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紅国春秋余録  作者: 緒方史
洛神珠の巻
4/31

枝葉 1



 怪我をした夫婦と鬿雀(きじゃく)のことは孟起に任せ、文承と心高は先を急いだ。

 

 結局、孟起が追いつく前に二人は目的の地にたどり着いた。そこは、塀を持たない山間(やまあい)の小さな村だった。

 明玉の家はすぐにわかった。聞いていたとおり、集落とは少し離れた粗末な小屋だ。

 声をかけて建てつけの悪い戸を開けるとすぐそこに、女性が一人、寝台がわりの板の上で伏せっていた。


「丁さんのお宅はこちらでしょうか。明玉さんから聞いて泰慈先生のところからやってきました。尹文承と言います」


 驚かせないように柔らかく、しかししっかりと声が届くように文承が言うと、それまでぐったりと目を瞑っていた明玉の母親と思われる人物がゆっくりと目を開けた。

 病気のせいなのか随分と老けて見えたが、目元に明玉の面影がある。


「……明玉……」


 母親が苦しそうに娘の姿を探して視線を彷徨わせた。

 失礼します、と声をかけて文承が中へと足を踏み入れる。心高もそれに続こうとした時、外から咎めるように声がかかった。


「誰だい? 何の用なの」


 振り向くとそこには、小ぶりの甕を抱えた中年女性が険しい表情で立っていた。


「ああ、すみません。私たち紫紅峰の泰慈先生の使いでやってきた者です。明玉さんに話を聞いて薬を届けにきました」


 文承が入りかけた小屋から一旦外へ出て穏やかな口調で言うと、女性の顔は驚いたものになった。


「え、じゃあ、あの子はちゃんと紫紅峰までたどり着けたんだね」


 事情を知っているということは、恐らくこの女性が明玉が出かける際に母親のことを頼んだという隣家の者なのだろう。

 文承たちが家の入口を譲ると、女性は文承と心高を無遠慮にジロジロと見ながら中へ入り、改めて二人を招き入れた。


「で、明玉は?」

「明玉さんは今、泰慈先生の庵で療養しています。ご心配いりません」


 文承が女性と明玉の母親を交互に見ながら言うと、母親は、よかった、と弱々しく呟いた。

 女性も、そうかい、と息を吐くと、文承に向き直って言った。


「私は明玉の死んだ父親のまた従姉妹だ。他人みたいなもんだけど、明玉にどうしてもって頼まれたから、様子を見に来てるんだよ」


 そう言って持っていた甕を小さな竈の横に置いた。


「そうでしたか。ありがとうございます。明玉さんに代わって礼を言います」


 文承が頭を下げると女性は、仕方なくだよ、と鼻を鳴らした。態度は雑だが、面倒見が良いのだろう。


「じゃあ、早速ですが身体の状態を診せてもらいますね」


 文承は母親の枕元に跪くと、失礼します、と母親の手首を取って気の流れを診た。

 すると女性も文承の様子を見張るようにやってきて、声を出すことも辛そうな母親の代わりに今の状態を教えてくれた。


 腹痛、吐き気、下痢、そして手足の痺れ。明玉が言っていた症状と同じだ。ただし、手足の痺れはひどくなっているようで、すでに物を持つことができないようだ。


「陳婆さんが貝の毒じゃないかって言ってたんだけど」


 女性が溜息を吐きながら言った。


「陳婆さんというのは?」

「薬に詳しい婆さんだよ」


 明玉が言っていた、薬を分けてくれる老婆のことだろう。


「確かに、下痢や麻痺というのは貝毒の症状にもあります」

「けど、全然良くならないんだよ。前に私が貝にあたった時は、下痢は酷かったけどこんなふうになる前に良くなったんだよね」


 女性が顔をしかめる。

 文承は、そうですか、とそれに頷くと言った。


「……すみません。少し首を見せてもらいますね」

「首?」

「ええ。確認したいことがありまして」


 そばに控えていた心高が母親の頭を支えるようにしてゆっくりと顔を横に向けさせた。

 耳の下から鎖骨のあたりまでを文承が慎重に見る。

 そして言った。


「……やはり明玉さんと同じ病のようです」

「貝の毒じゃないの?」


 女性が急かす。


「ここを見てください」


 文承が母親の耳の下から喉元あたりを指差すと、訝しがりながら女性も顔を近づける。


「白い発疹があるのがわかりますか?」

「うん? どこだい? ……ああ、これか」


 ちょうどそれは、ちらほらと降った雪がまばらに地面に落ちている状態に似ていた。


「この発疹は、雪花病、という病の特徴的な症状なんです」

「何だいそれは」


 しかめた顔が上がる。


「雪花病は、雪花藻という水草から出る毒素のせいでおこる病です」

「聞いたことないね」

「ええ。雪花藻はとても珍しい水草ですからね。稀に池などで繁殖することがあります。雪花藻から出る毒……正確には雪花藻の葉の裏についてる袋から出る菌なんですが、体に入ると、貝の毒と同じような症状を引き起こします。貝毒と見分けるにはこのような白い発疹が出ているかどうかなんです」


 文承の丁寧な説明が終わると女性がもどかしげに言った。


「何だかよくわからないけど、結局のところ、治るのかい?」

「ええ。泰慈先生が処方した菌を退治する薬を持って来ました。明玉さんも泰慈先生のところで同じ薬を飲んで療養中です」


 すると女性は初めてほっとした表情を見せた。

 文承は背負ってきた籠の薬を取り出すと、心高から手渡された竹筒の水で明玉の母親に飲ませた。


「この薬を五日ほど飲めば良くなりますよ」


 安心させるように母親に文承が微笑みかけると、今度は女性に視線を移した。


「……ところで……明玉さんから、村では同じように具合の悪い人がいると聞いたんですが……」


 再び女性の顔が曇る。


「そうなんだよ。明玉が出かけてからまた増えててね。増えてる割に誰も良くなったって話は聞かなくて。死んじまった人もいる。……みんな同じ、その、何とか病ってことなの?」

「それは調べてみないと分かりません。まずどこでこの菌に感染したのか確認しないといけないんですが……」


 文承が青い顔で目を瞑っている明玉の母親を見ながら女性に聞いた。


「先程、貝毒ではないかと言われてましたが、具合の悪い人は皆貝を食べていたんでしょうか?」

「全員かどうかは知らないけど、沢で採った貝を食べたって言ってる者が多いらしいよ」

「池ではなく沢なんですね」

「そう。村の入り口にある川だよ」


 東の方を指差す。文承たちが来た方向だ。

 村へ着いた時に渡った川だろう。


「ちなみに、その沢の水は飲み水として使っていますか?」

「そうなんじゃない? 上流に水汲み場があるから」


 人ごとのような言い方に文承が首を傾げる。


「……奥さんの家は違うんですか?」

「うちは……村正(そんちょう)の井戸の水を貰ってるのよ」


 言い淀みながら眉を顰めた。

 文承はそれを横目で見ながら、竈の横の女性が持って来た小さな甕を指差す。


「あの甕の中身は水ですか?」

「ええ。そうよ」

「沢の水ですか?」

「あれは違う。井戸の水。沢まで汲みに行くのが面倒だからうちにもらった水を持って来たのよ」

「そうですか……」


 文承が甕に近付き、中を覗き込みながら聞いた。


「この水を少しもらってもいいですか?」

「いいけど」


 許可を得ると、柄杓で水を掬った。そしてその中に、腰につけた荷包(きんちゃく)から取り出した乾燥した草をぱらりと入れた。

 心高もその柄杓を覗き込む。

 ゆらゆらと水に浮かんで揺れる草を確認すると、文承が振り返った。


「奥さんはいつも井戸の水を飲んでいるんですよね。沢の水は飲んでいないんですね?」

「そうだよ」

「他の具合の悪くなった方達はどうでしょう」

「さあ……。ああ、でも村正のとこの井戸の水はもらってないかもしれない」

「その井戸を使える人とそうでない人というのは、どういう違いがあるんですか?」


 女性が気まずそうに目を逸らした。


「……村正が決めてるんだ……。……ここのうちはダンナが死んで田畑が村正に取り上げられちまったからさ、稼ぎがあんまりないんだよ。だから、井戸を使わせてもらえないのよ」


 白状するような口調で女性が言うと、突然、それまで一言も発しなかった心高が口を開いた。


「要するに、貧しい家には井戸は使わせてくれないってことだな」


 出た声の冷たさに、女性がびくりとする。

 文承が、おい、と心高を肘で小突く。


「すみません。わかりました。教えてくれてありがとうございます」


 文承はそう言って頭を下げ、沢の水汲み場と薬に詳しいという陳婆さんの家の場所を聞くと、不機嫌な心高を連れて明玉の家を出た。






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