全ての始まり、始まり
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──全ての始まり、始まり
『この世に悪などというものはなく、正義の反対にあるのは別の正義だ』
そう語る人間がこの世にはいる。
ある種の性善説を信じ、自分が正義だ、悪だとレッテル貼りをせず、他人の意見に寛容な人間であることを他人にアピールしたくしてたまらない浅ましい人間の言葉だ。
男はそんな妄言は信じていなかった。
『悪は存在する。そして、それは──クールでカッコいい!』
男が信じていたのはこのような──阿呆みたいな言葉だった。
そう、阿呆と言えば阿呆極まりない。しかし、この阿呆な言葉が、よもや未曽有の戦争を引き起こすなどと誰が思っただろうか?
だが、戦争は起きた。とても大きな戦争が。
──イオリス帝国帝都カイゼルブルク。
歴史ある帝都が敵の手に落ちてから4年の月日が流れていた。
黒色大戦という戦争の勃発から4年。
黒魔術師たちの秘密結社。魔族たちの国家であるバロール魔王国。その同盟国にして吸血鬼たちの国家であるアルカード吸血鬼君主国。
この三つの勢力が同盟した黒軍によって引き起こされた大戦が始まって4年が過ぎていた。初期の黒軍の奇襲によって失われていた帝都には悪魔と死霊たちがはびこり、死と退廃の都と化していた。
『司令部より全部隊へ。敵防空網は沈黙。降下作戦を継続する』
その帝都を奪還すべく、人類国家が結成した連合軍はまさに乾坤一擲の大作戦に臨んでいた。大規模降下作戦であり、帝都奪還作戦であるダウンフォール作戦である。
『ドラゴンスレイヤー・リードより司令部! 降下を開始する!』
飼いならされたグリフォンで降下部隊は空中機動し、帝都の上空を駆ける。その1体の大型グリフォンに搭乗した10名の兵士たちが次々に帝都内に指定された降下地点に向けて着地し、素早く降下して展開していく。
「諸君! いよいよ帝都を奪還する!」
この作戦には人類国家の守護者とも言える第九使徒教会──その所属の聖騎士団『聖ゲオルギウス騎士団』も参加していた。
その団長であるアウグスト・フォン・ザイドリッツが作戦に参加する聖騎士たちに激励を飛ばしている。
「ガブリエル。君には期待しているぞ」
「はい、団長」
聖騎士たちの中にはひとりの女性がいた。
真っ白な髪をした小柄な鎧姿の女性。鎧は聖ゲオルギウス騎士団の白銀のものであり、その手にはその小柄な体には似つかわしくないほど巨大な剣が握られている。
彼女はガブリエル・フロスト。人類最強の聖女にして聖騎士だ。
「では、予定通り作戦目標に向かう。作戦目標であるタンネンベルク城だ。これを奪還し、我々の反撃の第一歩とする!」
聖ゲオルギウス騎士団の作戦目標は帝都中央のタンネンベルク城である。ここは黒軍に制圧される前は皇帝が座し、そしてイオリス帝国の政治中枢だった。
「全軍、前進! 突撃ぃ!」
「私に続いてください! 道を切り開きます!」
アウグストが声を上げ、ガブリエルが巨大な剣を構え、先頭に立って突撃する。
「ガブリエル殿に続け!」
「帝都を敵の手から取り戻せ!」
聖騎士たちは悪魔と死霊で溢れた帝都を駆け抜ける。
「勇気を示せえっ!」
「うおおおおっ!」
次から次に津波のように群がる悪魔を斬り、死霊を祓い、魔族と吸血鬼の攻撃を退けて突撃を続ける。
「タンネンベルク城が見えたぞ!」
暗雲立ち込める空の下に聳え立つ高い尖塔を有する城。荘厳な造りの歴史ある、この城こそ帝国の政治中枢であったタンネンベルク城に他ならない。
「進め! 城を奪還するんだ!」
聖ゲオルギウス騎士団は作戦目標であるタンネンベルク城へと突撃する。
「正門突破! このまま……──」
聖騎士たちが正門を守る悪魔たちを撃破してタンネンベルク城の敷地内に突入したが、そこでまとめて複数の聖騎士がなぎ倒される。彼らは斬り裂かれ、叩き潰され、肉片と血をまき散らした。
「悪魔だ! かなり強力だぞ!」
見上げるばかりの巨大な悪魔が斧を握って現れて、聖騎士たちの前に立ちふさがる。異形の悪魔は不気味な笑みを浮かべると斧で屠る次の獲物を求めて進んで来る。
「団長、ガブリエル! 進んでください! ここは我々が!」
「すまん。任せたぞ!」
聖ゲオルギウス騎士団の何名かの聖騎士たちが悪魔を足止めし、その間に他の聖騎士たちが城内に突入していく。
そして、彼らは悪しき黒魔術師たちの陣取るタンネンベルク城内を制圧していき、ついにその黒魔術師たちを統べる巨悪の前に到達した。
「よくぞ来た、聖騎士たち!」
その巨悪は玉座の間において、ガブリエルたち聖騎士を前に笑いを上げて出迎えた。
「アレックス・C・ファウスト!」
「いかにもだ、親愛なるガブリエル君! 私こそが邪悪にして卑劣なる黒魔術師たちの長、アレックス・C・ファウストである!」
聖騎士ガブリエルが睨む先にいるのは20代後半の青年。黒色大戦を引き起こした忌まわしく、冒涜的な黒魔術師たちを率いる存在。
黒魔術師アレックス・C・ファウストだ。
その名前に反して北方人らしさはなく、南方人とも違う癖のない黒髪という異国人の風体をした長身の男。その容貌には異界の色が窺えた。この世界とは異なる世界から引き継いだであろう素質が。
そんな男が邪悪な笑みを浮かべている。
「さて、諸君。ひとつ聞きたいことがある。ここに至るまでの廊下に魔剣を使う女性がいたはずだ。美しい金色の髪をした女性だ。彼女をどうした?」
「あの魔剣使いなら殺した」
アレックスが尋ねるのにガブリエルが短くそう答えた。
「……そうか。残念だよ。それでは君たちにも死んでもらおう」
アレックスはそう宣言すると彼の背後に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「地獄の皇帝サタンよ、来たれ。『七つ目の頭』まで!」
その詠唱と同時に周囲に硫黄の臭いが漂い、それから臓腑が凍るような寒気がこの玉座の間に満ち始めたさらに。アレックスの後方の魔法陣からは獣の唸り声が響いてくる。それは確実にこの玉座の間へと近づいてきていた。
「不味いぞ……」
団長アウグストが剣を構えて呻く中、その獣が姿を現した。
「アレックス。この俺を完全に召喚するとはな。くだらぬことではなかろうな?」
獣──サタンは巨大な赤い鱗のドラゴンだ。ドラゴンは激しい憤怒に燃える爬虫類の瞳を細めるとアレックスを見下ろし、そう尋ねてきた。
地獄の悪しき悪魔たちの頂点に立つ最強の大悪魔。それがこのサタンだ。
「なんてことだ。皇帝級の大悪魔を完全に召喚するとは……。あの化け物がどんなおぞましい存在かあの男は分かっているのか……!?」
聖騎士たちが現れたサタンを見て表情を青ざめさせる。
「やあやあ、親愛なる我が友人サタンよ。当然ながら面白いことさ。みたまえ、あそこにいるのは神の寵愛を受けた聖女だよ。君はああいうのが好みだろう?」
「ああ。そういう人間が悲鳴を上げ、苦痛に悶える様子を見るのがな」
「それでは利害の一致だ。好きに暴れたまえ。制限はない」
「よかろう。今は使われてやる、アレックスの小僧」
サタンはくつくつとした笑い声を漏らすと魔法陣からさらに身を乗り出し、聖ゲオルギウス騎士団の聖騎士たちに迫った。
「団長! どうしますか!?」
「これを撃破しなければ我々に未来はない!」
アウグストはそう叫び、サタンに向けて立ち向かおうとする。
「せいぜい頑張りたまえ。地獄の皇帝を相手にどこまで──」
アレックスが無謀な戦いに臨む聖騎士たちを嘲笑おうとしたところで不意にその上半身をそらした。
そして、彼の半身があった場所をガブリエルが握っていた剣が通過していく。
「外した」
「なんとまあ! 教科書に載っている対悪魔戦のセオリー通りだな。悪魔ではなく、その召喚者を殺す。実に優秀だ、ガブリエル君」
ガブリエルが低く呟き、アレックスが笑う。
「そう、悪魔を、サタンをわざわざ殺す必要はない。お前が死ねばそれで終わりだ」
「だろうな。全く、合理的過ぎて遊びがない。さぞ退屈でつまらない人生を送ってきたのだろうね」
「お前などに私の人生をどうこう言われる筋合いはない」
ガブリエルが振るう刃をひたすら躱しながらもアレックスが追い詰められていく。
「残念だがどうやらここまでのようだ。しかし──」
ガブリエルの刃がアレックスの首を確実に捉えた。
「また会おう、ガブリエル君!」
アレックスの首が刎ね飛ばされ、鮮血が舞った。
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