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紅国春秋余録  作者: おがた史
洛神珠の巻
5/31

枝葉 2



 隣家の女性に明玉の母親の薬を預けると、文承と心高は教えてもらった水汲み場へと向かっていた。


「おーい」


 のんびりとした呼び声に振り返ると、孟起が走って向かって来るところだった。


「やっと見つけた」


 立ち止まって待った心高と文承の前に笑顔で立つ。


「もう来ないと思った」


 心高が言うと、孟起が頭を掻いた。


「思いの外、時間がかかってね」

「何かあったのか」

「里正のとこに行ったら、斬った鬿雀のところに案内しろって言われて、結局二往復した挙げ句なかなか解放してくれなくて遅くなった」


 はは、と明るく笑う。


「で、二人はもう用事は済んだのかい?」


 村の中心から離れる方向へ歩いていたからだろう。孟起が聞いた。


「いや。今この村で病が流行っているんで、その原因を探しに行くんだ」


 ふうん、と笑いを収めると、碌に事情を聞きもせず、孟起は当たり前のように二人の後を着いて来た。



 少し歩くと、間もなく小川に着いた。村へ入る時に渡った川だ。

 心高が川縁(かわべり)に下りて水を覗くと、確かに小さな二枚貝がいた。


「これを採って食べたんだろうな」


 続いて水際に下りて来た文承が呟く。



 そこから川を遡ったところに水汲み場として簡単に整えた場所があった。明玉の家だけでなく、他にも水を汲みにくる者がいるのがその様子からもわかる。

 水はとても澄んでいて飲用にできそうだ。


 文承は荷包(きんちゃく)から乾燥した葉を取り出した。明玉の家で甕の水に浮かべてみたものと同じものだ。

 それを水際の流れの緩やかなところにはらりと落とす。

 すると、水に浮かんだ草はくるくるとうずを描きながら、緑色の葉を黒く変色させて見る間に沈んだ。

 甕の水に浮かべたときは、こんなふうに変色することはなかった。


「やはりこの水なんだろうな……」


 文承が呟くと、同じく水面をじっと見つめていた心高が立ち上がって水辺を歩き始めた。


「今入れたのは何ですか?」


 二人の後ろから覗き込んでいた孟起が聞いた。


「仙舌草という浮草を乾燥させたものだ。紫紅峰の水源に自生するんだが、毒に敏感で別名検毒草とも言う。飲めない水……水が何らかに汚染されていると、今のように葉が変色する」


 文承が説明をすると孟起が、便利な草があるんですね、と感心して水の底を流れていく黒ずんだ草を見送る。

 

「じゃあ、この水は毒に侵されているってことですか」

「……この場合は菌だろうな」

「菌?」


 孟起が文承を見る。


「ああ。今この村で雪花病というのが流行っているようなんだ。その原因菌を探しに来たんだが、どうやらこの川の水にいるみたいだ」

「雪花病って……随分と風雅な名前の病ですね」

「雪花藻という水草から出る菌が原因なんだ。首に雪が降ったような白い発疹が出る」


 文承が渋い顔をして続ける。


「名前は美しいが厄介な病気だ。症状は貝毒に似てる。貝毒も油断ならないがもっとタチが悪くて、対症療法では良くなることはないんだ。菌を退治しないと遅かれ早かれ死に至る」

「それは怖いですね」


 孟起も同じように厳しいものになる。


「心高、雪花藻はあったか?」


 屈みながら水面を覗き込んでいる心高に文承が聞いた。


「……いや、見当たらないな……」

「そうか……。じゃあ、もっと上流に行ってみるか」


 文承が溜息を吐いた。




 そこから山へ分け入るにつれて川幅はどんどん細くなっていった。雪花藻を探しながらたどり着いたのは、岩肌の割れ目から落ちる水が作る小さな泉だった。


「何だこれは」


 孟起が声を上げた。

 透き通った泉の水の底は、まるで雪が降り積もっているように見えた。

 雪かと見間違えたのは、水底にびっしりと生える白色の苔のような水草だった。


「これは凄いな……」


 文承が思わず呟いた。


「これが雪花藻? ……なるほど。雪みたいに見えますね」


 孟起がしゃがみ込んで水底に生える白い藻をまじまじと見る。


「ああ。この葉の裏に袋があって、そこから出る菌が雪花病の原因だ。……しかしあるとは思っていたが、ここまでとは……」


 文承が唸る。

 心高は水が湧き出る岩の割れ目の間近まで行くと、顔をしかめた。


「割れ目の中にも根を張ってる」

「ここまで広がっているとなかなか簡単には駆除できないな」


 文承は考えるように眉間を指でトントンと叩くと言った。


「一旦村に戻ろう」


 そして途中、水汲み場に立ち寄り、立ち入りができないように即席で柵を立てた。





 三人は再び村へと戻ると、薬に詳しいという老婆の家へと向かった。


 教えられた古びた家に着くと、その前には村人と思われる何人かが疲れたようにうずくまっていた。恐らく薬を貰いに来ているのだろう。

 文承が集まっている人たちの様子を見て唸る。

 しかし、先ずはこの家の主と話をすることにした。

 声をかけて家の中を覗くと、老婆が曲がった背を更に丸め、薬研(やげん)でごりごりと何かをひいていた。


「薬が欲しいんなら並びな」


 背を向けたままの老婆からしわがれた声が返って来た。


「薬をもらいに来たのではありません。紫紅峰の泰慈先生のところから来ました」


 文承が言うと、老婆は手を止め、文承の方へと大仰そうに身体の向きを変えた。


「紫紅峰……仙人か」

「私は仙人ではありませんが、泰慈先生の元で医薬を学んでいます」


 文承が言うと、老婆が皺だらけの顔の中に埋もれていた小さな目を怪訝そうに細めた。


「何しに来た」

「薬を持って来たんですが」

「……なんでこんな辺鄙な村にわざわざ」

「丁さんのところの明玉さんが泰慈先生を訪ねてきたんです」


 文承が言うと、老婆は老いて定まらなくなった首をふるふると揺らしながら、ああ、と喉の奥から低い声を漏らした。


「丁いうと、あの父親のおらん家か。母親の具合が悪いと言うからそこの娘には何度か薬をやった。最後に来た時にこれで治らなんだら諦めろと言ったわ。それで仙人のところに行ったか」

「……はい」

「それでどうなった」

「雪花病でした。明玉さんも同じ病に(かか)ってましたので、今は泰慈先生の庵で療養しています」

「……何病だって……?」

「雪花病です。雪花藻から出る毒素が引き起こす病気です」


 老婆がしわくちゃな顔にさらに皺を寄せた。


「聞いたことないな」


 しわがれた声に僅かに戸惑いが混じる。

 文承が雪花病の説明をすると、固まったようにじいっと聞いていたが、

 

「そんなもんわしに治せるわけがないわ」


 と、老婆が大きく溜息を吐いた。


「貝を食ったと言う者が多かったから貝に当たったんだと思っておった。まあ、ちいとも良くならんのがおかしいとは思ったがな。そもそもそんな聞いたことのない病に何が効くかなんて知らん」


 吐き捨てるような言い方だったが、心なしか原因がわかって安堵が混じっているようにも聞こえた。


「……よかったら、外で待っている人たちをここで診させてもらってもいいですか?」


 文承が聞くと、老婆は重そうに薬研を隅に寄せて場所を空けてくれた。

 ありがとうございます、と文承が言ったのを合図に、心高が家の前でうずくまっている村人を招き入れた。

 文承は一人一人話を聞いて体の状態を確認し、持ってきていた薬を処方した。




 家の前で待っていた村人を一通り診終わると文承が言った。


「今、診せてもらった皆さんは、いずれも雪花病のようです。共通しているのは沢の湧水を飲み水にしているということです」

「……沢の水が原因か。どっちの川だ。東の方か」

「はい。さっき確認してきましたが、そうですね、あちらの川の上流に雪花藻がありました。それで感染したのでしょう」


 文承が東の方を指差しながら言うと、老婆がわかりやすく顔をしかめた。


「この村では……沢の水以外は、村正のところの井戸しかないのですか?」

「……井戸はもう一つ、村の西側の端に小さいのがある。あと、もう少し行くと川もある。西の方の家はそっちを使っとるんじゃないか。……しかしここからはちいと遠いんじゃ」

「そうですか……。じゃあしばらくは東側の川の水は飲まないように、村正の井戸を使わせてもらうことにしないといけませんね」


 文承が言うと、老婆が唸るような声を出しながら溜息をついた。


「そううまくいくかの。村正はただでは井戸を使わせてくれん。わしも必要な時に薬を渡す約束で水をもらっとる」

「……村正が限られた人にしか井戸を使わせてくれないことは聞いています。しかし、非常事態です」


 文承が厳しい顔できっぱりと言った。すると、心高が立ち上がった。


「ちょっと、村正のところに行ってくる」


 それを見上げて文承が聞く。


「私も行くからもう少し待て」

「いや、一人で大丈夫だ。また薬をもらいに人が来てる。文承殿は患者を診てやってくれ」

「しかしお前だけでは……」


 すると、家の外で待機していた孟起が戸口から顔を覗かせた。


「私も行こうか?」


 心高は何か考えるように孟起を見ると、


「じゃあ、頼む」


 そう言って孟起の横をすり抜けて外へ出た。その背中を文承の声が慌てて追いかけた。


「穏便にな! 言葉遣いには気をつけろよ!」




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