交渉開始
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──交渉開始
「すみません。美術の講義で次の授業までに画材を揃えるように言われたのですが、どこで揃えればいいのでしょうか……?」
「ああ。それでしたら学園内の購買で揃えられますよ。後で一緒に行きましょうか、ガブリエルさん?」
「本当ですか! ありがとうございます、エレオノーラさん!」
ふたりの少女が話しているのをアレックスは遠目に見ていた。
ひとりは知ったる顔の友人エレオノーラ。
もうひとりは将来その女性を切り殺す敵ガブリエル。
未来において殺し合うことになるふたりの少女は今はその片鱗すら見せることなく、和気あいあいと接ししてた。
「やあやあ、親愛なるエレオノーラ。君はもうそこの留学生と友人に?」
アレックスはそのふたりに近づく。
「ええ。ガブリエルさんは留学生だからこの国の人間として案内ができればと」
「エレオノーラさんには助けられてばかりで……」
「気にしないでください、ガブリエルさん」
エレオノーラは本心でそう言っているし、ガブリエルも本心でそう言っている。そうであるがゆえにこの関係は恐ろしいとアレックスは思った。
まるで爆薬と油を同じ倉庫に保存しているようだと。
「ところで、アレックス。その人形はアリスさんのものでは?」
「そう! その通りだ。拾ったのだよ。彼女も探しているだろうから渡してあげたいのだが今日は見かけなくて困っているんだ。心当たりはないかね、エレオノーラ?」
アレックスは早速アリスと接触しようとしたのだが、アリスの姿が見当たらない。彼女は自分が黒魔術を行ったことが発覚しようとするのを避けようとしているのかは、まだ不明だが。
「あら、アリスさんに浮気?」
「ああ。すまない、最愛の人よ。ちょっとした気の迷いだったんだ。許してくれ」
少しばかり冗談めいてエレオノーラがアレックスに笑いかけるのにアレックスもその愉快な冗談に乗った。
「ええ!? お、おふたりはもうご結婚を……? 帝国は進んでいますね……」
「冗談だよ、ガブリエル君。ちょっとした帝国ジョークさ。本気にしないでくれ」
思わず顔を真っ赤にしてアレックスとエレオノーラを見るガブリエルにアレックスが肩をすくめてそう告げる。
「それはそうと、本当にアリスを知らないかね?」
「今日はまだ見てないよ。けど、病欠の届もなかったし……」
「見かけたら教えておくれ。彼女に返さないと。これは彼女も気に入っていたようだし、心配しているだろう」
「ええ。分かった。見かけたら教える」
エレオノーラはそう請け負ってくれ、ガブリエルとともに購買に向かった。
「エレオノーラ。気を付けたまえよ。その女は思った以上に獰猛だよ」
アレックスはその様子を見て冷たい表情でひとり呟いた。
それから学園内をうろうろとしたもののアリスはやはり見つからない。
「さてはて。どうしたものか?」
「何だ? あの根暗をまだ見つけられていないのか?」
アレックスが中庭の椅子に座って呟く中、隣にサタナエルが座って尋ねてきた。
「ああ。どうにも避けられているようでね。ここまで歩き回って一度も見かけないというのは向こうが避けているとしか考えられない。いっそ彼女の部屋を訪れた方が確実なように思えてきたよ」
「じゃあ、そうすればいいだろう」
「いや。いきなり彼女の部屋を訪問すれば警戒されるかもしれない。なるべく自然な流れで話を持ち掛けたいのだが。それに招かれてもいないのに女性の部屋を訪れるべきではないと思わないか?」
「何をたわけたことを。黒魔術を使っていることを知っているという時点で自然な流れなど存在するはずもないだろう」
「それもそうだ。じゃあ、アリスのお宅にお邪魔するとしよう。紳士的に、ね」
アレックスはサタナエルの言葉に肩をすくめるとアリスの部屋がある学生寮に向けて学園内を進んで行った。
アリスの暮らす寮はアレックスとは別の棟であったが、基本的な造りは同じだ。
基本的に生徒はひとり部屋が割り当てられる。部屋にはベッドや机があるがトイレやシャワーなどはない。トイレとシャワーは共用になっている。
「アリスの部屋は2階だ」
アレックスはそう言って階段を上っていき2階のフロアに入ると廊下を歩いてアリスの部屋を目指す。この学園に入学する生徒の多くが上流階級の子弟であるため、寮は雇われた使用人によって手入れされていた。
「ここだ。紳士的に行こう。蹴り破るのはなしだよ」
「はん」
サタナエルに釘を刺すようにアレックスがそう言い、アリスの部屋の扉をノック。
しかし、すぐに返事はない。
「そもそもここにいるのか?」
「ここにいなければ困るね。実家に帰られていたら打つ手なしだ」
「無計画だな」
アレックスの言葉にサタナエルが呆れたようにそう言う。
「もうちょっと粘ってみよう。アリス! アリス君! 出てきたまえ!」
今度は強く扉を叩き、アレックスが呼び掛ける。
「何あれ?」
「痴話喧嘩かしら?」
廊下では何事かと思って生徒たちが立ち止まり、アリスを呼ぶアレックスの様子を見て、ひそひそを噂話をし始めた。
そこでようやく扉が開いた。
「な、何ですか……? うるさいですよ……」
部屋から出てきたアリスは分厚いレンズのメガネの向こうからアレックスを煩わしそうに見てくる。歓迎されている様子はない。
「やあ、アリス! これを落としただろう?」
「あ……。え、ええ。そうかもしれないです……。返してください……」
「その前に少し話しをしようじゃないか。お邪魔するよ!」
「あ! ちょっと待ってください……!」
アリスが締め出そうとするのを無視してアレックスとサタナエルがアリスの部屋の中に入り込んだ。
「意外に不精な性格だったのだね。全く片付いていない」
「余計なお世話です!」
アリスの部屋は教科書などの本やノートが机や床に放り出されており、着替えもそこら辺に散らばっているなど乱雑な光景が広がっていた。
「こういうものを片付けさせるのに使い魔というのは便利なものだよ。君もそのことはよく知っているのではないかな?」
「し、知りません。人形を置いて帰ってください!」
「おや。それはおかしいな。この人形はまさに使い魔を研究している研究棟で見つけたのだがね。興味があって研究室を見学に行ったのではないのかね?」
「そ、それは……」
アレックスの言葉にアリスが少しばかり動揺して見せる。
「そして、その場所には下級悪魔が群がっていたよ。呪術に使える使い魔のように便利な存在がね。君は黒魔術を使ったことがあるのではないか、アリス? 私はもはや疑いようがないほどの確信を持っている」
「…………」
ずばり踏み込んだアレックスの発言をアリスは黙り込んで聞いていた。
「安心してほしい。私は別に君を異端者だとして教会に突き出すつもりはない。むしろ、私は同志が見つかって嬉しく思っているのだよ。そう、何を隠そう私も黒魔術を使っているのだから!」
「だから……?」
アレックスの告白を前にもアリスは警戒を崩さない。
「私は黒魔術を使用し、研究するものたちの秘密結社を作るつもりでいる。君にはその秘密結社に加わってもらいたいのだ。君が呪いを追及しようというならば私は全力でそれをサポートしよう。どうだい?」
「……考えさせてもらいます……」
アリスはそう言うのみ。
「では、後日返事を聞かせてもらおう。色よい返事を期待しているよ!」
アレックスは机にアリスの人形を置くとサタナエルとともに出ていった。
「あの根暗は仲間になる気はないぞ」
「だろうね。だが、今はこれで十分だよ」
サタナエルがささやくのにアレックスはそう返した。
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