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第4話

彼の信じられない光景に、私の足は竦んでしまった。フロレンツの顔をした何かは、パンを齧っては飲み込むように胸を何度も叩いている。本当に私が好きになった人なのか、と自分の目を疑ってしまう。そうこうしているうちに、エプロンをつけたパン屋の人が店内に入ってきた。祭りに行ってきたのか、どこか浮ついたようなそわそわした顔をしていた。


その瞬間、彼はエプロンをつけた人の死角に入るように身をひそめて出口へゆっくり進んでいった。私も彼やパン屋の人に怪しまれないように、自然体を装って出口へ向かう。

パン屋を出て、彼はまたずっと進んでいく。ストーキングしていることがばれないように一定の距離を保ちながら私も付いていく。辺りを見渡しても、私の周りにはもう誰もいなくなっていた。


そのまま歩き続けて、足が少しずつ重くなっていくのを感じていると、彼はボロボロな洋館に足を踏み入れて行った。フロレンツの家はここなのだろうか。それと宿舎に戻らずに家に帰っているということは、学校にはもう通っていないということなのだろうか。だけど、そんなことを考えていても答えなんて出てこない。やっぱり本人(人違いであることを願っているが)が目の前にいるのだから、ちゃんと向かい合って答え合わせをしなくては、そう思って私は口を開いた。


「あの、フロレンツ様、ですか?」

思ったよりも大きな声が出てしまった、と慌てて口を押さえていると、彼はこちらに振り返った。

「誰?」

その目は暗く濁っていて、彼の心の内を覗こうとしても見えない。

「私は王立学校のクリスタです。フロレンツ様の様子を伺いたくて、参りました」

「私はお前など知らない」

そう言って私を睨みつける。


「でも私はフロレンツ様を存じております。今日、パンを盗み食いしていたことも。」

そう言うと彼は一瞬目を見開いた後、さらに鋭い眼光を浴びせた。

「お前は何がしたいんだ?」

「フロレンツ様と話がしたいのです。どうか、中に入れてください」

だめで元々、そんな気持ちで言葉を投げかける。


「ついてこい。」

その言葉に私が驚いている間に、彼は踵を返して歩き始めた。

洋館の重厚な扉を開けて中に入ると、鬱屈とした雰囲気が立ち込めていた。まるで肝試しでもしているような薄暗い空間に、ひんやりと身体をすり抜けていくような風が纏わりついていた。どこまでも続いているような錯覚を覚えるほど長い廊下を歩いても、誰ともすれ違わない。侯爵家のお屋敷ともなれば、絶えず来客も使用人の出入りもあるはずなのに。


そんなことを考えながら進んでいると、そこには大きな応接間があった。

「適当に座ってくれ」

適当、と言ったって座る席は大抵身分ごとに区切られているのだから、自分に選択の余地などないだろう。そう思いながら下座に腰掛けた。

「そこに座られては声が届きにくい。もう少し近くに来てくれ」

と上座のすぐ隣を指して言った。


席を移動して座りなおすと、彼が口を開いた。

「話とは何のことだ?」

「フロレンツ様を学校内でお見掛けしないことが気になっていまして。どこか体調でもすぐれないのかと。それと、このお屋敷には誰もいないことが気になりました。」

踏み込んだ話になってしまったことが申し訳なくて、彼と目を合わせられずにいた。

「子爵の娘ともならば、噂が耳に入らなくても仕方あるまい。私は身分を剝奪されたから王立学校を退学したのだ。」

剝奪、あんなに高貴で高潔な彼が?と言葉を受け入れられない私を他所に、彼は話し続けた。


「父が事業に失敗したんだ。その借金を返そうとして、領地に来る商人たちと取引することになった。その取引の中で、市場を彼らに独占させていたことが領民の白日の下にさらされて、クーデターを起こされた。」


「今は両親とも、身分も名前も隠しながら遠い場所で農作業をしている。小さな妹2人と使用人たちはウルフハルトの家に引き取られたよ。だからこの屋敷には私だけしかいない。それから、ここは別宅で生家は領地内にある。そこをウルフハルトの家の領地として、皆一緒に暮らしているよ。」


彼の話をきいて、どうも腑に落ちなかった。確かに貴族が子孫まで永遠に繫栄することはそうそうないけれど、彼の境遇には納得がいかない。どうしてフロレンツがたくさんのものを失わなければいけないのか、彼は何も悪いことをしていないのに、とふつふつとやるせなさが沸き上がる。


だけど、同じ状況のはずの妹さんたちはウルフハルトの家で暮らせているということは、ウルフハルトはフロレンツだけにこんな思いをさせているということだ。やっぱりあいつは最低な男に違いない。

「でも、妹様たちはウルフハルト様のお家で暮らしているのですよね?どうしてフロレンツ様だけに、」


「ああ、それは私が断りの連絡を入れたんだ。」

私の怒りを遮るように、フロレンツが口を開いた。

「そんな、どうしてですか?」

「貴族が何不自由なく暮らせているのは、領民のみんなの信用があってこそだ。それを失った今、なおも贅沢な生活に縋りつくのはおかしいだろう。」

フロレンツの目に生気が宿った。きっとこの言葉は彼の信念なのだろう。そうなると、さっきの盗み食いはきっと、彼の生き方に反する行いだ。


「でも、盗まないと食事をとれないとなると、このまま何もしないわけにはいかないかと」

私がそう言うと、彼は力なく笑った。

「ああ。分かっているさ。おや、外が暗くなったようだね。そろそろ帰らないと危ないよ」

彼の言葉が合図になったように私は身支度を始めた。


彼はお屋敷の門の前まで来てくれた。

「なあ、君は確かクリスタといったな。」

「はい」

「これから、時々でいいからここに来て生存確認をしてくれないか?君と話す用事があると思えば、少しは希望が見えてくると思うんだ。」

「君さえよければ、だけどね」と口角だけ上げた笑いを浮かべてそう言った。

「もちろん伺います。」

私は二つ返事をしてお辞儀をする。

「それでは、私は戻らせてもらうよ。」

そう言って彼は屋敷の中に入っていった。


その姿を確認してから踵を返すと、そこには大きな馬車があった。

「うわっ」

思わずのけぞっていると、扉が開いて中から人が降りてきた。

「ウ、ウルフハルト様!」

相変わらずの敵意むき出しの眼光に、見間違えることなく彼だと確信した。


「こんな時間に何をしている」

尋問のような口調にどこかムッとする。

「ウルフハルト様には関係のないことでしょう」

私がそう言うと、彼は舌打ちしてこちらに近づいてきて、私の腕を掴んだ。

「痛い、!」

「こんな時間にこんな場所にいるということは、こんなものでは済まない目に遭うということがなぜ分からない」

「え?」

彼は強い力で私の腕を引っ張ると、そのまま馬車の中に引き入れた。


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