侯爵家の城
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──侯爵家の城
学園が黒魔術や吸血鬼、そして聖騎士の問題で揉める中、アレックスとエレオノーラはエレオノーラの実家に向かっていた。
「ここら辺は空気が澄んでいるね」
馬車でヴィトゲンシュタイン侯爵領に入り、アレックスがそう言う。
「ここは田舎だから」
「それいうならば私の故郷だってかなりの田舎だよ。それなのに鉱山があるせいで空気が澄んでいる日などまるでなかった!」
エレオノーラが苦笑いをして言うのにアレックスがそう主張。
「教えてくれないか、エレオノーラ。君の故郷というのはどういう場所だい?」
「見て回った方がいいと思うけど、長閑な田舎だよ。ここにある産業と言えば農業がほとんどで、うちの家が管理している薬草畑なんかもある。というよりも魔術っぽいのはそれぐらいかな」
「魔術に関係するのはそれだけだと?」
「ええ。魔術に関して発見があれば皇帝に伝えられ、皇帝の命で皇帝直轄領などで実験されることがほとんどだから。うちの領地で魔術に関わるのは薬草畑と家の城とそれぐらいなんだ」
「なるほど。意外に魔術の色が薄いのか……」
エレオノーラの説明にアレックスがそう頷く。
馬車はがたがたとヴィトゲンシュタイン侯爵領を進む。
「……ところで、まだ私は君の故郷に招かれた理由を把握していないのだが」
「父にあなたを紹介しておきたい。それから母にも」
「君の母は……」
アレックスはエレオノーラの母が既に死んでいることを言おうとして口ごもった。
「さて、そろそろ到着だよ」
エレオノーラがそう言ったとき、馬車はゆっくりと速度を落とした。その進路の先に見えてきたのは古い城塞──ヴィトゲンシュタイン家の城である。
「お帰りなさいませ、お嬢様。今日はご友人も一緒だと聞いております」
「ええ。彼はアレックス。彼の部屋を準備して」
「畏まりました」
出迎えに来た執事にエレオノーラがそう言い、執事の案内でエレオノーラとアレックスは城の中に入っていった。
「お父様はどうしている?」
「旦那様はいつも通りお過ごしになっております」
「そう。今は時間はありそう?」
「ええ。お嬢様が戻って来れられるのを楽しみにしていらっしゃいましたよ」
エレオノーラの問いに執事は落ち着いた口調でそう答えるとエレオノーラたちはヴィトゲンシュタイン侯爵家当主ゲオルグの部屋へと通された。
「エレオノーラ。それが学園の友人か?」
ゲオルグは椅子に座ったままエレオノーラにそう問いかける。
「彼はアレックス・C・ファウスト。私の友達です」
「初めまして。お会いできて光栄です、閣下」
エレオノーラがアレックスを紹介し、アレックスが丁寧に礼をする。
「ヨハネス・フォン・ネテスハイム帝国宮廷魔術師長の息子がそう言う名前だったな。あの男ほど地位に見合った能力を持っていなかったものもいないだろう」
「ええ。その点については大いに同意しますよ。私は父を反面教師にしているつもりです。正確には父だった男を、ですが」
ゲオルグがそう言うのにアレックスが笑みを浮かべてそう返した。
「なるほど。それから奴についての悪い噂と言えば、黒魔術とのかかわりだ。あの男は明白に黒魔術師と認定されたわけではないが、そういう噂はずっとあった。そのことについて知っているか?」
「ええ。私自身が黒魔術師ですので」
「ほう」
アレックスは何のためらいもなく言い放ったのにゲオルグが目を細める。
「学園ではそういう冗談が流行っているのか?」
「いいえ。別に驚かれることではないでしょう? 閣下も皇帝のために黒魔術を研究なさってこられたはずだ。そのことを私は知っている」
「……それはエレオノーラから聞いたのか?」
「彼女に聞かされるずっと前から知っていましたよ」
ゲオルグは感情を窺わせずに尋ね、アレックスはそう答える。
「なるほど、なるほど。黒魔術師が我がヴィトゲンシュタイン侯爵家の秘めた謎を知りにエレオノーラに接近したということか。何とも大した友人だな」
「お父様! アレックスとはそういう関係では……!」
「では、どのような関係だ?」
「友人、です」
ゲオルグがまるで叱責するような声色で尋ねるのに、エレオノーラがそう辛うじて吐き出した。
「黒魔術師として言わせてもらうならば、あなた方の魔術は私が知ったところで手に入れられるものではないだろう。“強欲”を司る大悪魔マモンと交渉するなど、私としてはぞっとするからね」
「随分と詳しいではないか、黒魔術師。他には何を?」
「そうだね。あなたは一度我が子を存在しないものとして処理しただろう。忌まわしく、汚らわしい取り換え子を、だ」
「貴様」
アレックスが告げた言葉にゲオルグが初めて感情らしいものを見せた。
「そうお怒りになられるな。私はその原因を知っている。エレオノーラとあなたには教えておこう。私がどういう生まれの人間なのかを」
アレックスはそう言って語り始める。
「私はかの悪逆なる地獄の君主のひとり、“怠惰”の大罪を司りし大悪魔ベルフェゴールの血を受けたもの。私はかの大悪魔の落し子なのだよ」
「ベルフェゴールの落し子だと」
「いかにも! そのことは彼女自身が証明してくれことだろう」
ゲオルグが怪訝そうに尋ね、アレックスがにやりと笑ったとき──。
「ふわあ。その通りですよ、マモンの眷属さん。彼には私の悪しき血が混じっている」
のっそりとアレックスの影から姿を現したのはファンシーなピンクの寝間着姿をした少女──大悪魔ベルフェゴールだ。
「驚くべきことであるし、忌み嫌うべきことでもあるだろうな。私は確かに黒魔術を帝国のために研究してきたし、大悪魔マモンのためにも生贄をささげてきた。だが、私の一族に悪魔の血は混じっていない」
僅かな嫌悪の感情を込めてゲオルグがそう言った。
「私のことはどう言われようと気にしないつもりだ。だが、これで安心してもらえただろう。あなた方が黒魔術をどうこうしているとしても、悪魔の血の混じった私よりも善良であるということなのだから」
「第九使徒教会に密告云々はないということか」
「そういうことだ。何より私はエレオノーラの友人なのだから」
ゲオルグが僅かに敵意を弱めてそう言い、アレックスが頷いた。
アレックスがそうゲオルグと話していたとき、ベルフェゴールはエレオノーラの方に歩み寄っていた。
「初めまして、マモンの眷属さん。マモンからいいものを貰ったのでしょう?」
「……ダインスレイフのこと?」
「そうです、そうです。それはとてもいいものですよ」
ベルフェゴールはエレオノーラににやにやとした笑みを向ける。
「ぜっかくならあなたも私の側に引き込みたいところですが、マモンを怒らせてしまうのは望むところではありません。あなたはマモンのために今後も働かれるといいでしょう。それではこれで失礼を」
そういうとベルフェゴールは再び影の中に消えた。
「エレオノーラ」
「はい、お父様」
「この男を友とすることを否定はしない。有益ではあるのだろう。だが、深入りはするな。この男とのかかわりはお前だけでなく、我々ヴィトゲンシュタイン侯爵家にも悪い影響を及ぼしかねない」
「……はい」
「理解したならば、それでいい。もう行け」
ゲオルグはそう言って手を振ってアレックスとエレオノーラを退室させた。
「ごめんね、アレックス。ただ父にあなたのことを伝えておきたくて」
「構わないさ。むしろ私の方こそ申し訳ない。ケンカ腰になってしまい」
「そんなことは」
アレックスとエレオノーラは廊下を歩きながらそう言葉を交わす。
「けど、あなたは本当にベルフェゴールの落し子なの? 落とし子というのは眷属と違って悪魔そのものの血を引いている存在でしょう?」
「ああ。私は間違いなくベルフェゴールの血を引いているのだろうね。彼女自身が私にそう言っていたし、全てを知っていただろう父が私を見て恐れていたのも事実だ」
「そっか……」
アレックスの言葉にエレオノーラがそう呟く。
「私のことが嫌いになってしまったかい?」
「馬鹿を言わないで。私はあなたが悪魔の血を引いていようと関係ない。私はあなたのことを好きだと思っている。それは変わらないよ」
「そうか。ありがとう、エレオノーラ。君は数少ない私の理解者だ」
エレオノーラがぴしゃりと言うのにアレックスはそう微笑んだ。
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