喧嘩
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──喧嘩
「あれ?」
アリスが珍しく腹を立てているエレオノーラを見かけたのは、彼女たちがアルカード吸血鬼君主国から帰国して3日後の大浴場でのことであった。
「どしたんです、エレオノーラさん?」
「聞いてよ、アリスさん。アレックスが酷いんだよ」
「はいはい。聞きますよ」
アリスは若干の野次馬根性も含みつつ、エレオノーラの相談に応じる。
「帝国に帰ってきてからふたりで出かけようって約束してたんだ」
「なのにそれを忘れていた?」
「ううん。それはちゃんと覚えててくれた。遊びに行ったよ。帝都の商業地区に」
「では、何が不満だったのです?」
エレオノーラが首を横に振るのにアリスが怪訝そうに尋ねる。
「出かけた先が帝都のカフェだったんだ。けど、そこには私が前からアレックスに食べたいって言っていたレアチーズケーキはなかったんだよ!」
「……はあ……」
もの凄くどうでもいいことだっただけにアリスは深々とため息を吐いた。
「まあ、男というのは自分以外のことはすぐ忘れてしまいますからね。それでいて不器用な自分を男らしくてカッコいいと思ったり、少し抜けてる自分を可愛いとか勘違いしやがるんです」
「そうなんだ……」
「そうなんですよ」
実のところ、アリスもそういうキャラクターを本で読んだだけで、実際に会ったことも、付き合ったこともない。
「アレックスはカッコよくて、可愛いのかな?」
「いやいやいや。本人が勝手にそう思っているだけで、実際にはそんなことはないですよ。実際には腹立たしいだけなのです」
頓珍漢なことを述べるエレオノーラにアリスがそう突っ込む。
「それで、エレオノーラさん。これを機にアレックスなんかとは別れますか? そうした方がいいですよ」
「え。それはやだ……」
「あれま。じゃあ、どうしたいんです?」
いまいちやりたいことが分からないエレオノーラにアリスが首をひねる。
「別にアレックスのことが嫌いになったとかじゃないの。ただ、アレックスに『アカデミー』や黒魔術のことだけじゃなくて、もう少し私のことを考えてほしいなって思って。……これっておかしいことなのかな?」
「おかしくはないですね。乙女は誰だって自分を一番に考えてもらいたいものです」
「一番とはいかなくても、二番、三番くらいには……」
「いえいえ。一番を目指しましょう。一番を!」
アリスとしてはアレックスが『アカデミー』やら黒魔術のことやらを考えてろくでもないことをやらかすより、エレオノーラのことばかりを考えて大人しくしておいてもらいたかったのだ。
「というわけで、こちらからデートを仕掛けましょう」
「ええ!? 私から!?」
「そうです。戦いにおいては攻撃によって主導権を握るとか言いますし」
「そ、そっか。でも、どういうデートにしたらいいんだろう」
「この私に任せるといいですよ!」
エレオノーラが悩むのにアリスがここぞとばかりに前に出た。
が、実際にアリスはデートを計画したこともなければ、デートに誰かを誘ったこともないのである。ここはあわよくばエレオノーラのデートでスキルを高めて、自分がデートに誘うメフィストフェレスを満足させようという算段であった。
「まずアレックスが好きなものから考えましょう」
「……黒魔術?」
「それはデートには向かないですね」
黒魔術はデートのアイディアに繋がらない。
「アレックスが好きなものというと……」
「何か好きな食べ物だとか、黒魔術以外の趣味だとか。そういうのないです?」
エレオノーラがううんと考え込むのにアリスがそう尋ねた。
「私もアレックスのことをあんまり理解してないのかも。彼の好きなものとか趣味がすぐに浮かんでこないんだ。どうしたらいいんだろう……」
「ふむふむ。では、そういうのを知るためのデートにしましょう。誰だって付き合ってばかりのときはお互いを知らないものですから」
「そうだよね、そうだよね。まずはお互いを知るのが大事なんだ」
エレオノーラとアレックスは付き合っているというわけではないが、お互いを知っておいても損はしない関係でもある。
「前に繁華街でデートをするって話をしてましたよね? それならばそれにしましょう。いい感じのお店を探さないとですね」
「うーん。お店はアレックスと選びたいな。でも、やっぱり事前に調べておいた方がいいのかな?」
「まあ、帝都の繁華街ともなればよほどのことがない限り失敗しないでしょうが、一応調べておいた方が無難でしょうね。何カ所か候補が載ったガイド本を準備しておきますので、それを使ってください」
「ありがとう、アリスさん! けど、アリスさんはどうしてそんなに詳しいの?」
「うぐっ! ま、まあ、いろいろありまして……」
アリスもメフィストフェレスとデートをしようと思っていたのだが、なかなか言い出せずに今まで来たのである。
「あ! そうだ! アリスさんも相手がいるんでしょう?」
「え、ええ。まあ、その、一応はいるかなーって感じで……」
「じゃあ、ダブルデートにしよう。二組でデートすることもあるって本で読んだことがあるんだ。それに、そうすればアリスさんのアドバイスも逐次貰えるし、ね。これってどうかな?」
「あ。いいですね、いいですね。そうしましょう!」
これで自分ひとりではなかなか誘えないメフィストフェレスをデートに誘えるとアリスも大きく頷いて返す。
「まずはお店の調査だね。アレックスたちをびっくりさせよう!」
「オーケーです。このあとで私の部屋に来てください。帝都のグルメや観光情報についていろいろありますから」
「うん。後で行くね」
こうしてエレオノーラとアリスのダブルデート計画が始まった。
エレオノーラは大浴場を出た後でアリスの部屋に向かう。
「おお。たくさん本があるね」
アリスの部屋には様々な本が置かれていた。本だらけである。
「お気になさらず。今回、必要なのはこれだけです」
アリスはそう言って数冊のガイド本をテーブルに並べた。
「ふむふむ。私は食事の場所を調べてみる。アレックスの好きな食べ物を知って、それを作ってあげられたらいいなって思うし」
「私は遊べそうな場所を調べてみますね」
ということでエレオノーラとアリスはデートスポットの調査を開始。
「バロール魔王国に向かう途中で食べた南部料理も美味しかったし、南部料理のお店もいいのかもしれない。けど、アレックスの好きな食べ物を探すには、いろいろと提供されるお店がいいかな」
「そうですね。最初から特定のお店に入ってしまうと見つけにくいですね」
「このホテルの中にあるバイキングのお店はどうかな? バイキングならいろいろと選べると思うんだけど」
「そういうホテルだとお高いのでは……」
「そんなことないよ。学生割も利くみたいだし」
「なら、そこがいいですね」
エレオノーラはホテル内で味わえるバイキングのお店を選んだ。
「ホテルということはお昼はそこで楽しんで、ついでにチェックインして、日が沈み切った夜は最上階のバーでカクテルを味わい、そしてそしてその後には……」
「19時には帰らないと門限に間に合わないよ」
「うっ。わ、分かっていますよ」
アリスは自分の邪念を真っ当な理由で否定され少しいじけた。
「遊ぶ場所は演劇の観覧って柄でもない面子ですし、素直にショッピングとか水族館とかにしておきましょうか。まあ、短い時間のデートですし?」
「水族館は楽しみだなあ」
そんなこんなでエレオノーラたちのデートプランは完成したのだった。
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