヒは不満とイライラがこみあげてくるのが感じられた。
「私も学園に行ってみたかったな。同学年と肩を並べて学ぶというのはどれだけ貴重な経験だろうか。計り知れないよ」
オットーは皇太子として特別に育てられ、学校に通ったことがなかった。
「一度学園に来られますか、兄上?」
「いいのかい!?」
ルートヴィヒが提案するのにオットーがそう言って目を見開く。
「もちろん、父上や侍従長などにご確認を願います。私たちの方がいいとしても、彼らが駄目だと言えばそこまでです。潔く諦めましょう」
「分かった。早速尋ねてくるよ」
オットーは見るからにうきうきした様子でそう言うと笑顔で立ち去った。
「どうしてあんな無能が次の皇帝だというんだ?」
ルートヴィヒは思わずそう呟く。
オットーは秀でた点など特にない凡夫だった。
20年以上皇族として生きているにもかかわらず政治をまるで理解しておらず、理解しようともしていない。ただただ漫然と皇太子としての形ばかりの公務を行い、臣民に向けて笑顔で手を振る程度の能しかない。
どうやら皇帝もそのことを理解しているらしく、皇帝は最近やけに帝国議会の権限を増やしている。これまで皇帝と皇室が握っていた権限も、徐々に帝国議会とそこで組織された内閣に委任され始めていた。
そう、まるでオットーが皇帝になっても帝国が突然崩壊したりしないようにしているかのようであった。
「私ならあんな無能と違って、この帝国をさらに繁栄させられるというのに……!」
ルートヴィヒはオットーよりも自分の方が優秀だということを何度も示してきた。だが、皇太子になったのはオットーであり、ルートヴィヒではない。ルートヴィヒはオットーの“予備”でしかなかった。
何故自分が評価されないのか。優秀であるはずの自分がその能力に相応しい地位につくことができないのか。それは一種のコンプレックスとなってルートヴィヒの精神に刻み込まれていたのだった。
「忌々しいオットーめ」
ルートヴィヒはそう呟くと宮殿の中を進んだ。
「嫉妬か。身内への嫉妬と地位への渇望。王族と皇族はこれがあるから面白い」
そう、宮殿の見える場所で言うのはサタナエルだ。
「憎め。恨め。憎悪しろ。そして、その欲望を解放するがいい。それがお前にできる唯一のことだぞ、ルートヴィヒ」
サタナエルはそう言って笑うと次の瞬間、姿を消した。
オーケストラが裏切りという音楽を奏でる間にイオリス帝国では皇室にもクーデターの動きがあった。
軍の司令官たちは私兵を作り始め、クーデター後の政府のメンバーが練られる。
来るべき決行日は着々と近づいてきていた。
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